四国の空と海へ

1997.5/3から 四国八十八ヶ所霊場 を巡拝させて頂いた事が
第二の人生のスタ-トに成った。

稲荷神社

2010-10-16 07:07:09 | 宗教
         

10/13 撮影
赤堀川の辺に佇む「正一位 稲荷大明神」である・・・ウオーキングコースの一つだ。
そこに在る鳥居に刻まれた文字を見てビックリしたのは、十年余も前の事だったか?
建立は、昭和十年三月吉日 私が生まれた年だ!!!!!・・・花崗岩?の肌は、大分なめらかに成っている・・・その年月で、こんなにも変わるんだ・・・私の体も、変化する訳だ!!!







氷川神社 例大祭

2009-05-07 15:14:57 | 宗教
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/57/3a92c7ec4380012f485eb99b8e42dcb7.jpg
2009 4/3 晴れ 
・幟が微風に揺れていた・・・家内と参拝を、させて頂いた。
境内は、いつもは静寂に包まれているが、今日は、老若男女入り混じって大勢来ていた・・・特に子供が多い。











主催者が、餅つき・綿あめを無料で配布していた・・・胡麻和えの餅を頂いた・・・美味しい・・・家内は、綿あめも頂く・・・子供に帰った様だ。

はしゃいで、駆け回っている子供達を見ていると、自分の子供を連れて来てやったか・・・無い!!!  毎日が、仕事・仕事・・・子供の日でも、出勤が普通な時代であった・・・得意先が百貨店・・・買い手が、どうしようも無い権限を持っていた・・・取引先を、社員以上に店の仕事をさせる・・・売り出しの準備・棚卸の手伝い・・・率たたきした上に、売れなければ平気で返品・リニュアルの時などの協賛金の強要・手伝い等々・・・こういった事が、今は無いと思うが???この体質が、デパート全体が衰退の道を辿ったと、私は断言する。

厳しい取引条件だった商品は、返品無しで売り切るんだの気持ちが無い・・・無責任・やり放題・・・PB商品も然り・・・おんぶに抱っこ・・・いつか、このしっぺ返し来るぞと、思っていた。

売れなかったのは、なんで・・・原因を、真剣に究明せず返品の繰り返し・・・お客さんのニーズが何かが、本当に分かっていない・・・毎年閉店が続いている。

厳しい事を言ったが、三十八年勤めた中で、三十二年はデパート担当だったので、敢えて記した・・・青春真っ盛りの頃から、ず~~~と色々あったが、今思い出すと、楽しかった事の方が圧倒的に多い・・・感謝。

お祭りから、こんな話に成ったが・・・退職してから、この時代の「夢」を頻繁に見た・・・最近は、回数は少なく成ったが見る・・・もう、止めてよ~~~と、独り言を言う・・・。

秩父巡礼の旅 (2)

2007-06-12 22:33:25 | 宗教
 次男坊は、秩父巡礼を決めてから、体ずくりと歩きに集中した。
本人が驚いた事は、今までの生活パターンの中に、運動を取り入れ
た事によって体重が増えた事だった。
嫁さんの協力に寄って、歩く事に多少の自信は持ったようだ。

そして、どの位歩けるか・・・私が四国へ行く前に何回か歩いた、我家から
目的地までの往復で二十キロのコースを歩かないかと誘った。
遣ってみたいと言うので、その日は二月十二日と決めた。
家内も一緒に歩きたいと言うので、三人の歩きに成る。

2/12(日)は、アッと言う間に遣って来た。(-1/12℃)
其の日の朝は零下であった。
行程は、自宅から伊奈町ジョギングロードまで四キロ余・・・ジョギング
ロードは片道六キロ余・・・往復すると二十キロ余に成る。
焦らず一定の速度で、2~3回の休憩を取りながら・・・話しながら・・・
ジョギングロードの折り返し地点で、昼食を取り帰路に付く予定だ。

