和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

遁世者(とんぜもの)吉田兼好。

2020-07-18 | 京都
山崎正和著「室町記」をひらく。
室町の時代を、一望に臨める案内板をひらいている感じ。
と言ってみても、通じないですよね(笑)。

パラリとひらいた兼好法師の箇所を引用することに。
うん。2頁だし、鮮やかなの後味が残ります。
題は「最初のジャーナリスト 兼好法師」。

「高師直が塩治判官の美しい妻に懸想したとき、
その恋文の代筆に呼ばれたのが兼好法師であった・・・
『太平記』によるとその首尾はさんざんであって、
兼好は香をたきしめた紙に言葉をつくして達筆をふるったが、
せっかくの手紙は開封もされずに庭に捨てられてしまった。
師直は怒って、
『いやはや、ものの役に立たぬのは書家といふやつだ。
今日から、その兼好法師とやらを近づけてはならぬ』と
出入りをさしとめにしてしまったといふ。

『徒然草』といへば今ではたいていの教科書にのってゐる古典だが、
その著者が、生活のためにときにはかういふ悲哀も味はってゐたと
思ふと、なんとなく面白い。無知な田舎侍に『ものの役に立たぬ』と
ののしられ、報酬も貰へずに帰った兼好の気持ちは『徒然草』には
書かれてゐない。だが、さう思って読むとあの王朝趣味の名文の裏には、
いかにも乱世にふさわしい生活の匂ひのする知恵がちりばめられてゐる。
たとへば彼にとって、友とするに悪いものは第一に『高くやんごとなき人』
であり、続いて『猛く勇める兵(つはもの)』『欲深き人』などが並び、
逆に良い友達の筆頭は『物くるる友』だといふのである。
 ・・・・・・

いふまでもないことだが、当時の観念のなかには、
まだ『随筆家』などといふ分類はなかった。
法師とはいふものの僧として偉いわけでもなく、
吉田神道の家につながりがあるといっても
神官として身を立てたわけでもない。
和歌は『四天王』のひとりに数へられることもあったが、
あいにく二条、京極、冷泉といふ伝統ある家柄に官職を持つ
専門家として遇されたわけではなかった。
 ・・・・・・・・・・・

彼のやうな人間は当時『遁世者(とんぜもの)』と呼ばれたが、
この乱世はまたかういふ人物を現実世界のなかで生かして
使った時代であった。師直はたまたま兼好をののしったが、
彼ですら一度は兼好のやうな教養を必要と感じる時代でもあった。
そしてこのとき以来、日本社会はつねにその時代の『遁世者』を、
現実世界の内側でうまく生かして使って来たやうである。」


はい。山崎正和著「室町記」(朝日新聞社・昭和49年)には
カバー写真は、薬師山より東山を望む『京の夜明け』。
最初の2ページに写真が4枚。どちらの写真も井上博道。
本の後ろには、守屋毅氏の『室町生活誌』と『室町記』年表と
が掲載されていて味わいのある多面的な一冊。

このあと、朝日選書にはいり、講談社文庫にはいり、
そして、講談社文芸文庫へはいったようです。
わたしは、朝日選書と講談社文芸文庫は手にしておりません。
あとで、安い古本で見かけることがあったなら買うかも(笑)。


そうそう、単行本のあとがきは2ページで、
講談社文庫のあとがきは4ページでした。

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