和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

それにもかかわらず。

2021-02-11 | 本棚並べ
増谷文雄氏の著作を古本で買ったのに、
読まずに、そのままになっております。

禅ということで、あらためて取り出してきました。
増谷文雄著「臨済と道元」(春秋社・1971年)
28円+送料257円=285円でした。2017年に購入。
そのままに、本棚にありました。

その序を紹介することに。
大正13年(1924)の夏のことから語られております。
増谷氏は23歳でした。

「わたしが、はじめて道元の著作に接したのは・・・・
まだ岩波文庫本などのなかったころのことであったので、

わたしは曹洞宗の寺にいって旧版のものを借していただき、
ひと夏かかって『正法眼蔵』を通読した。だが、そのころの
わたしには、それはとうてい、わが歯牙をもって咀嚼し、
味わいうるものではなかった。それにもかかわらず、

なにかつよく心を惹かれるものがあって、その後ずっと
この書に接しつづけて今日にいたっておる。そのころ、
わたしはなお23歳であった・・・・

昭和4年(1929)のころ、懐弉の筆録による道元の語録
『正法眼蔵随聞記』が、岩波文庫本として刊行せられた。
・・・・・・

昭和10年代の後半、『典座教訓』を読むことをえた。
そのころ刊行された岩波文庫の『道元禅師清規(しんぎ)』
のなかに、かねてから読みたいと思っていたその一巻を
見出したときには、おおげさにいえば驚喜する思いであった。」


ちなみに、増谷氏は「東京大学の文学部の学生」でした。
年譜には、北九州小倉生まれ、そして大正14年に
東京大学文学部宗教学科卒業とあります。

大正12年の関東大震災の際はどちらにいらしたのか、
それは書かれておりませんでした。
おそらく、大学の夏休みで実家におられたのだろうか?

序文には、道元の著作が本になっていくにしたがって、
増谷氏ご本人が、道元の著作を読み広め深めゆくのが、
順をおって分かる。そして後年、増谷文雄氏ご本人が
現代語訳『正法眼蔵』を書きあげられるのでした。

うん。読もうと思いながら、そのままに、
本棚には、それらの古本が置かれている。
すぐに忘れるので、それにもかかわらず、
何度もチャレンジしてみます。
うん。すこしでも読めればと思います。


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