四国の空と海へ

1997.5/3から 四国八十八ヶ所霊場 を巡拝させて頂いた事が
第二の人生のスタ-トに成った。

野根から・・・>室戸岬へと(2)

2006-01-30 13:55:46 | 不思議な事って有るんだ!
AM11.50 昼食にする。 アンパン・二色パン・牛乳・リンゴ・お茶で満腹。
雨が又降り出した・・昨日まで二日間一緒だった、M君はその後どうして居る
だろうか?今日は歩いていないかも・・気に成った・・健闘を祈った。

それにしても、今日の雨・風・雷は凄かった!雷の嫌いな人だったら歩けな
かったと思う。
防水カッパも防水靴も、全然用を成さなかった。
雨の中、通過する車達は避けてくれる人、まともに雨水を撥ね付けて行く人
・・・あの雨の中では仕方がないか。
傘も、風圧・雨圧でまともに差せずに、金剛杖の力をお借りした。
PM12.30 スタート
 *ここから、今日の宿泊地までの記録が無い・・・?
  唯、宿坊へ途中で、お断りの電話を入れている。
  そして、宿坊へ行く途中にある、「ホテルニューむろと」に宿泊のお願い
  をしている。

PM4.00 「ホテルニューむろと」に到着した。 ホッとした。
 お待ち申しておりました。 さあさ、お部屋にと案内して頂く。
土佐弁丸出しの、おばちゃん全部出して・・靴・カッパ・着ている物・・・
リュックの中のを見ると、納経帳・日記帳はビニールの袋に包んで有ったので
濡れなかった!が、同じ様にしていた下着類・靴下等は濡れていた?
リュックにも、雨用のカバーをしたが・・・どうして、雨水が入ったんだろう?
その位、凄い風雨だったんだ!
浴衣を出してくれる・・パンツ・・逡巡していると・全部全部・・
すっぽんポンになった!!!
さあさ、お風呂へ・・・冷えた体を温めて~・・・。

雨の中、送り出して頂いた「まるたや」さんへ、電話を入れる。
お婆ちゃんが出る・・凄い雨でしたが「最御崎寺」さんの、近くの宿に
着きました。
良かったですネ~凄い雨でしたので、主人と心配をしていました。
ご主人に宜しくお伝え下さい。
良い旅を・・・と、お婆ちゃん。 南無大師遍照金剛 合掌・・・

お風呂は、窓の無い不思議な所であった。
身も、心も解れ・・・暖まった。

雨は断続的に降っているが、視界は開けた「太平洋」は素晴らしい。
沖を大型船が、高知の方角に行く・・・。
ホテルの前庭の池(プール?)には、「大きな亀」が何匹も泳いでいた。

ホテルに入る少し前に、高さ数十メートルの大師像があり、写真を撮った。
不思議なことに、大師は白く写っていた・・・像の素材のせいか?分からない。

親切なおばちゃん(古谷さん)、私が、急ぐ旅でもないので・・・と言うと
「駄目ッ」・・早く周って、早く家に帰りなさい。
訳をお聞きすると、主人は捕鯨船に乗っていて、帰って来るまで「心配で心配で」
と、おっしゃった。  合掌・・・
















































野根から・・・>室戸岬へと (1)

2006-01-28 14:58:26 | 不思議な事って有るんだ!
1997 5/14  (昨夜 5/14 宿泊地 最御崎寺の宿坊の予約を頂く。)

AM2.00 雨の音で目が覚めた・・・凄い音・・・。

AM5.00 起床 体操 雨は相変わらず降っている。
今日の歩きは、三十キロどんな装備で行こうか?

昨夜夢を見た・・・私の部屋に、知らないお爺さんとお婆さんが、横に
寝ていた。 古い家なので、祖先の人なのか・・・?
古い家には、色んな人達が生きて来たので、それなりの重いものがある。
  朝 気がついたが、高校生の頃から引きずっていた「劣等感」が、ス~と
消えていた !!!  昨夜の、お二人さんが引き取ってくれたのか?

