僕のありえない日々

受け入れがたい日常について

金沢旅行

2010年09月25日 | おぼえたこと
先日、金沢へ行きました。
一人で母校の周辺を車でぐるぐると探索しました。
10数年前から町並みはすっかり変わっており、友人達が住んでいたアパートも借家も無くなっていたり、学校の敷地になっていたり。
アルバイトをしていたレストランも居酒屋に代わっていました。
ですが、そのころに通ったゲームセンターや、ラーメン屋、牛丼屋などはまだ営業しており、非常に懐かしい思い出がよみがえってきました。

お世話になった学生寮はまだ運営していました。
当時、平日はアルバイトをしなかったので、いかに安く遊ぶかというのがテーマでした。
そんなことを思い出したら、寮長に挨拶をしようと突然思い立ちました。
手ぶらだったのでコンビニで煎餅を買い、申し訳程度のお土産を持参して挨拶に伺いました。
当時と現在の生徒の違い、教育問題などいろんな話をしていただきました。
「あの頃に金沢という町をもっと知っておけばよかった。友人達ともっと接すればよかった。今振り返るとやり残したことがたくさんある」
と言えば
「そうでもない。その頃は精一杯だったはずだ。あの頃に努力したものがあったから今があるのだろう」
と返していただきました。
「あの頃の後悔は今現在への戒めにもなりますしね」
非常にいい時間を過ごさせていただきました。

そして金沢でご飯といえば近江町市場の海鮮物が有名ですが、当時は貧乏学生だったためそんな贅沢はできませんでした。
500円で食べられるおいしいもの。
600円出せばおなかいっぱい食べられるもの。
700円ならば食べ過ぎて次の日も動けなくなるもの。
そんなB級グルメと呼ばれるものしか知りません。
この日の夕食には第七ギョーザの店のホワイトギョーザ。
http://www.white-gyouza.co.jp/branch/kanazawa.html
次の日の昼食にはチャンピオンカレー(当時はターバンカレー)のLカツカレー。
http://chancurry.com/
を食べました。どちらも当時を思い出す、おいしくておなかいっぱい食べられるものです。
またお土産には、地元でよく使われる味噌なべの味噌「とり野菜味噌」を購入しました。
http://www.toriyasaimiso.jp/
鍋物の味噌としてもおいしいですし、味噌汁の味噌としてもおいしいのです。
今ではオンラインでおいしいものを注文できる時代になりました。

金沢は一般的には「古都」や「伝統」のイメージが強いのですが、どうしてもそういう所を紹介する部分を持ち合わせていません。残念ながら他の人を連れて行っても満足していただくことはできないでしょう。
また金沢に訪れる機会があれば、もう一度あの学生街をぐるぐる回って懐かしい味を楽しみたいと思いました。

感動しました

2010年09月19日 | おぼえたこと
外人が日本人を特別視してるってのは、自分の国の歴史少しでも知ってたら誰でも分かるだろ。
まず、資源が全くないってことはすごいこと。もう両手両足もがれたぐらいのハンデ。
しかもすごいのは、米国の3分の1の人口、わずか25分の1の領土で、
その上ただでさえ極小の国土の7割が山、山、山。なーんにもない、山・・・。
だから農業で輸出して食べていくことすらできない。条件からして最貧国でもおかしくない国。
そんな国が、100年ほど前で当時世界最強クラスだった露助とか清をあっさり倒して、
非白人国家で普通に白人常任倶楽部仲間入りしちゃってて、おまけに米国敵に回して
ガチで戦争して、世界で唯一米国本土爆撃して、英国の無敵艦隊フルボッコにして、
オランダ倒して、世界で唯一原爆落とさせるほどてこずらせて。しかも二発だよ。二発。考えられない。
敗戦とか言ってるけど日本のせいでアジアから白人の植民地全部消されたし。