考えても居なかった、親子三人のジョギングが始まった。AM8.30
時は二月零下の朝・・快晴・・風少々・・・寒々として居た。
住宅街を抜けると田圃道・・・枯野・・・緑は常緑樹のみ・・・。
ジョギングロード入口までは、私が先頭に立って歩いた。
妻と息子は、他愛無い話に弾んでいた。
工業団地を抜けると、伊奈町ジョギングロード入口に達した。

工業団地の北側に、源流地点を持つ「綾瀬川」が目の前に広がる田圃の中を
蛇行しながら流れている。
其の川の流れに沿う様に、ジョギングロードが作られている。
川の水は、清流では無いが汚くは無い。
綾瀬川は下流へ行くと、以前は日本一「汚い川」と言われた!!!
今は其の汚名は返上した様だ。

ロードには、一キロ毎に何キロの表示があるので、気が楽だ。
歩いて居ると、思って居たより多くの方が歩いていた。
自転車を利用して居る人も居る。
枯野と見えた、川堤の枯れ草の下には雑草の芽が多く見られた。
春は静かに来ていた!!!
今の時期には、顔を見せないと思って居た「鯉」が時々水面を揺らした。
カイツブリの番いが、餌を捕るため潜水・・浮上を繰り返していた。

ロード三キロの所で休憩を取る・・・七キロは歩いた事になる。
二人に体調・足の具合を聞くと、良い・・豆の心配も無いと言う。
水を飲み、妻の持ってきた飴・チーズなどを美味しく頂いた。
三人で雑談しながら、思い・感じた事は息子と、こんな機会を与えてくれた
神様の、ご配慮に合掌した。

折り返し地点に向けて歩く・・・以前歩いた時に、ひどい雷雨に遭って身を
隠す場所の無い田圃の中に、唯一在った梨園が切り倒されて株だけが残って
居た・・・悲しいネ~・・・。

折り返し地点で昼食にした。
妻の作った大き目で塩鮭入りと、梅干入りの、おむすびは事の外美味しかった。
夫々に二個ずつ、あっと言う間に平らげた。
やはり全身を使って歩く事は、体の隅々までを活性化してくれる。
30分の休憩の後に帰路に付いた。

一歩ずつ歩いた道は、一歩ずつ歩いて帰る・・・この作業が堪らなく楽しい。
二人も楽しそうも・・・流石に家に近ずにつれ口数も少なく成り疲れた様子だ。
途中二回の休憩を取って、家に着いたのがPM13.30・・・5時間の行程であった。
  
息子も二十キロ余を歩き切って、秩父の旅をどう思ったろうか?
自信に成ったか・・不安を感じたかは聞かなかった。

今日のブログは、一番札所までと思ったが其処まで行けなかった。











ご無沙汰していました・・・十ヶ月振りの投稿です!!!(1)

2007-04-18 19:38:28 | 宗教
1997 1/25~1/26 
秩父三十四観音霊場 第一番 四万寺さんから第十八番 神門寺
さんまでを、塩さんと巡拝してから・・・・・

1997・5月~6月 四国八十八ヶ所霊場を巡拝した。

そして 1997 7/18~7/20 塩さんと二人でーーー>
第十九番 龍石寺さんから第三十四番水潜寺さんを巡拝「結願」した。

2006 12月 次男坊が、来年二月仕事の閑散期に有給休暇を取って
秩父へウオーキングに行きたいと、言うので・・・霊場巡拝を一緒に
やろうかと言うと・・・即 決まった。

次男は、日常 車での移動が殆どで、足には自信が無いと言うので、
これから二ヶ月の間にする、体力ずくりの仕方を教えた。
脚力ずくりは、体全体を鍛えないと駄目だ。
体操・腕立て伏せ・腹筋・毎日一時間以上歩く・土日は歩けるだけ
嫁さんと歩けば、見違える様に脚力が付く筈だ。

やれるかな~

私には、10年振りの秩父路・・・懐かしくも有り、楽しみだ。
歩いて居ると、武甲山が付いて来た事を思い出した。

ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
「四国の空と海へ」は、2007 4/18現在 閲覧数 23.335に達しています。
此場をお借りして、お礼を申し上げます。






 