AM7.00 ご夫妻に見送って頂き、雨の中をスタート。
暫く歩いて振り返ると、ご主人が一人立って見送っておられた。
手を振って、お礼を申し上げた・・声は届かないが・・・。 残心・・・
  今・・・
(塩さんが本州一周の旅をした時に、新潟で「ぼん太さんとふうせんかずらさん」
にお世話になり、翌朝お別れして暫く歩いて、振り返るとふうせんかずらさんが
飛び上がりながら、手を振ってくれていた事を思い出した。)

雨の中をひたすら歩きに歩く・・・AM8.50 無人の家が有ったので軒先で休憩。
海に近い遍路道を歩いていると、太平洋からの大きな波が、磯近くで盛り上がり
泡を立てながら、一瞬エメラルドグリーンの色を見せ、岩や砂浜に音を立てて
散って行く・・・美しい。

歩きながら、杖に書いてある「般若心経」の一行を覚えた。
雨風の音に負けない様に、大声で唱えながら歩きに歩く・・・。
雨傘も飛ばされそう・・・。
雨宿りする場所があり、レインウエアーの上着を着けた。
宿を出る時に、お婆ちゃんに上着も着て行く様に言われたが、蒸し暑いので
着けなかった。 お年寄りの言う事は、素直に聞く事だ。

AM9.15 雨・・・風・・・右に左に 雷の音・・・海も鳴いている!
            
道が川に成っている。
雨は上から下から降って来る・・傘の柄に金剛杖を付けて、支えながら歩く。
小牟禮専務が、四国の雨はこんなに太いよと、親指と人差し指を丸めた事を
思い出して、苦笑した。

AM11.40 小雨になり、海が目の前にしか見えなかったのが、急に遠くまで
広がった。
ブロックで出来たバス停がある。椅子が二つ・・今日初めて腰をおろして
休んだ・・ホッとした。
視界も広がり、右の方に奇岩が霧の煙る中に見える。

 * 雨強し傘を支える遍路杖
 * 雨の中契りは堅し夫婦岩 (俳句・川柳の素養も無く恥ずかしい)
    
































旅館 まるたや さんへ・・・

2006-01-27 13:22:11 | 雑感
PM12.20 スタート サーフィンをする人の中に、外人もチラホラと居る。
雨も降っているが大した事は無い。
勤めていた会社の送別会で、小牟禮専務は四国の雨はこんなに太いよと
人差し指と親指を丸めて見せたが、小さく細い・・。

酒屋さんの軒先で休ませて貰っていると、横の畑でカボチャに肥料を与えて
いた、ご老人が来て話す。
自分達で食べるんで無く、近所の人達に上げるんですよ。
私は四国の生まれですが、私を含めて周りの人で、巡拝をした人は居ない。
大変な事ですネ~。

野根の町並みに入ると、変わった色の猫が近ずいて来たので頭をなでてやる。
私の指を舐めてくれた。そこに老犬が、家に帰って来たので声を掛けたが
知らん顔・・ヨチヨチしている。家の人が出て来て、この犬は十五歳で
好きな時に一人で散歩に行っています。
四国では、犬の放し飼いが目に付く。(十年近い昔の事で、今は違うだろう。)

PM2.30 まるたやさんに入る。
お爺ちゃん、お婆ちゃんに出迎えて頂く。早速にお風呂へどうぞ・・嬉しい。

リュックの中身の点検をして、必要の無い物を、宿の前の郵便局から返送した。
ジャーも返したので、水分補給は自動販売機に頼ることになる。

夕食は、食堂でご夫妻とご一緒の家庭料理であった。
四国では今が旬の「鰹のたたき」に、ニンニクのスライスが付く。美味しい。
お爺さんとの話が弾む・・・この家は何代も続く、造り酒屋で有ったがS50年
に廃業して、旅館をする様になった。関学を出て、家業を継いだが時代の流れ
で、今の仕事をしながら町会議員・議会の議長・・そして天皇陛下から「勲章」
を頂きに、奥さんと行って来た。
そして引退・・・今は鮎釣りを愉しんでいる。歳は七十七歳!!!
風貌は、七十七年風雪に耐えてきた顔だった。
お婆ちゃんは、両方のほっぺが落ちそうな「福相」であった。

TVでは大相撲の時間で、地元の「土佐の海」が出て、ご主人気合が入る
土佐の海が勝った・・・ヨーシ!!!
地元の人の喜び方は違う!!
夕食後はいつも散歩に行くと言っていたので、部屋に引き上げようとすると
引き止められて、話が続く・・・約二時間余・・話は尽きない。

今日は思っていたより雨が少なく助かった。
TVでは、明日は一日中強い雨が降るでしょうと言っている。

早めに寝よう。

 *宿泊代 5.800円

 *歩いた距離 23.6KM 累計 235KM
























修行の道場へ (阿波の国・・・>土佐の国へ)

2006-01-26 11:54:04 | 四季
1997 5/13 (11日目)AM5.00 起床 体操
 AM6.00 朝のお勤めに出席する。
 AM7.00スタート 住職の息子さんが来たので写真をお願いする。
息子さん電池が切れています!!予備の電池を持って来たので、渡すと二つないと
駄目なんです。
息子さん写真好きで、予備の物が有りますと持って来てくれた。 嬉しかった。
代金をお支払いする。 本当に助かった・・・この辺では、売っている店が無い?

