安房の和田町にある「震災記念碑」は
関東大震災の翌年大正13年9月1日に
「南三原村民一同建之」と碑文の裏面に刻まれております。
そこには、直下型地震をもろにうけた記述が記されており、
松田 海発 下三原 沼区 最激震
白渚 中三原 一部被稍軽微
と、区ごとの激震までもわけて記してあります。
そのあとに 『 海岸一帯隆起四尺餘 』とはありますが、
津波が来たとは、碑文のどこにも記されてはおりません。
興味深いことには、戦後の昭和26年11月に建てられた記念碑
「 南三原千歳村耕地整理記念碑 」には、そのはじまりに
関東大震災に触れての記述がみられるのですが、こうあります。
「・・・・当時本県ニアツテハ安房郡ノ被害ガ最モ激甚デ
ワガ南三原村ハ海岸ニテ二米ノ隆起ヲ見為メニ海辺ノ様相ハ
一変シ津波ノ襲来ヲ案ジテ村民悉ク避難スル状態デアツタ・・ 」
以下には、被害状況が記されているのですが、
さて、今の私たちが、これを読むときに気をつけなければいけないのは、
実際に津浪が来たのではなくて、地震が起ると津波が来ると案じて
「 村民悉ク避難スル状態デアッタ 」ということなのでした。
この碑文にも、決して津浪が来たとは記されていないのですが、
それでも「 津波の襲来を案じて 」というのは事実なのでしょう。
その津波への恐怖を味わったことが、戦後の昭和26年の記述となって
この碑文にあらわれたということは、十分にわかるのでした。
わかることと、実際に津浪が来たこととは別なのですが、
この恐怖心が時に、津浪の有無にとってかわることもあります。
はい。そんなことを思い浮かべておりました。
もしも、震災の一年後に建立された『震災記念碑』を知らずに、
この昭和26年の『記念碑』だけを読んだとすると、
私みたいなオッチョコチョイは、津浪の恐怖だけが印象づけられます。
これを経験していた世代は、津波の事実よりも、
なんだか津浪への恐怖心が充満していたことがわかるような気がします。
「安房郡の関東大震災」は、一部に津浪はありましたが、
それよりも、正確を期すならば、それは直下型の地震であった。
ということであります。
その直下型の地震をもろに味わったのが他ならない安房郡だった。
ということを、今回の講座で指摘できればと思っております。
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