30年前の久留米の夜の街「文化街」は、大変、賑やかな繁華街だった。人口一人当たりの飲食店の数は、当時の久留米が、西日本で一番だった。その頃、小生も、弱冠30歳で、仕事バリバリ。文化街のスナック13件にボトルをキープしていた頃だった。久留米の街は、ご存知、大手タイヤメーカーの発祥の地。従業員であれば、スナックは「ツケ」で飲めた。当時のボーナスは、ほとんど「文化街」のツケの精算に充てていたのを覚えている。今回、久々に「久留米の夜」に繰り出した。なんと、当時、お世話になっていたスナックが今でも店を開けており、ママも健在で、いまでも、店に出ているとのこと。場所も当時のままとのことで、そのスナックへ直行、お互いの息災を祝い、久々の乾杯。昔話に華が咲いた。もう1件、当時のママが元気でやっているということで、スナックのハシゴ。そこでも同様に昔話で盛り上がった。というわけで、当時のお店で残っているのは「2件のみ」。ほとんどのお店が代替わりしていた。最後の締めの「とんこつラーメン」の行きつけの店でも、世代交代となっていた。味も微妙に、落ちていた。 おしまい