四国の空と海へ

1997.5/3から 四国八十八ヶ所霊場 を巡拝させて頂いた事が
第二の人生のスタ-トに成った。

かまくら散策 (3)

2011-07-08 10:59:25 | 歴史

6/18

長谷観音堂へ  撮影禁止

弁天窟へ  ひんやりとした空気

以外の大きさと石仏にビックリ・・・大変な遺跡だ。

高さの低い所も在り、前かがみの状態・・・岩にぶつからない様気を付けた・・・小林さん

弁天窟出口

二番目の「光則寺」へ  山野草と茶花などが多い・・・鎌倉有数の花の寺

見た事も無い紫陽花

紫陽花の花だけで約二百種・・・見た事も無い山野草の花が多く、気がつけば写真を撮って居なかった。

七百年以上も前の、牢内を想像した。

今回の会には、ボランティのガイドさんが同行して、ポイントの場所で説明をしてくれた。 成る程・・・成る程だったが、その後に、私はこう考えますの話があった・・・同行の小林さん共々、チョット余分な話しだね・・・だった。

宮沢賢治さんの、詩碑は撮影出来なかった・・・木の枝に覆われていた。

 

次は、高徳院の大仏さんへ・・・何十年振りだろうか?   六十一年振りに見た!!!!!・・・・・ 頭の中に生き続けた大仏さんが在った・・・国宝だ~~~。 直感  優しい~~~。

中学三年の「修学旅行」は、鎌倉・江の島だった。

台座を含めた総高は、13.35メートル  重量 121トン  高座 11.312M  顔の長さ 2.35M  目の長さ 1M  眉の長さ 1.24M  耳の長さ 1.9M  口に幅 82CM

仏殿の礎石    此処で昼食をさせて頂いた・・・缶ビール350ML 一缶。

大仏さんの背中の窓は、初めて見た・・・鋳造の時に使用した、粘土を出すために造った。

源頼朝の侍女・稲多野局が思い立ち、浄光という僧が資金を集めて造ったと伝えられている。 暦仁元年(1.238)に着工し、六年後に完成  当初は木造であった・・・その後大風で倒壊した・・・1.252年に青銅像が鋳造されて、大仏殿に安置された・・・その後、二度の大風で大仏殿は倒れた。 その都度復興されたものの、1.498年地震の津波に流されて、露坐の大仏となった。 大正十二年(1.923)の関東大震災には倒れる事も無く現在に至っている。

大仏さんは、受難の時代が続いたが・・・でも、この慈悲深い顔立ち・・・合掌。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


鎌倉散策 (2)

2011-06-29 18:59:08 | 歴史

6/18  長谷寺  その開創は、天平八年(736) 鎌倉でも有数の古刹である。 本尊は十一面観世音菩薩は、721年徳道上人の本願により、一本の楠から二体の観音像が刻出された。 その一体が「長谷観音」の通称で、親しまれている。  総高9.18メートル 写真撮影は出来なかったが、息を飲んだ・・・素晴らしい観音さんだった。  立派な本殿

紫陽花の種類の多さと、美しさにビックリした。  配置が良い。

由比ヶ浜海岸で、サーフィンを楽しむ人達。

 

 


熊谷陸軍飛行学校 桶川分教場

2010-11-23 08:44:08 | 歴史

10月に、改めて桶川市観光協会を訪ねた時に、この飛行場のことを知った・・・高校の恩師「小野山先生」が、ここで飛行訓練をされた。 昭和19年に、撮られた写真がありビックリした!!! 飛行機の翼は二枚・・・故郷の近くに(上田市)飛行場が在った・・・そこには、同じ飛行機があり飛行訓練をしていた・・・のんびりとした風景であった・・・終戦後 千曲川の上を、グラマン戦闘機が飛行するのを見て、驚いた・・・その美しさ・速さ・音・総てが驚きであった・・・大人達は、これでは勝てる分けはねえ~

 

          

昭和二十年四月五日 別れの水盃  並んでいる戦闘機はゼロ戦・・・桶川では無い・・・九州の基地   

           

先生は、特攻隊員として九州に赴いた・・・終戦近くに敵戦闘機と交戦・・・被弾 パラシュトで脱出・・・桑畑に降りた・・・パラシュウトに引きずられて、頭に怪我をした・・・特攻に行けなくなり、一命が助けられた・・・この様に聞いたと記憶している・・・定かでないかもしれない・・・大変な時代を生きられた。

