和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

落語の入口。

2009-08-31 | 幸田文
落語を読みたいと思っておりました。
ところが、どれを読んでよいのやら、素人にはわからない。
ヘタに手に取ったりすると、落語の解説書だったりします。
いけない。いけない。
ということで、落語の入口がどこにあるのか。
横着にも、探しもせず、読みもせずにおりました。

するッテェと、ある書評が目にはいりました。
ありがたいですね。書評というのは、入口はここですョ、
と手を振ってくれている。
あとは、ハ~イと云って、その手を振る方へと出かければよいわけです。

その呼び込みの口上が、これまたいい。
ひとつ引用したくなります。

「安藤鶴夫は、劇評家である、直木賞も受賞した作家であるが、数多い仕事のなかでも、この『落語鑑賞』が小説などよりずっといい。いや一流の文学だと思っていた私はいま文庫化された『わが落語鑑賞』を手にとって昔の感動がよみがえってくるのを覚えた。それは事実。しかし私がホロリとしたのは、そんな感傷でも懐古趣味でもなかった。そこにはレッキとした理由がある。
まず第一にここに描かれた市井の人たちが、いかにもひたむきに生きていたからであり、第二にそれを語る名人たちの芸道一筋にかけた姿があざやかだったからであり、そして第三は、この仕事にうち込む安藤鶴夫の文章家としての覚悟が人の胸をうったからであった。」

「そう、これは単なる高座『見たまま、聞いたまま』ではない。むろんモトがなければ不可能だが、そのことを前提にして、これはほとんど創作。なまじの小説とは違う、文学としての質の高い仕事であった。それに安藤鶴夫は片言隻句、言葉のこまかいニュアンスに実に厳格だった。目の前の噺を書き取る困難さの上にこの厳格さ。この苦労が一人の人間を文章家にした。」

これが、毎日新聞2009年8月23日の書評欄に載っていたのです。
評者は渡辺保。
河出文庫・安藤鶴夫著「わが落語鑑賞」(1260円)の書評なのです。

ということで、私は古本を、購入。
古本は、ちくま文庫「わが落語鑑賞」で680円。
さっそく読みました。内容は。天下一品。
私は、こういう本を読みたかった。と読みながら思っておりました。
あとには、福原麟太郎氏の「『わが落語鑑賞』に寄せて」が載っておりました。
そういえば、ネット検索で安藤鶴夫作品集の監修者のひとりに福原麟太郎氏の名前がある。

ちなみに、KAWADE道の手帖。「誕生100年記念特集」とある「安藤鶴夫」(河出書房新社)には、幸田文との対談があったりします。

うん。福原麟太郎氏の文のはじまりも、チラッと引用して終わります。

「安藤さんから電話がかかって来て、(手紙であったかも知れないが、どっちでもよろしい、)『落語鑑賞』の新版を出すから序文を書けという。馬鹿なことを言っちゃいけない。・・・・・私は永の安藤ファンで、『落語鑑賞』の初版が出たとき、それはいま奥付で見ると昭和27年11月15日らしいが、実に感嘆して、たちまち全巻を読み上げ、ぼくが死んだら、この本をお棺の中へ入れてくれと、家の者に言った。それは家内も覚えているし、私も覚えている。それほど感動した本に何か書きつけろという・・・」
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