歩いて・・休み・・を繰り返して、足に太陽と空気をやっていると、M君がお先に
と歩いて行く・・・坦々とした道が続く・・・海部川を渡った所で、M君と一緒に
成ったので、写真を撮り合った。
彼の目は、充血して真っ赤だったが、今日は白く成っていた。良く眠れたんだ良かった。

AM10.00 休む・・牛乳・ヨーグルトを飲む。
海の香りが強く感じた・・海からの風が強いのか?
予想していた「雨」が、二時間早くにやって来た。
AM10.10 スタート
M君と、追いつ追われつを繰り返す・・・二人で笑い合う。

穴喰海岸 5/10~5/18まで世界サーフィン大会開催中 海では三人のサーファー
が、余り大きな波の無い中でやっていた。
雨は降ったり止んだり・・・休んで居ても・・M君は来ない・・この辺の宿に
決めていたんだろうか。 急に「淋しさ」を強く感じた。

これが、M君と係わり合った「最後の時」であった。

穴喰海岸の、海辺の遍路道を歩いて六百メートルの”水床トンネル”を抜けると
そこから「土佐の高知」だった。 鯖大師さんより、十七キロであった!!!

やった~~ 四国の1県を踏破する事が出来た。
 南無大師遍照金剛・・・・・合掌・・・
今まで平地が少なく、上下の標高差が激しかった、遍路道にも足は大分
慣れて来た。

愈々「修行の道場」へ入った。

AM11.50 都会風な食堂が有ったので昼食にする。
カントリーソングが、心地よく流れていた。接客に来た娘さんからは、
デパートに入ると直に漂って来る香水の香りがした。

ドデカ肉カレー900円とカフェオレを注文すると「カフェオーレ」ですね
と言われた。
サーフィン大会のせいか外人客も多いので、発音に拘るのかな?
カントリーソングが、軽やかに流れる・・・至福の時・・・。

































           

番外 鯖大師へと・・・(2)

2006-01-24 11:33:30 | 宗教
時がゆったりと流れている。
スタートしようと、していると四十歳代の男性が来て、清涼飲料のご接待を受けた。
 南無大師遍照金剛  合掌
その方曰く、今年の三月~四月「一気打ち」(一番さんから八十八番さんまで、一気に
巡拝をする事)で「結願」しました。
最初は足の豆で泣き、最後は嬉しさで泣きました。
色々と話してくれた後「頑張って」下さいと励まされた。ありがとう御座います。

出発前に、一人のお婆さんが来たのでご挨拶をする。
右目の下にバンソーコを張っている・・どうしました?
それがね・・こけてしもうたんです。
柔和な感じで、なんと八十歳!!!若い。 お若いですね・・気を付けて下さい。

鯖大師さんまでは、約五キロ位ですと励まされてスタートした。

トンネルが多い・・牟岐トンネル・・内妻トンネル・・・>を抜けると、真っ青の
「太平洋」が、眼下に現れた!!!!! 何だか分からないが、広大な海に感極まった。
古江トンネル・・福良トンネル・・> 海が美しい・・・もう直だ。
鬼ヤンマ セキレイが飛んでいる・・小川の水も綺麗だ。

PM3.30 鯖大師さんに到着した。 八時間三十分掛かった。
大師さんの方に聞くと、五時間と少しで着く筈です。
途中で会った人が言った「三キロ」は、三時間の事だった!!!
そう言えば、遍路マークが見えなかった。
ご苦労さんでした。何人かの親切な人達に、お会い出来た事に合掌。

隣の部屋にM君も着ていた。早かったネ~と挨拶をする。
鯖大師さんは綺麗な宿泊所だ。風呂に入り・・洗濯・・乾燥機もある。

夕食後、護摩供養の案内があり行く。
不動尊の前に壇があり、薄暗い中、火を焚いて大きな声でお経を唱える。
迫力満点・・・一座の者は、その雰囲気に引き込まれて行く。
その後、住職さんから法話があったが、記録も記憶も無い・・ご免なさい。

今日は良く歩いた・・・両足首が痛かった。(へんろ会館で宿泊)

 *宿泊代 5.750円

 *歩いた距離 30.3KM  累計 211.4KM



























番外 鯖大師へと・・・(1)

