四国の空と海へ

1997.5/3から 四国八十八ヶ所霊場 を巡拝させて頂いた事が
第二の人生のスタ-トに成った。

七月に入って・・・・・!!!!!

2006-07-14 12:07:44 | 四季
当地・七月に入って今日は晴れたな~と言う日は、たったの一日!!!。
7/14は雲は有るが、久し振りに青空が広がり出した。ホッとする。
頼むぜーーー お天気さん。

四国巡拝の投稿で、友人から良く昔の事を覚えているね~と、言われた。
そうだよネ~約十年も前の事だもの・・・誰でも、そう思うよネ~。

小生には、日記を書く習慣が、この歳になるまであります。
切っ掛けは、中学生の頃担任の小林清美(男性)先生に、クラス全員
が勧められた事でした。
以来、継続・・・中断・・・継続を繰り返しています。

そんな訳で、毎日の出来事を書く事には、何の抵抗もありませんでした。
巡拝途中で、休憩時・道端に腰を下ろして、出会った人達・動物・・・
感じた事・考えた事・・・などを、書いて行く事は、愉しみでした。

こんな事を、していて良いんだろうか?と、良く考えました。
でも今考えると、そんな巡拝の仕方が、良かったかも知れません。
歩く事が楽しく、膝を痛めた時も・・・止めて帰ろうと思った事は、一度も
ありませんでした。
その記録を見ながら、思い出を新たにして投稿を続ける事が出来ました。

私の巡拝が、市の広報に掲載された事で、市在住の方が触発されて、一気
打ちをされました。
信州和田峠の和田宿手前で、お会いした小林さん(隣の市)も、一気打ちを
されました。今でも飲み友達です。

この日記を見る事は、殆どありませんでした。
今度の投稿で、最終ページに、これからは
  「同行二人の気持ちを、忘れずに生きて行きます。」
と、自分には
  「人を責める資格は無い」
清濁混合の心を持ちながら、あまり立派な事は言えない。
と、記録されていました。

その肝心な事を、今度見るまで完全に忘れていました。
お前は、好い加減な奴や~・・・と、反省頻り。


 * 写真は2006 1/21 家の裏道 積雪15CMの時のもの。












四国八十八ヶ所霊場巡拝 結願から高野山の満願を終えて

2006-07-07 19:28:14 | 宗教
家に帰って、3~4日はひたすらに眠った。
背中の重石も取れて、ほぼ普通の体調に戻った。
やっぱし「自分の家」は、良いなあ~・・・実感した。

そして、改めて巡拝でお世話に成った諸仏・祖先の人達・励ましの応援と
親切を頂いた人達・動物・・・総ての事に・・・感謝を申し上げた。
      
  南無大師遍照金剛・・・合掌。

  *費用明細 (単位 円)
宿泊代    310.000. (宿泊代は当時より上がっている様だ)
納経代     30.000.(番外霊場などを含む)
昼食代     35.000.
飲料水     20.000.(例年より暑かった・・ジュース・緑茶・・飲み物)
衣料代      6.000.
テレカ      5.000. (使い切る)
靴二足     29.800.
薬代       3.400.(キズドライ・バンドエイド・湿布薬)
コインランドリー 2.400.
宅急便      3.200.(重量軽減の為の返送代)
遍路用品    18.600.
交通費     45.000.
巡拝前に準備  20.000.(中山道の旅で買った物など・・・)
合計     528.400.    
 
 多少の記入漏れはあったと思う。

  *注意点
肌着・衣料  速乾性の高い材質の物、毎日洗濯するので。(数はいらない)

靴下     五本指のソックス(絹8足)を履いて、その上に毛の
       靴下(クッション性の高い物3~4足)を履く。

靴      防水・透湿・軽い・・・に、惑わされ無い。
       底の丈夫な物・ハイレグ・・一足でもOK?
       (一足で駄目な時は、途中の大型店で買う)
       上記の靴下を履いて、靴を決めた方が良い。
       多少の余裕があった方が良い・・・ピッタリは駄目。

薬      豆対策・・バンドエイド・キズドライ・テーピング用テープが良い。
       胃腸薬・・・私は正露丸だった。(使用は一回?)
       豆が出来そうな、気配を感じたらテーピングをして置く。

食事     昼食は、栄養のバランスを考えて品数を多く取る。
       店に無い時もあるので、多少のサプリメントを準備する。

水      小型のポット・常時入れて居ると、その重さも肩に来る。
       自販機が無さそうなコースでは、前夜、宿のお湯を入れて置く。
       歩いて居る内に、そのこつは分かる様になる。

 * 2002 5/6 山口県 大学町の、栗本さんよりハガキが来た・・嬉しかった。

行って来ました「大窪寺」。
ついに結願大窪寺。
雨の中5/3朝長尾寺を出て、お昼前に八十八番へ着きました。
宿の主人が、この雨では女体山は無理ですよ。
滑ると危ないと言われ、ず~と車道を歩きました。
思ったより早く着き、ゆっくりうどんを食べて、山道を奥ノ院へ登りました。
途中見晴台から眺めましたが、まるで雲海・・何も見えませんでした。

女体山からの眺めは、誰もが感動すると記して居られますのに残念でした。
何年も(5年と半年)かかっての結願ですから、別に感動はありませんでしたが
一応「結願の証」なるものを、二千円で買いました。

この翌日の高野山登山が良かったですよ。
九度山から大師の母君が、我が子大師に会いに行くのに歩かれたと言う「町石道」
を歩いて、高野山へ上がりました。
途中僅かの休息を入れはしたものの、七時間かけて高野山大門へ、辿り着いた
時は、バンザイをしました。

でも翌日も何の痛みも無く、平気だったのは、やはり「お力」を頂いて登れた
のでしょう。
これでお四国様は、一件落着。
次は百観音を目指したいのですが、篠栗での三年三ヶ月の修行が終ってからの
事です。
民生委員の仕事忙しいでしょう。
人様の為に・・・とっても良い功徳です。 ガンバッテ!