四国八十八ヶ所霊場巡拝 結願から高野山の満願を終えて

2006-07-07 19:28:14 | 宗教
家に帰って、3~4日はひたすらに眠った。
背中の重石も取れて、ほぼ普通の体調に戻った。
やっぱし「自分の家」は、良いなあ~・・・実感した。

そして、改めて巡拝でお世話に成った諸仏・祖先の人達・励ましの応援と
親切を頂いた人達・動物・・・総ての事に・・・感謝を申し上げた。
      
  南無大師遍照金剛・・・合掌。

  *費用明細 (単位 円)
宿泊代    310.000. (宿泊代は当時より上がっている様だ)
納経代     30.000.(番外霊場などを含む)
昼食代     35.000.
飲料水     20.000.(例年より暑かった・・ジュース・緑茶・・飲み物)
衣料代      6.000.
テレカ      5.000. (使い切る)
靴二足     29.800.
薬代       3.400.(キズドライ・バンドエイド・湿布薬)
コインランドリー 2.400.
宅急便      3.200.(重量軽減の為の返送代)
遍路用品    18.600.
交通費     45.000.
巡拝前に準備  20.000.(中山道の旅で買った物など・・・)
合計     528.400.    
 
 多少の記入漏れはあったと思う。

  *注意点
肌着・衣料  速乾性の高い材質の物、毎日洗濯するので。(数はいらない)

靴下     五本指のソックス(絹8足)を履いて、その上に毛の
       靴下(クッション性の高い物3~4足)を履く。

靴      防水・透湿・軽い・・・に、惑わされ無い。
       底の丈夫な物・ハイレグ・・一足でもOK?
       (一足で駄目な時は、途中の大型店で買う)
       上記の靴下を履いて、靴を決めた方が良い。
       多少の余裕があった方が良い・・・ピッタリは駄目。

薬      豆対策・・バンドエイド・キズドライ・テーピング用テープが良い。
       胃腸薬・・・私は正露丸だった。(使用は一回?)
       豆が出来そうな、気配を感じたらテーピングをして置く。

食事     昼食は、栄養のバランスを考えて品数を多く取る。
       店に無い時もあるので、多少のサプリメントを準備する。

水      小型のポット・常時入れて居ると、その重さも肩に来る。
       自販機が無さそうなコースでは、前夜、宿のお湯を入れて置く。
       歩いて居る内に、そのこつは分かる様になる。

 * 2002 5/6 山口県 大学町の、栗本さんよりハガキが来た・・嬉しかった。

行って来ました「大窪寺」。
ついに結願大窪寺。
雨の中5/3朝長尾寺を出て、お昼前に八十八番へ着きました。
宿の主人が、この雨では女体山は無理ですよ。
滑ると危ないと言われ、ず~と車道を歩きました。
思ったより早く着き、ゆっくりうどんを食べて、山道を奥ノ院へ登りました。
途中見晴台から眺めましたが、まるで雲海・・何も見えませんでした。

女体山からの眺めは、誰もが感動すると記して居られますのに残念でした。
何年も(5年と半年)かかっての結願ですから、別に感動はありませんでしたが
一応「結願の証」なるものを、二千円で買いました。

この翌日の高野山登山が良かったですよ。
九度山から大師の母君が、我が子大師に会いに行くのに歩かれたと言う「町石道」
を歩いて、高野山へ上がりました。
途中僅かの休息を入れはしたものの、七時間かけて高野山大門へ、辿り着いた
時は、バンザイをしました。

でも翌日も何の痛みも無く、平気だったのは、やはり「お力」を頂いて登れた
のでしょう。
これでお四国様は、一件落着。
次は百観音を目指したいのですが、篠栗での三年三ヶ月の修行が終ってからの
事です。
民生委員の仕事忙しいでしょう。
人様の為に・・・とっても良い功徳です。 ガンバッテ!

