僕のありえない日々

受け入れがたい日常について

痩せ我慢の美学

2012年09月19日 | おぼえたこと
「探偵はバーにいる」に感化されている日々。
映画版も、小説版もいろんなシーンが心に焼きついている。
もちろん映画になかったシーンも、自分の中では大泉洋で再生されているわけで。

あとがきで「やせ我慢」という言葉に「ハードボイルド」というルビがふってあった。

ハードボイルドというジャンルというか、定義を正しく理解していない僕。
ハードボイルドってなんなのかね。

だけど「やせ我慢」ってのはわかる。
やせ我慢とは、苦しい時に平気を装うこと。不快な時でも明るくしてること。
例えば、電車でご老体に席を譲ったとしたら、その横で立っていても平静を装うこと。
あんな感じだろう。

仕事で嫌なことがあったときとか、人間関係で悩んだときとか、苦しいことはいろいろあるだろう。
そんなときに、苦しさを表現することは問題ないと思う。苦しい時は苦しいといえばいい。
逆に、表現しなければ仕事に支障が出るときもある。

けど、
可愛い人の隣で動揺を抑えることとか、子供に自分の飯を与えて涼しい顔をするとか、退屈な飲み会なのにニコニコ笑っていることとか。
そこで逃げ出さずに、不満を見せずに、不快な顔をせずに、自分の心を騙す。
それは、僕は美徳だと思う。
かっこいいことだと思うわけで。

それがハードボイルドだといえば、含まれているんじゃないのか。

探偵はバーにいるの「俺」だったり、紅の豚のポルコだったり、トライガンのヴァッシュだったり、忠臣蔵の大石内蔵助だったり。
見た目や普段の振る舞いはドーショーもない。それは実は、中にある「何か」を隠すための演出だったりする。
それは痩せ我慢の最上級なんじゃないの?
それはある意味ハードボイルドなんじゃないの?

そいうことが、僕はかっこいいと思うわけで。

ただ、思いつくままに書いてみた。


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