しかも信じられないのは、
戦争に負けてただでさえ何にもない国がさらにインフラまで全部叩き潰されて、
多額の賠償金まで背負わせて100%再起不能にしといた極貧衰弱国家で、
今度こそ生意気なイエローモンキーが消えて数百年はウザイ顔見ないで済むと思ってたら、
直ちに再び白人社会に経済で参戦して来くさって、参戦どころかごぼう抜きで
たった2,30年であっという間に米国さえ抜いて世界第一位。
東京の土地だけで米国全土が買えるほどの呆れた価値になっちゃう程の超絶経済力で
世界中( ゜Д゜)ポカーン・・・状態。
その後もずーっと二位維持。頭一本でそれ。
しかも経済の80%が内需。内需だけでそれ。
金融とかでまだ全然進出してないし車や家電、工業製品ももまだまだ進出しきってなくてそれ。
もうキチガイの域。伸びしろありすぎワロタ。戦後60年一発も打たずに侵略せずにこれ。
何気に世界最長寿国とかなってる。
んで今度は漫画・アニメ・ゲーム。気がつけばハリウッドの規模とっくに超えてる。
アメリカの検索で一位になってるのが日本のアニメとか。
世界中で一番人気の映像作品が日本のアニメとか。
極めつけは世界一長い国号、2000年のどの白人より長い王室ならぬ、
その上の皇室保有。エンペラーに代表される歴史。
普通の神経してたらこんな国怖くて関わりたくない。

We Are The Worldがすごい

2010年09月15日 | おぼえたこと
YouTubeの素人達が歌ったWe are the worldがとてもすごい。
最近話題の動画だそうです。
We Are The World 25 For Haiti (YouTube Edition)

素人のみの構成だと思います(中にはプロっぽい人もいますが)本当に本人が歌っているんでしょうか?と疑ってしまうほどの完成度です。編集のクオリティも高いです。
歌詞についても、具体的ではないにしろある程度の意味もわかりますのでやはりWe Are The Worldっていい歌だと思います。

こちらの動画もすごい。一人でほとんどのパートをものまねしています。
ものまね We Are The World 神歌


本物の方が聞きたくなったので。For Haiti
We are the World 25 for haiti アーティスト名&歌詞付 日本語訳付


USA for Africa
We are the world アーティスト名&歌詞付 日本語訳付


そして完成度の高いものまね。笑えます。歌うまいのに意識しすぎて逆におかしい。
よく見ると立ち位置もデュオ部分の絡み方もまねています。
We Are The Worldをカバーしてみた。



キャッツアイも復活

2010年09月14日 | おぼえたこと
最近、というかここ数年で完結したはずの漫画の続編が多く描かれていますね。
たとえば、北斗の拳→蒼天の拳や、キン肉マン→キン肉マン二世、シティーハンター→エンジェルハート、流れ星銀→ウィード、魁!男塾→暁!男塾

今度はキャッツアイが作者を変えてリメイクされるようです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100913-00000001-mantan-ent










だいぶ雰囲気が違いますね。

槇原敬之 - どんなときも。

2010年09月10日 | おぼえたこと
仕事帰りの車内で、停車中にカーナビのテレビをつけたら音楽番組が流れていた。
アルバムの売り上げが多かったアーティストの紹介をしていて、その中で槇原敬之の「どんなときも。」が一瞬流れた。
学生のころや仕事を始めたころは槇原敬之が好きで、特に「どんなときも。」はあれほど何度も聞いた曲はなかった。
学生のころにこの歌を聴いて「こんな詩のようなことが思える人間になりたい」と思っていたことを思い出した。
そんなことを思うと、不意に涙がこぼれそうになり「こんなことで泣くようでも人として弱いだろう」と強がって、こぼれないように気を紛らわせた。

槇原敬之 どんなときも。




 どんなときもどんなときも
 僕が僕らしくあるために
 「好きなものは好き!」と
 言えるきもち抱きしめてたい
 どんなときもどんなときも
 迷い探し続ける日々が
 答えになること僕は知ってるから


彼はいろいろ問題はあったが、10年以上も前から彼の書く曲は好きだし「世界にひとつだけの花」についても非常に高い評価を得ている点でも、彼の才能はすばらしいものだと思う。
犯してしまった過ちも他人へ誤解も「迷い探し続ける日々」の一つなのだから、これからもストレートないい曲をもっと書いてほしい。