先生は、英語の教師・・・授業では、縦・横・斜めに質問し、いつ来るかとドキドキであった・・・宿題 何ページから何ページまで暗記をして来ること・・・暗記して書けるようにして来ること・・・帰りの電車の中・・・降りてから家までの三十分、歩きながら覚えた・・・家に帰ってからも、声を出しながら書いた・・・卒業してからも、先生の質問攻撃の夢を、何度見た事か・・・かなりの年月続いた!!! 今、思えば良くやった 楽しい 心温まる思い出だ・・・今は夢は見ない。

先生には、高校卒業間際に頂いた言葉が、どんなに力に成ったことか、今あるのは先生のお陰です・・・このくだりは「四国八十八ヶ所霊場」巡拝記 「四国の空と海へ」に投稿した。   


中山道 桶川宿歴史散歩 (平成市民大学)7

2010-11-07 17:27:14 | 歴史

大雲寺鐘楼と、お地蔵さん 



かんぬき地蔵さん・・・若いお坊さんが、桶川宿の色町に夜な夜な遊びに行ったらしい・・・和尚さんは閂地蔵さんを造り、背中に、閂用の鉄(コの字型)を取り付けた(写真右の地蔵さんの背中に見える)、それを利用して、後ろの大木に縛り付けたと言う・・・以後、地蔵さんの夜遊びは無くなったと言う・・・以後、坊さん達の夜遊びも無くなったそうな。



昔々の色町が、この辺に在ったそうな。



武村旅館の大黒柱 磨き抜かれていて、歴史の長さを感じさせる。



桶川宿 本陣跡 
参勤交代の大名の宿泊する本陣と、これを補う脇本陣二軒が置かれていた・・・皇女和宮も、一夜を過ごされたと言う・・・本陣の、上段の間と付属する次の間と、湯殿が現存し昭和五十五年に、県指定文化財に指定されている。



中山道の四つ角に、道路標識?(ここを基準に測る)が在った・・・写真Pの下・・・初めて知った!!!


この石碑?では、誰にも分からない!!!案内の標示も無い・・・17号線に、東京へ43kmの標識が在るが、ここを基準にして居るんだ・・・新発見だった。

中山道の史跡などは、まだまだ一杯在るが、此処までとする。


中山道 桶川宿歴史散歩 (平成市民大学) 6

2010-11-02 17:42:22 | 歴史

11/1  中山道 再訪・・・ 落雷により伐採されたのは、杉の木であった・・・切り口の年輪を数えた・・・56年であった。
境内の力石は、610kgであった・・・持ち上げたのは、三ノ宮卯之助さんだった・・・その持ち上げ方が、絵入りであった。
腕で持ち上げるので無く、寝ながら両足で支えたんだ・・・「足指し」と言う・・・この方法で上げたものと推定される・・・「大盤石」は、全国でも四か所にしかなく、重量は日本一と言う・・・卯之助は文化四年(1807)武州岩槻領に生まれた・・・成長して、江戸一番の力持ちと評判になった・・・卯之助は、この力石を四十五歳の時に桶川で持ち上げたと言われている。

欅稲荷さん・・・真中の鏡に、私が写っている!!! 欅のつぶやき・・・腹央を裂かれ この地に幾星霜 自然の法に生かされており  人誰も己が腹底見せずとも 吾はかくさじかく開きおり  樹齢魂・・・欅の木の横に立つ。
左の欅が、欅稲荷さんが祭られた木である・・・上の部分は、かなり昔に台風・雷などで折れたんだろうか?
樹齢 196年 下             樹齢 120年 右         
近所の新住民が、落葉が大変と上訴・・・何年か前に、姿を消した・・・可哀想に・四季に合わせて、色んな表情を見せてくれるんだが!!??・・・思わず、年輪を数えさして貰った・・・この姿を毎日見る、その人達は何も感じないんだろうか??? 