(原文の侭) ありがとう御座いました。

栗本ご夫妻との出会いは「仏縁」としか、言い様が無い。
今でも、お付き合いは続いている。(近年は賀状でのお付き合い)
四国を想う時は、必ずご夫妻を想う。

 * 長尾寺さんから大窪寺さんまでは、遍路道を歩かれる事を、強くお勧め
   します。
   天候が悪い時には、一日伸ばしても、遍路道へ・・・。感動の度合いが
   違います。
   体力的に無理な方・・・は、残念ですが車道を、お選び下さい。 

書き残した事が、一杯ある様な気がします・・・。

2005 11/1から、投稿を始め八ヶ月余・・・2006 7/7今日・・・何とか
拙い文章にも関わらず、最終の投稿が出来ました事は、友人・知人・閲覧
をして頂いた、皆々様の暖かい「応援歌」を頂いたからこそ、出来ました。
心より、お礼と・感謝を申し上げます。
ありがとう御座いました・・・合掌。

この巡拝・投稿については、塩さん、ぼん太さん、風さんの力強い応援と
ご指導が、あったから成し遂げられたと思っています。
心より、お礼と・感謝を申し上げます。
ありがとう御座いました。

 * 巡拝は、出来る事なら「一気打ち」をお勧めします。
   
 * シーズンは、春か秋・・・気温が高くない頃が良いと思います。
   近年の天候は、恐い時があるので十分な準備と用心が肝要と思います。

これからも「同行二人」の気持ちを持って、生きて行きます。
    
     南無大師遍照金剛・・・合掌。

  (写真は庭に咲いた山茶花 2006 3/18)
ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・
 
今後も「四国の空と海へ」のタイトルは、継続します。

  今後とも、宜しくお願い申し上げます。










    















高野山から・・・・・>家に帰りたい・・・・・>帰宅。

2006-07-03 14:22:25 | 宗教
二人で、納経所で満願の記帳を済ませた・・・思わず笑顔で挨拶・・・。
感無量で、あった。

黒谷さんは、島根県の宿泊施設で一泊されるそうだ。
私も県の施設でと、一瞬思ったが・・・家に帰る事にした。

黒谷さんとは、奥ノ院のバス停で、お別れをした。
お互いに、お礼を言い合い・・・お元気で~~さようなら~。

 * 考えても居なかった、良い思い出を、ありがとう御座いました。
   この出会いも、本当に「仏縁」としか、言い様が無い・・・合掌。

納経帳の第一頁は、大師のお姿があり・・二頁は、無地。
三頁~四頁には

納経とは巡拝者の献経所願に対して本尊慈仏が願意を哀愍受ましませる事を
表する為に與えらる々本尊の心印であります。
依って古来巡拝者が之を得るには、必ず先ず御本尊の御前に書写の経巻を
納めて礼拝読経し、燃る後この御宝印を拝受するもので、従って、これを
「お納経」と申すのであります。
この故に巡拝者は必ずこのお納経を受けることを忘れてはなりません。

この様に大慈大悲の御本尊の御心印の据わった、お納経ですので、各々霊場
御本尊薩たー(た・・打っても出ない)の御本躰と同一のものであると信じて
大切にして下さい。
昔よりこのお納経を頭に頂くことに依ってさえ諸病平癒災難消除の利益があり、
又自から巡拝して之を受持するものは必ず本尊の御加護に依り所願成就を得、
「現世は更なり、未来に於いても必ず楽土に到ることを得らるべし」との
深い、信仰があります。
巡拝の方々のお納経を末永く護持されん事を・・・

五頁に、記帳をして頂いた。

 御詠歌
 ありがたや高野の山の岩かげに
    大師はいまだおわしますなる

 平成九年六月二十一日

疲れて居たし、高野山で一泊した方が良い事は分かって居たが・・・
家に帰りたかった・・そして、ゆっくりと休みたい~の、気持ちが強かった。

バス~ケーブル~電車・・・難波の駅まで・・・長く・永く感じた。
駅を出て、人込みの流れの中に入る・・・現世に戻って来た。

歩いている若い女性に、新大阪へ行くにはと尋ねると、女性・・ビックリして
一瞬身を引く仕草をした!!!そして、教えてくれた。
私の顔・腕が、余りにも黒いのでビックリしたんだ~!!!。

