序
五井 昌久
人間は本来、神の光であり、宇宙神の
みこころを、この地球世界に体現してゆく
存在なのである。
ところが、この光ということを、言葉や
イメージにとらわれて、変にせせこましく
とらえている人達が案外多いのである。
無礙の光は、まったくほがらかに、
この宇宙世界を照らしているのであり、
人間一人一人は、その光の照らし手
であって、この光明に恥じる存在では
決してないのである。
この光をかがやかすために必要な
ものは、ただ、神に対する無邪気な
信頼につちかわれた純な魂である。
このことを、私はこの一巻において
強調したつもりである。
神の光は、ほがらかに、つねに
我等をみちびいてゆく。世界平和の
祈りのなかに、人間の本心のなかに、
この光は絶えることがない。
昭和61年10月18日
五井 昌久
人間は本来、神の光であり、宇宙神の
みこころを、この地球世界に体現してゆく
存在なのである。
ところが、この光ということを、言葉や
イメージにとらわれて、変にせせこましく
とらえている人達が案外多いのである。
無礙の光は、まったくほがらかに、
この宇宙世界を照らしているのであり、
人間一人一人は、その光の照らし手
であって、この光明に恥じる存在では
決してないのである。
この光をかがやかすために必要な
ものは、ただ、神に対する無邪気な
信頼につちかわれた純な魂である。
このことを、私はこの一巻において
強調したつもりである。
神の光は、ほがらかに、つねに
我等をみちびいてゆく。世界平和の
祈りのなかに、人間の本心のなかに、
この光は絶えることがない。
昭和61年10月18日