(原文の侭) ありがとう御座いました。

栗本ご夫妻との出会いは「仏縁」としか、言い様が無い。
今でも、お付き合いは続いている。(近年は賀状でのお付き合い)
四国を想う時は、必ずご夫妻を想う。

 * 長尾寺さんから大窪寺さんまでは、遍路道を歩かれる事を、強くお勧め
   します。
   天候が悪い時には、一日伸ばしても、遍路道へ・・・。感動の度合いが
   違います。
   体力的に無理な方・・・は、残念ですが車道を、お選び下さい。 

書き残した事が、一杯ある様な気がします・・・。

2005 11/1から、投稿を始め八ヶ月余・・・2006 7/7今日・・・何とか
拙い文章にも関わらず、最終の投稿が出来ました事は、友人・知人・閲覧
をして頂いた、皆々様の暖かい「応援歌」を頂いたからこそ、出来ました。
心より、お礼と・感謝を申し上げます。
ありがとう御座いました・・・合掌。

この巡拝・投稿については、塩さん、ぼん太さん、風さんの力強い応援と
ご指導が、あったから成し遂げられたと思っています。
心より、お礼と・感謝を申し上げます。
ありがとう御座いました。

 * 巡拝は、出来る事なら「一気打ち」をお勧めします。
   
 * シーズンは、春か秋・・・気温が高くない頃が良いと思います。
   近年の天候は、恐い時があるので十分な準備と用心が肝要と思います。

これからも「同行二人」の気持ちを持って、生きて行きます。
    
     南無大師遍照金剛・・・合掌。

  (写真は庭に咲いた山茶花 2006 3/18)
ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・
 
今後も「四国の空と海へ」のタイトルは、継続します。

  今後とも、宜しくお願い申し上げます。










    















高野山から・・・・・>家に帰りたい・・・・・>帰宅。

2006-07-03 14:22:25 | 宗教
二人で、納経所で満願の記帳を済ませた・・・思わず笑顔で挨拶・・・。
感無量で、あった。

黒谷さんは、島根県の宿泊施設で一泊されるそうだ。
私も県の施設でと、一瞬思ったが・・・家に帰る事にした。

黒谷さんとは、奥ノ院のバス停で、お別れをした。
お互いに、お礼を言い合い・・・お元気で~~さようなら~。

 * 考えても居なかった、良い思い出を、ありがとう御座いました。
   この出会いも、本当に「仏縁」としか、言い様が無い・・・合掌。

納経帳の第一頁は、大師のお姿があり・・二頁は、無地。
三頁~四頁には

納経とは巡拝者の献経所願に対して本尊慈仏が願意を哀愍受ましませる事を
表する為に與えらる々本尊の心印であります。
依って古来巡拝者が之を得るには、必ず先ず御本尊の御前に書写の経巻を
納めて礼拝読経し、燃る後この御宝印を拝受するもので、従って、これを
「お納経」と申すのであります。
この故に巡拝者は必ずこのお納経を受けることを忘れてはなりません。

この様に大慈大悲の御本尊の御心印の据わった、お納経ですので、各々霊場
御本尊薩たー(た・・打っても出ない)の御本躰と同一のものであると信じて
大切にして下さい。
昔よりこのお納経を頭に頂くことに依ってさえ諸病平癒災難消除の利益があり、
又自から巡拝して之を受持するものは必ず本尊の御加護に依り所願成就を得、
「現世は更なり、未来に於いても必ず楽土に到ることを得らるべし」との
深い、信仰があります。
巡拝の方々のお納経を末永く護持されん事を・・・

五頁に、記帳をして頂いた。

 御詠歌
 ありがたや高野の山の岩かげに
    大師はいまだおわしますなる

 平成九年六月二十一日

疲れて居たし、高野山で一泊した方が良い事は分かって居たが・・・
家に帰りたかった・・そして、ゆっくりと休みたい~の、気持ちが強かった。

バス~ケーブル~電車・・・難波の駅まで・・・長く・永く感じた。
駅を出て、人込みの流れの中に入る・・・現世に戻って来た。

歩いている若い女性に、新大阪へ行くにはと尋ねると、女性・・ビックリして
一瞬身を引く仕草をした!!!そして、教えてくれた。
私の顔・腕が、余りにも黒いのでビックリしたんだ~!!!。

現役時代に、良く出張で来た新大阪駅に着いた。
ひかりに乗車して、駅弁・缶ビール(500ML)一缶を、美味しく頂く。

心地良い揺れで、眠れるかと思うが・・・色んな事が、頭の中を駆け巡り
眠る事が出来なかった。

東京駅・・・>上野駅・・・>桶川市・・・>自分の家・・・。

遅い時間であったが、家内が出迎えてくれた。
お帰りなさい・・・。
ただいま~ どうもありがとう。

この後、積もる話を・・・どうしたか、記録に無い。
積もり積もった疲れのために、唯・・・眠りたかった。

 * 歩いた距離 アルファホテル・・・>高野山の参拝 10KM
   累計 1.265KM

 * 写真は高野山大門

 * 後一回で、投稿が終了します。