中山道 桶川宿歴史散歩 (平成市民大学) 5

2010-10-31 18:26:54 | 歴史

稲荷神社 境内には「紅花商人寄進の燈籠」が在った・・・力石は、620kg!!!こんなに重い石を、持ち上げた人居たのと、皆でビックリした!!!。
昨年、入り口の鳥居の右横に在った欅の木に、雷が落ちて鳥居が破損した・・・修復塗り替えられ綺麗に成っていた・・・右側の欅の木の切り株だけが残り、哀れであった。

近くの欅の木の、空洞にお稲荷さんが祭られていた・・・これはビックリした・・・何方が造ったか?・・・・・凄いアイデアである。












中山道 桶川宿歴史散歩 (平成市民大学) 4

2010-10-29 17:00:25 | 歴史
10/14
武村旅館  江戸時代の庶民の宿である旅籠の姿を伝える貴重な建物である・・・紙屋半次郎がここで宿を営み、何度か改築を経ているが、間取りは当時の姿を伝えているそうだ・・・上に上がることは出来なかった・・・玄関を入った近くに在った大黒柱は、宿の歴史の総てを感じさせる柱であった。

島村家の三階建て土蔵  桶川宿の商人は、上質の麦や紅花の商いで繁盛した・・・木嶋屋本家に残る、三階建ての土蔵は、天保7年に建てられたものである・・・珍しい・・・室内には、生活関係用具・社会生活関係の物など多数展示されていた・・・見学料 100円・・・一見の価値はある・・・桶川に住んで33年だが、三階建て土蔵が在ることに気が付かなかった。
土蔵の前に、樹齢約170年と言われる「銀木犀」の大木が在った。
花は咲き終わり、金木犀と同じ状態の色をしていた。

中山道 桶川宿歴史散歩 (平成市民大学) 3

2010-10-28 20:44:28 | 歴史

10/28  雨
朝 曇り 9時頃から雨・・・一日中、雨が降り続くの予報・・・古河MGに六人が集まった!!!・・・五人は、休憩所で雨が降るので立ち話・・・私一人が、コースに出てプレー・・・あやめコースを回って来た・・・五人もやる気に成った!!!。
雨の中で楽しんだ・・・三コース目のミドルコースで、及川さんの奥さんがホールインワン」!!!・・・本人も皆 ビックリ・・・祝福の100円を、皆で差し上げた・・・奥さん破顔十笑・こ踊りであった・・・地元の人ゼロ・・・我等六人だけ MG病!!!

大雲寺 上の寺 龍谷山と号し、曹洞宗に属し弘治3年(1557)に開山し、宿場開設以来の家々の墓石が並び、桶川宿の歴史を偲ばせてくれた・・・後で、再訪したい。


浄念寺 下の寺 戦国時代 天文15年(1546)に開かれた、浄土宗の寺院である・・・中山道から望むことが出来る門の鐘は、桶川宿の「時の鐘」であった・・・左右に阿吽の仁王像が、歴史を感じさせる。

二体共・・・恐さより・・・微笑ましく温かいのが嬉しい・・・運慶・快慶の世界ではない。 


中山道 桶川宿歴史散歩 (平成市民大学) 2

2010-10-28 17:32:30 | 歴史

10/14
木戸跡 桶川宿の古絵図にもこの木戸は描かれ、文久元年(1861)に、皇女和宮を迎える前に、木戸を建て直した記録も残されている・・・木戸の高さは、一丈八しゃく・・・幅八寸の角材で作られていた。

松山道の道しるべ 天保七年(1836)に、日本橋の魚河岸の人々によって建てられた・・・道しるべの下の方に、魚河岸のマークが刻まれていた。


中山道 桶川宿歴史散歩 (平成市民大学) 1

2010-10-27 08:50:19 | 歴史
10/24  AM9.30~PM12.30  曇り 時々晴れ  散策には、最高の日和だ・・・桶川公民館前に多数の参加者あり。
三班に分かれてスタート・・・ガイドボランティアさんが、各班に二人が同行してくれた。

塩さんと、中山道を完歩してから十五年!!!・・・中山道桶川宿は、私の生活の中の一部であり、特別な物では無い。
この道碑?道標は、十五年前にも在った?
この近くの歩道橋の柱に「一里塚跡」の、案内が在ったのには、ビックリした・・・これを知っている人は、少ないと思う。
この会に参加しなかったら、一生知らないで過ごしたことだろう。

買い物に行く時、駅に行く時などには、必ず通る道・・・何か今日は、新しい発見がありそうな気がして来た・・・楽しく成って来たぞ~~~。平成21年12月に、設置・・・知らない訳だ・・・設置されて一年に成るが、こんな所だと? 標示方法に問題あり・・・予算の所為か。