自動販売機で

2010年09月08日 | おぼえたこと
普段はブラックコーヒーをよく購入している。
いつものように自動販売機でブラックコーヒーを買い、車内で飲もうとした。
口をつけたら「どろっ」としたものが口の中に入ってきた。
びっくりして購入した缶を見てみた。
それはコーヒーゼリーだった。
http://news.walkerplus.com/2010/0406/17/
多分、自販機の業者が間違えたのだろう。
予想していた味や食感が違うものが不意に入ってくるのは、非常に気持ちが悪いものだった。

食感は慣れなかったが、案外おいしかった。

Que sera sera

2010年09月05日 | おぼえたこと
毎年同じ言葉を言っているような気がするが、今年の夏は暑い。
いや、暑かったと表現するほうが正しいだろう。もう9月に入ってしまった。
なかなか涼しくならない。逆に9月4日(土)の気温は37℃を越え、8月よりも暑かったのではないだろうか。
その暑さにやられたからか。または、ここのところ家族の体調不良が続いたからか。もしくは、仕事が佳境に入ってきたからか。まったく元気が出てこない。

苦しいことには目を瞑り、心を閉ざせばその苦しみも消える。
だが気力が沸かないときにはどうすればいいのか。
元気がないときには、その答えをもなかなか見つけることができない。
負の状態である自分自身に、またはこの状況に対して執着せずに思考を停止してしまおう。
そして何も考えずに仕事へ行くための足を一歩踏み出せばいい。

それは仕事に対して無責任かもしれない。だが、人である限り、毎日が最高のコンディションであることは難しいだろう。
365日毎日快眠できることの方が非凡ではないか。

執着せずに思考を停止すること。
それはつまり 無の境地 なのかもしれない。
しかし、対仕事に対して思考を停止すれば、それは 無責任 というものかもしれない。
だが日常的でなければそれでもいいだろう。
精神的に健康を取り戻すための緊急回避だと理解しておけばいい。

頑張らずに仕事に行こう。

二日酔いから気がつくこと

2010年09月04日 | おぼえたこと
二日酔いになると気がつくことがある。
人間の体というものは、すごいバランスの上に成り立っているものであるということを。

アルコールを飲むと、それが体内でアセトアルデヒドに分解される。
分解される際に体内の水分を多量に使い、脱水症状になる。
脱水症状の結果として、頭痛が起こる。

アルコールが体内に入っただけでも痛みが起こる。
しかし、体に痛みを感じさせるのはアルコールだけではない。
それは小さな切り傷かもしれない、微細なウイルスによるものかもしれない。
何しろ、些細な原因で人間の体は痛みを感じる。

逆に言えば、痛みを感じないことの方が稀な状態なのかもしれない。
痛みを感じる原因が微塵としてないことの方が、稀有なことではないのだろうか。
体に痛みを感じないこと、その状態であることに感謝しなくてはならないと思う。
健康な体でいるときには、そのことをつい忘れてしまうようだ。
健康であること、どこにも痛みを感じないこと、そのことに感謝しようと思う。

あえて断言するが、決して今が二日酔いであるからここに書いたわけではない。

なお二日酔いの頭痛を抑えるためには、アルコールを飲んだ後に多量の水を飲むことで、翌日の頭痛はある程度抑えられる。


カラオケについて

2010年09月01日 | おぼえたこと
先日飲み会を開いた。
2次会でカラオケに行った。
10人ほどでカラオケに行ったので非常に盛り上がった。
一方で10人ほどになると、予約をしても自分が歌えるのは何曲も後になってしまう。
歌うだけなら少人数で行くほうが多く歌える。

ただ歌うだけなら一人カラオケでも十分楽しめる。
即に、ジョイサウンドでは自分が歌った歌が録音されて聞くことができるシステムができた。
自分の歌を聞いてみると、意外にも自分の想像とは違う雰囲気で歌っていることに気づく。
そこで、一人でカラオケに行けば、自分の歌を聞くことで休憩もできるし、同じ歌を修正して歌ってみることができる。
カラオケは多人数でも楽しいが、一人でも楽しめる。

最近では、友人をカラオケに誘うよりも一人でカラオケに行く機会のほうが多い。