和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

世論指導者。

2009-08-25 | 朝日新聞
徳岡孝夫著「『戦争屋』の見た平和日本」(文藝春秋・1991年刊)は、
はじめに「『索引』のない社会」という4頁ほどの文がついております。
なかに、こんな箇所がある。

「・・混沌の中にも一つの基準があるとすれば、辞書、事典類などのつぎに、索引のある本を手近に置いていることだろう。たとえば日本古典文学大系は後ろの棚に押し込んであるが、その索引だけは手近にある。百科事典も、索引一巻のみはすぐ手の届くところにある。なぜそうするかといえば、索引のない本は、内容を覚えていないかぎり、簡単には役に立たないからである。・・・一般に横文字の本は、詩か小説か随筆でないかぎり索引がついている。ついていなければ、まともな本として信用されないからである。・・・
索引がないから、日本の学者やジャーナリズムは、世の流れに浮かぶうたかたのような説を立て、そのくせ枕を高くして眠ることができる。・・・
幸か不幸か、この国は『索引なき社会』だ。時に応じ機に乗じ、だれでも無責任な説をなし、世に好まれるものを書きとばすことが可能だ。流行すたれば、世間は都合よく忘れてくれる。ありがたや、ありがたや。」


さて、この本の第三章「平和日本」に
「『ビルマの竪琴』と朝日新聞の戦争観」という文が掲載されております。
まずは、そこに竹山道雄氏が書いた「ビルマの竪琴」についての言及があります。

「あの本が出た当時、それよりもっと切実な響きを持っていたのは、戦友たちの『おーい、水島。一しょに日本にかえろう!』という叫びだった。なにしろ、何十万という父や兄が、まだシベリアにいた時代である。戦友の呼びかけよりさらに強烈だったのは、『ああ、やっぱり自分は帰るわけにはいかない!』という水島の拒否の声であった。当時の日本人には、それはほとんど信じられないほどの異常な意志に聞こえた。『流れる星は生きている』が好例だが、あのころの日本人は、とにかく何がなんでもいったん故国に帰り、まだ存在している山河を確認してからでないと生きていけなかった。それほど打ちのめされていた。ビルマに残って日本兵の遺体を弔いたいという水島の意志の強さは、今日の人が想像できないくらいであり、その水島を創造し得た竹山さんも強かった。
あの小説を書いた前後のことは、竹山さん自身が『ビルマの竪琴ができるまで』の中の述べている。戦地からの気の毒な復員兵(その多くは彼の教え子だった)を毎日のように見て、『義務をつくして苦しい戦いをたたかった人々のために、できるだけ花も実もある姿として描きたい』というのが動機だった。
『当時は、戦死した人の冥福を祈るような気持は、新聞や雑誌にはさっぱり出ませんでした。人々はそういうことは考えませんでした。それどころか、『戦った人はたれもかれも一律に悪人である』といったような調子でした。日本軍のことは悪口をいうのが流行で、正義派でした。義務を守って命をおとした人たちのせめてもの鎮魂をねがうことが、逆コースであるなどといわれても、私は承服することはできません。逆コースでけっこうです。あの戦争自体の原因の解明やその責任の糾弾と、これとでは、まったく別なことです。何もかもいっしょくたにして罵っていた風潮は、おどろくべく軽薄なものでした』」

さて、ここまでが「ビルマの竪琴」に関することですが、
次に、原子力空母エンタープライズの佐世保入港を評する竹山道雄氏の寄航に賛成の意見と、それに対する朝日新聞「声」欄での二ヶ月半にわたって続く論争にテーマが絞られていきます。

「投書主、とくに竹山さんを批判する人に、職業を主婦や学生と書いている人の多いのは面白いが、荒正人という有名人も竹山批判派として参加した。荒氏は『ソ連は東欧を衛星圏にした』という竹山反論の一節を取り上げ、『一例をあげればチェコスロバキアでは国民の70%以上が第二の家を所有し、各種の福祉施設も発達し・・・共産圏でも、生産が豊かになれば自由化は必至です』と批判しているが、なんぞ計らん、この六ヶ月後にはソ連軍の戦車がそのチェコになだれ込んだのである。何という浅薄な言論。何という竹山さんとの違い!『声』欄での論争は、二ヶ月半のあいだ、かなりはなばなしく行われた。竹山さんも二度、反論の機会を与えられ、社会面にも取り上げられている。・・・だが、それ以後の『声』欄には竹山さんの文がない。私は竹山さんが批判に負けるかイヤ気がさして反論を打ち切ったのだろうと思っていた。そうでないと知ったのは・・『主役としての近代』(講談社学術文庫)という竹山さんの本を読んでからである。『これに対して、私はその日のうちに投書した。返事はつねに問とおなじ長さに書いた』これを読んで、私は唖然となった。つまり、朝日新聞がボツにしていたのである。・・・・
竹山さんは『これはフェアではないが・・・投書欄は係の方寸によってどのようにでも選択される。それが覆面をして隠れ蓑をきて行われるのだからどうしようもない』と続けている。日ごろから朝日の『声』欄のあまりの整いかた、ある種の傾向に気がついていた一人として、私は竹山さんに同感せざるを得ない。あの欄は、意図的に一つの風潮をつくろうとしていると私は思う。すでに毎日新聞のコラム『変化球』に指摘されたように、朝日は『ここに甦る朝日投書欄の三十年 完結!』と称して、朝日文庫から六冊本で『声』のアンソロジーを出した。そして、その中から、この『ビルマの竪琴論争』は、みごとに消されているのである。」(~p325)

とりあえず、古本屋から竹山道雄著「主役としての近代」(講談社学術文庫)を買ったのでした。
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