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和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

筆を動かしてみないと。

2015-05-28 | 本棚並べ
小林秀雄の短文「青年と老年」が
思い浮かんだので、出してきた「考へるヒント」。
昭和54年の小林秀雄全集第12巻「考へるヒント」の
解説は福田恆存でした。
ということで、その解説を読む。
というか、その解説で引用されていた箇所を
あらためて引用してみる。

それは「考へるヒント」にある
「學問」と題した文のはじまりでした。


「私の書くものは随筆で、
文字通り筆に随ふまでの事で、
物を書く前に、計画的に考へてみるといふ事を、
私は、殆どした事がない。
筆を動かしてみないと、
考へは浮ばぬし、進展もしない。
いづれ、深く私の素質に基くものらしく、
どう変へやうもない。」


う~ん。
現在のワープロの打ち込みは
筆を動かすのと、どうちがうのか?
なんてことを考えます。
さしあたり、
ワープロの打ち込みの文は
対談を文章におこしたようなものでしょうか(笑)。

ついでに
「批評」という文のはじまりは

「私は、長年、批評文を書いて来たが、
批評とは何かといふ事について、あまり
頭脳を労した事はないやうに思ふ。
これは、小説家が小説を、
詩人が詩を定義する必要を別段感じて
ゐないのと一般であらう。
文学者といふものは、皆、やりたい仕事を、
まづ実地にやるのである。私も、
批評といふものが書きたくて書き始めたのではない。
書きたいものを書きたいやうに書いたら、
それが世間で普通批評と呼ばれるものになつた。
それをあきもせず繰返して来た。・・・」

う~ん。久しぶりの小林秀雄。
以前も、分かったような分からなさだった。
今度再読したら、やはり分かったような
分からなさになりそうで。それでも
その分からなさの、分量が分かるかもしれない、
という再読への期待。
それを楽しめることを期待して、まずは
読まないだろうけど、本棚に並べてみる。
というか、本棚並べなら簡単(笑)。
コメント
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