2006-01-23 14:25:40 | 植物
1997 5/12 AM5.00 起床 体操
昨夜は、M君の事が頭の中を駆け巡り中々寝付かなかった。
AM3.15 お手洗いに・・・それからも中々眠れず。
 M君へ言った三つの事と、この巡拝をどんな事があっても
「結願」するようにとメモ書きをした。
 そして「納経帳」を持ち帰ってと・・・。

朝 今日の宿泊地「鯖大師」さんえ電話で予約を頂く。M君にメモを渡す。

AM7.00 フロントで遍路道を教えてもらうも、私が思っていたとは
反対方向でビックリした。 (私は大変な方向音痴である。)

日和佐川沿いに緩やかな坂道を登って行く・・・。
清流には、大きな鮎が何匹も泳いでいるのが見える。
道沿いの小川には山椒魚がいた!!!
四国には、本当の自然が多く残っていると感じている。
大きな百足が、何匹も車に轢かれている。
お婆さんが、筵の上に何かを広げているので、何ですか?
自家用の「お茶」です!!!
自分の家で蒸して其の侭干します・・・手揉みはしません。

四国に来て、新緑の美しさと鶯の鳴き声に心が和む。
新緑の中に目に付くのは、竹の葉が落ちて新しい葉に代り
新鮮なカラーの竹林に成っている事だ。
又 森の中に色が代っている所があるので、お婆さんに
聞くと、あれは椎の木の花ですと教えてくれた。

一時間毎に、足に太陽と空気を与えながら真言を唱えながら
ひたすらに歩く。
AM10.00休憩 近くで石段造りをしている人がいたので話すと、
最近は、この旧道を歩く人は余りいません、3KM以上は遠回り
に成りますよ!!
引き返す訳にも行かず歩くより仕方がない。
昼食の用意をしてこず、持っている物は、リンゴ・せんべい・
最中(M君から頂く・二個)だけだ。

足に疲れが来ている。
左足の足首をかばっていたら、右足が痛くなって来た。
・・・全日食チェーンの店が有った。良かった!!
店の前のベンチで、足に太陽と空気をやっていたら、店の
おばちゃんが出て来たので、パンと牛乳をお願いすると・・
直に持って来て「接待をさせて貰います」。
 南無大師遍照金剛  合掌









































第二十三番 薬王寺へと・・・(2)

2006-01-22 12:51:37 | 
その後、彼とは歩速が違うので、一緒に歩いたり離れたりを繰り
返した。
PM3.30 薬王寺に到着 
岩田ご夫妻は、車の接待を受けて早くに着き、参拝を済まされて
いた。
山門の前で写真を撮りあう。 私は今日の宿泊地「薬師会館」に
行き、荷物を預けてから参拝に向かう。

「発心の道場」と言われる、阿波の国での二十三霊場の巡拝も終る。
薬王寺は、日和佐の町を見下ろす山の中腹にあった。
仁王門を入ると、女厄坂・・・男厄坂・・・とあり、本堂から六十一
段の「本卦帰還り坂」が、特長のある高さ三十五メートルの瑜祇塔
(ゆぎとう)へと続いていた。
ここで、塩さんに依頼された「厄除け」の六十一枚の一円玉を一段に
一枚ずつ、塩さんの厄除けを念じつつ置きながら登った。

本堂で、阿波の国での巡拝が無事に終る事が出来た事を、薬師如来様
にお礼を申し上げた。
大師堂では、大師と諸仏に、仏縁あってお会いした多くの人達の
親切にお礼と感謝を申し上げた。

不安であったこの巡拝も、少しは慣れて来た。
足を鍛えてくれた塩さんと、気持ち良く出してくれた家内に感謝した。

薬師会館での夕食はM君と同席をする。食後三十分位色々と話した。
PM7.30 家内に電話するも居ず、次男坊と話をしお母さんにも伝える
様に頼む。

ぼん太さんにも電話を入れる・・・楽しい会話であった。

 *宿泊代 5.750円

 *歩いた距離 28.9KM 累計 181.1KM















第二十三番 薬王寺へと・・・(1)

2006-01-21 11:48:06 | 宗教
PM2.25 ブンタンを売る店の所で休んでいると、彼がやって来た。
店の横に、水道の蛇口があったので、おばちゃんにお断りして水を
頂く。・・・ボツボツ行こうかなと思ったその時に、彼は「爆発」
した。
愛知県の・・・から来ました。名前は・M・四十二歳です。童顔な
ためか、若く見える。
父親は元校長、退職後料理屋を始める。母親は痴呆症、兄は銀行員
自分は、その料理屋の板長の下で、十年以上働いています。
店は中々繁盛せず・・・父親ともうまく行かず、喧嘩ばかりしている。