現役時代に、良く出張で来た新大阪駅に着いた。
ひかりに乗車して、駅弁・缶ビール(500ML)一缶を、美味しく頂く。

心地良い揺れで、眠れるかと思うが・・・色んな事が、頭の中を駆け巡り
眠る事が出来なかった。

東京駅・・・>上野駅・・・>桶川市・・・>自分の家・・・。

遅い時間であったが、家内が出迎えてくれた。
お帰りなさい・・・。
ただいま~ どうもありがとう。

この後、積もる話を・・・どうしたか、記録に無い。
積もり積もった疲れのために、唯・・・眠りたかった。

 * 歩いた距離 アルファホテル・・・>高野山の参拝 10KM
   累計 1.265KM

 * 写真は高野山大門

 * 後一回で、投稿が終了します。



























満願・・・・・合掌。

2006-06-30 16:34:08 | 宗教
島根県玉湯町の黒谷さんと、昼食を済ませてから、外に出て改めて
町並みを見て、千年以上の歴史を刻んで来ただけの事はある。
今まで見て来た町並みとは全然違う・・・歴史・規模・等々・・。

二人で、一ノ橋から中ノ橋を渡り参道を行くと、両側には杉・檜の
老大木が鬱蒼と繁り薄暗い・・・参道の両側には、一万数千と言わ
れる墓碑・供養塔(歴史上の人物から現代の方まで)が立ち並び驚く。

行き交う参拝客の多さ・・・途切れる事が無い!!!。

玉川の清流に懸かる橋を、南無大師遍照金剛と唱えながら渡る。
愈々御廟の聖域に入った・・・歴史の重さに圧倒された。
やっと来たんだ! やったんだ! 良かった! 嬉しい!・・・合掌。

奥ノ院灯籠堂で、黒谷さんとは離れて、心行くまで参拝をさせて頂いた。
  
そして、その奥に在る大師のご廟所に向かって、参拝をさせて頂いた。
廟所は、鬱蒼とした木々の中に在った・・・静寂・・ここまで来る人は少ない。
肉身の侭で入定されて、その侭の姿で、そこに居られると言う。
四国霊場八十八ヶ所の巡拝・・・結願、十番さんから一番さんまでの
・・・お礼参り、そして今日・・・満願が出来た事を、心からお礼申し上げた。
南無大師遍照金剛・・・・・。

これからも、残す人生を「同行二人」の気持ちを忘れずに、生きて行きます。
   
そして二人で、最終の「納経所」へと向かう。











高野山へと (2)

2006-06-28 11:51:30 | 宗教
突然に、横から忽然と現れた女性から「高野山に行かれるんですか?
と、声を掛けられた。
  えェ 行く所です。
  一緒に、連れて行って下さい。
  ビックリしたが・・・
  あァ 一緒に行きましょう。
自己紹介を仕合う。
私の、巡拝の経緯を簡単に、お話しした。

黒谷さん六十歳・島根県玉湯町の方。

大変、お世話に成った方が亡くなり、お四国さんに成り、何度も巡拝を重ねて、
今日私の誕生日に、満願の参拝に来ました。
話し好きな方で、二人の会話は弾んだ。

南海電車~極楽橋~(ケーブル)~高野山~(バス)~金剛峰寺~(バス)
奥ノ院~(徒歩・約一キロ)~奥ノ院廟所

奥ノ院でバスを降りて、PM2時も過ぎていたので、昼食にした。

昼食の時の黒谷さんの、お話。(ご主人は、居無いみたい。)

 * 私は、子供が居無いので、後を継いでくれる人が居ません。
   私も六十歳に成り、早い方が良いだろうと、妹夫婦に老後の面倒を
   頼み仕事を任せました。
   私はお手伝いの立場で、仕事をしています。
   (お顔の雰囲気から、仕事は巧く行って居そう。)

 * 息子さんの、お嫁さんを大切にしてやって下さい。
   舅・姑も、歳を取って来て、最後の面倒を見てくれるのは、お嫁さん
   しか居ませんヨ。

   (私の実家の事を考えると、正にその通りだ。)

   良い話を、ありがとう御座いました・・・合掌。
    (今、その通りに、しています。)

