和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

情けないことだが。

2021-03-04 | 本棚並べ
最近、楽しかった本に
長田弘詩「風のことば空のことば」(講談社)が
ありました。その本の、はじまりにこうあります。

「・・・・11年間にわたり、
読売新聞『こどもの詩』の選者を務めていました。
選んだ詩に添えた『選評』だけを一冊にまとめ、
『語りかける辞典』という名前の詩集としていつか
出版すること、それが長田さんの願いでした。」(p3)

うん。この本をひらきながら、読めない片方の詩を思います。
本来なら、この各選評の前には『こどもの詩』があったのだ。
子供たちの詩が省かれ、選評だけを一冊にしているのでした。
それを私はよいと思い、いろいろ思いを馳せて、読みました。

そのつぎに、私に思い浮かんできたのは、
司馬遼太郎の文「私事のみを」のはじまり。

「唐突のようだが、
ギリシャ語で象徴ということは割符(わりふ)のことだという。
まことに情けないことだが、作家は割符を書く。
他の片方の割符は読者に想像してもらうしかないのである。
どんなすぐれた作品でも、50%以上書かれることはない。」
( 司馬遼太郎「以下、無用のことながら」単行本p336 )

さらに、桑原武夫の「今西錦司序説」へと触れてゆきます。
この文に、

「私は最近、師友のポートレートを集めた『人間素描』
という本を出した。その目次を見て、吉川幸次郎先生と
今西錦司先生がありませんね、と言った人がある。そのとおりだ。
この二人については、おそらく私がいちばんたくさんデータを持っており、
・・・・『今西錦司における人間の研究』は書いてみたい気もするが、
しかし、それにはたいへんな努力を必要とするし・・・」

こうして、とりいそぎ『今西錦司論序説』をはじめておりました。
つまり、桑原武夫氏による傑作は書かれずに終ってしまいました。
この『序説』などを手がかりとして、おのおの各自思い描くのみ。

今西氏から桑原武夫に、朝の五時前に電話がかかる場面を
またしても、引用してゆきます。

「朝の五時前に電話がかかった。いま七条駅の待合室にいる。
すぐ来てくれ、と力ない声で今西がいう。初発電車をまって
行ってみると、青い顔をして浮浪人たちのなかから出てきたが、
私を見て少し表情が明るくなり、どうしたのだ、という私の問いには、
ウンとだけ答えただけで、おおきに、もう帰ろう、と言った。

そして二人は北行きの電車に乗った。
あのころ、彼はよく沈鬱であった。そうした気分から彼を
いわば引きだす大きな力は、園子夫人によってあたえられたと思う。
しかし、ここは今西夫人論にまで言及する場所ではなかろう。

そのあとでも、彼は突如、不機嫌になり、
半日も山のなかでものを言わぬことがあったりした。・・・」


司馬遼太郎は、書いています。
『どんなすぐれた作品でも、50%以上書かれることはない。』
この言葉を踏まえると、
「今西錦司論序説」で、備忘録がてら触れておられた。
『ここは今西夫人論にまで言及する場所ではなかろう』
という、書かれずじまいだった箇所を思い浮かべます。

ここから、ダブって思い浮かんでくる司馬遼太郎氏の言葉は、
『他の片方の割符は読者に想像してもらうしかないのである』。

書かれずじまいになった『今西夫人論』は、あとはもう、
読者自身の経験を下敷きに、想像するしかなさそうです。



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