そんな中、板長が「四国霊場」を回って来いと、必要なお金を出して
くれました。
父親の話の時は、あいつ・・あの男は・・としか言わない。涙・・・

この巡拝に出してくれた、板長の気持ち、お金を出してくれたのは
父親かもしれない、お兄さんの気持ちも、入っているかも知れない。

先ず、1・巡拝に何故、出されたかを考えて呉れ。
    2・今後どうゆう考えのもとで、生きて行くかを探しに来たんだ。 
    3・総て、人の所為にするな。
と、話す。(写真は 、海部川の橋上で5/13に写したものです。)               
 
(今想うと、彼に言った事は、私自身に言った言葉でした。)

彼は、一番さんからズ~と歩いて来て、胸の内を誰かに吐き出さないと
居られない状態に成っていたんだ。





























第二十二番  平等寺へと・・・

2006-01-20 14:10:40 | 宗教
1997 5/11 起床 体操 朝食AM6.00 天気良し
Am6.40 スタート
緩やかな坂道を登りながら「般若心経」の「起」の部分25字を
何度も繰り返して唱える。
所々に野良犬が居たので、声を掛けたが無視される。

鶯の鳴き声頻り・・・竹林の中の道は、竹の葉の落葉の時期なの
かクッションの様で気持ちが良い・・・初めてのことだ。
昨日の、難所の後の、この遍路道は気持ちが休まる。
  AM8.20 平等寺 到着
桑野川を渡ると、素晴らしい仁王門がある。
本堂は山の中腹にあり、途中に諸堂が立ち並ぶ。
人々を平等に救う為に「平等寺」とした。
万病に効くと言う、霊水が湧き出す井戸があった。
参拝中に、昨夜の岩田ご夫妻が来られたので、写真を撮りあう。

AM9.30 スタート
途中 鉦打トンネルに入るも、車が通ると・・ゴーッと音が反響
凄い。トンネルを抜けると、二十三番さんまで16KMとある。

一時間歩き十分の休み・・足に空気と太陽を与えながらを繰り返す。
福井トンネル・・星越トンネル・・>・星越茶屋があり休憩とした。
昨日会った、大柄の青年が居た。
龍山荘で用意してくれた弁当を食べる。茶屋で出してくれたお茶を
4~5杯・・水1杯 そして途中で買ったイチゴ、一パックを青年と
食べた。彼が言うには体重は101Kgと・・・。
この体で巡拝は大変と思うが、頑張っている様だ。

一足先に私はスタートした。
久望トンネル・・一坂トンネル・・緩やかな下り坂・・ひたすらに
歩く・・鶯の鳴き声頻り・・風景が変化して、や~と声が出るくらい
美しい!!!






















第二十一番 太龍寺へと・・・(3)

2006-01-18 12:54:29 | 宗教
昨年人と人との出会いを投稿しましたが、その中に入る出会いでした。
今 一緒に風呂に入っている方は、元時事通信の岩田さんと言われた。
私の、この巡拝を決めた「定年からは同行二人」の著者と、一緒に
働いていた方とは・・・小林さんの事を色々とお聞きした。
思った通り、小林さんは素晴らしい人だった。
こんなにお話を出来たのも、昨日からの事が有ったからと・・合掌。
人には「親切」にしよう・・・、家内や子供達にも、今までとは違う
気持ちで接して行きたい。

洗濯物が乾いたか外に出ると、宿の前の川の向こうの田圃で、代掻きを
していた人が来たので、挨拶をすると宿のご主人であった。

色々と話していると、ご主人曰く、この民宿も・田圃も・蜜柑畑も・・
後を引き継ぐ者が居ない・・蜜柑畑は「ほったらかしや」・・・
時代の流れか、悟った様な顔で言った・・・悲しい事だと思う。
中仙道を、塩さんと歩いていた時も、この様な話は良く聞いた。

夕食後、家内と塩さんに電話を入れた。お互いに近況を伝え合う。

この民宿は、隅々まで掃除が行き届いていて気持ちが良い。合掌
ショウケンも、泊まった記念に皆さんとの写真が居間に飾って
あった。

  PM8.00 就寝  明日は30KM余の行程 

  *宿泊代 5.500円
  
  *歩いた距離 15.6KM  累計 152.2KM