この方との出会いも、不思議な出会いであった。

















高野山へと (1)

2006-06-26 13:13:10 | 宗教
1997 6/21 AM7.00 起床 体操 (50日目)
朝食は、ホテルの中で済ませた。

AM8.15 さ~ァ 高野山へスタートだ。
ホテル前から、徳島港へ・・・タクシーで行く。(1.580円)

和歌山への、高速フェリーはAM9.45発。
出発までに、時間があるので家内に電話を入れた。
どうしたの・・・電話が無く心配をしていた・・・いつ帰るかと、心細い声・・
・・・そう言えば、結願以来電話をしてい無かった・・・ご免ご免・・これから
お礼参りも済んだので、高野山に満願の、お礼参り行く所だと伝えた。
結願の後の事は、何も言って無いので、素直に喜んでくれた・・・合掌。

塩さんにも電話を入れる。
これから、お礼参りも済んだので、高野山え向かうと言うと、
わ~全部やったんだ~。凄いな~と、喜んでくれた・・・合掌。

徳島シャトルライン・ソレイユ1号 グリーン席にした。私一人だけ、だった。
最前列に座るも冷房が弱く後部席へ移動した。
窓際に、菅笠・金剛杖・同行二人と書いてある頭陀袋を置いて、写真を撮る。

左側に四国の山々が連なる・・・あの中には登った山も在るだろう。
瀬戸大橋も見える。
かなりの速さで進む・・・時々ピッチング・・・漁船が漁をしている。
海の色も、エメラルドグリーンからブルーえと変わるのを、繰り返しながら
進む・・・美しい海だ!!!。
海の深さが、多様な、ためか・・・海の色が変わる。

四国がどんどんと、遠ざかって行く・・・前方に、紀伊の国が見えて来た。
前日の、台風のせいか波が高く、漁船は波間に沈み・・・又、姿を見せる。
紀伊半島が、ず~っと長く伸びている。
AM10.30
海の色が一変した。
台風の雨が、流れ込んで陸地近くは乳白色に成っている!!!。

生まれて初めての和歌山県・・・紀ノ川の河口・・・和歌山市だ。

高野山へは、最初から考えて居なかったが、巡拝の結願が済んでから
思はぬ展開に成り、どうしても高野山参拝を済ませて「満願」したいの思いが
強くなった。

船を降りて、電車で行くのか、バスで行くのか、何方かに聞こうと思って
居た時に・・・。

又、出会いが待っていた。
















お礼参り 第三番 金泉寺 第二番 極楽寺 第一番 霊山寺へと

2006-06-21 21:42:34 | 宗教
大日寺さんへの途中に、居た・居た「猪達」!!!!! 昨日からの
激しい雨で、囲いの中は泥の海!!!だった。
ウリンボーが、五月に来た時よりも、大分大きく成っていて
ビックリした。

 * 第四番 大日寺さんに到着した。

三方を山に囲まれた、大日寺さんの仁王門(仁王像は無い)を
入り、ゆっくりと、お礼参りをさせて頂いた。(PM2.35)

大日寺さんの、山門を出て暫く行くと、小川の横の土手に居た!!!
四国独特の藍色の「青大将」・・・大きい・・雨の後・蒸し暑い、蛇の出る
条件は揃っていた。
もう、会う事は無いと思っていたが・・・。

下り坂を歩いていると、大きな橋の(高速道路?)下に、子犬が捨てられて
いた・・・横にダンボール箱・・・。
クン・クンと擦り寄ってきた・・・頭を撫でてやるも・・・可哀想・・・
こんな所に、捨てて行く人は・・・神様の・・・を、考えて居無い。

リュックの重さもが、きつい・・・背中から前に、背負い替える・・・。

一宮寺で、ご一緒した小母ちゃんから頂いた「ピーナツ」しか無い。
食べるかな? 貪る様に食べた・・・余程腹を減らして居たんだろう!!!。
可哀想だが、どう仕様も出来ない。地元の人の、出会いを願って去る・合掌。

蒸し暑い中・・歩く・歩く・・・長く感じる。
水が切れた・・・自販機が在ったが、休止中!!!。
五月の時は、こんなに長い距離だったか? 歩く・歩く・・・。

疲れは、全身に来ている。

 * やっとの思いで、第三番 金泉寺さんに到着した。

山門の横には、五月に来た時に居た、髭の青年は居なかった。
境内に入る。
ゆっくりと、お礼参りを、させて頂いた。
境内のベンチで、休んで居ると本堂の近くで、一人の青年(二十歳代)が、
頭を垂れて居た。
顔色が病的に悪い・・・世の中の苦労を、全部背負った様な容姿・・・?
行き交う人達も、全然目に入らない様子だ。
何かが、そうさせて居るんだろう?これからの巡拝で、行く先に光明を得ことが、
出来るだろうか?・・・合掌。

金泉寺さんへと歩く・・・相変らず蒸し暑い。
あ~ぁ この道だ!! 巡拝を始めて、初めてブンタンの、接待を頂いた家・・・
家の前に来ると・・・何と、あの時のお爺さんが、居るではないか!!!!!。
早速ご挨拶、結願・お礼参りの報告をした・・・ブンタンの事も・・・。
目を細めて喜んでくれた・・・合掌。

 * 第二番 極楽寺さんに到着した。

素晴らしい仁王門を入ると、境内は綺麗に整備されて、気持ちが良い。
本堂は国宝・・・風格がある。
お礼参りを、させて頂いた。

さ~ 後、一キロ余で、愈々霊山寺さんだ!!!!!。
一歩・一歩・・・これで終る・・・心経を唱えながら歩く。
背中が痛くなり、リュックを前で背負うが、これも苦しい・・・。
背中で・・前で・・・を、繰り返す。
途中に「ドイツ館」の、道路標示が在った。
(板野支店長から、是非寄ってよと言われていた。)

が、・・・それらしき建物が見えたが、そこまで歩いて行く、余裕が全く
無かった。
南無大師遍照金剛・・・を、唱えながら・・・金剛杖の鈴を鳴らしながら・・・
喘ぎながら・・・歩き続けた。 (PM4.30 到着)

 * 第一番 霊山寺の山門に立った・・万感が込み上げて来た・・・。
  
手順に沿って、お礼参りを済ませた。
鐘は三回・・・お礼の心を込めて、静かに撞いた・・・殷々と鳴り響いた・・。
表現の出来ない様な「満足感」が、訪れた・・自然と笑みがこぼれた。
体から、力が抜けて行く様な感じだった・・・ホッ~~~・・・。

この巡拝を、導いて下さった弘法大師・諸仏・祖先の皆さん・家族・友人・
遍路道で、出会った方々・・・総ての皆様に、心を込めて、お礼を申し上げた。
ありがとう御座いました。

納経所で、結願してお礼参りをして、今日、霊山寺さんに着きましたと申し
上げると、年配の方が、此処を出発された時に、ノートに名前等を記入され
ましたか? (巡拝に必要な物などを販売している所)
確かに書いたと思います。

そこに行き、5/2の所を見ると、アッタ!!!。
私の名前・住所・電話番号  一行空けて、山口市大学町の、栗本ご夫妻の
お名前・住所・電話番号が書かれていた。
店の方に聞くと、お礼参りに来られた方は、赤いボールペンで書いて頂いて
います。

自分が、スタートの前日記入した下が、空いていたので、赤のボールペンで
記入した。
周りに居た皆さんから、おめでとう御座いますと、祝福された・・合掌。

ノートの、ペイジをめくって見たが、赤のボールペンで書かれた名前は無かった。
この事を、知って居る人は少ないか?

霊山寺さん境内の、池に泳ぐ鯉は兎に角、大きく太っている。
丸々していた!!!。今まで見た事が無い。

境内を、十分に散策した後山門を出た所で、記念写真を撮って頂いた。

PM5.00 お礼参りが終った!!!!!。
南無大師遍照金剛・・・合掌。

一生忘れる事の無い、思い出と体験をさせて頂き、ありがとう御座いました。

  板東駅に向かう・・・・・。