とある、双極性障害のブロガーさんの記事に
「気合でなんとかるなら、死ぬ気でするわっ」的なのがあった。
そして、その記事に対するコメントに
「健常者に理解なんて無理」
「理解する気さえないだろ」
的なものが多かった。
(本来なら、トラックバックとかアドレスあげるべき?)
確かに、双極性障害やうつ病などの精神疾患は気合でなんとか
なるものでないことを、私は理解しているつもり。
精神といいながら、その実脳機能の病気であると理解しているつもり。
もちろん、本人が辛いのも、しんどいのも理解しているつもり。
ただ…反論や批判を恐れずに言わせていただけるなら、
正直、理解だけ求めらても…というのがあるわけで…。
日曜日、朝起きたらものすごい頭痛…。
私は偏頭痛持ちではないので、この場合は原因はコリからくると思われ。
肩コリやら、首コリから頭痛になるのである。
しかも、日曜日なのに朝の6時より前に(平日より早く)娘が起き出し
ギャーギャー騒ぐので、尚更イライラが加算され気持ち的にもCLOSEする。
しかし、どんなに寝ようと頑張っても7時を過ぎればご飯を作らねばならず
一通り準備して自分が食べた後、速攻ソファで横になった。
娘は不満たらたらだが、なんとかシャットアウトして寝たおす。
10時を過ぎると、彼がやってきて目を覚ます。
その日は珍しく、買い物についてきて荷物持ちをしてくれるハズだった。
が、私が動けない。
頭と身体が重い…鉛詰まってる?くらい。
加えて起きようとすると、めまいしそう。
「ごめん、買い物今無理…。
○○(娘)連れて、お昼用にお弁当買ってきて…。」
と言って、お金だけ渡し、また意識が飛ぶ…。
帰ってきたときには「お帰り」を言ったが、あとはまた落ちる…。
次に気が付いたのは午後1時過ぎ。
でも寝ている間も、あれをしなきゃとか、これをしなきゃとか…
そんなことばかり考えていた。
でも、頭痛はちょっと治まっていたので私の分のお弁当をいただく。
まったく今月は財政が超厳しいのに…と罪悪感たっぷり…。
食べ終わり、この勢いで買い物をしようと思い、娘に頼んで彼を呼んできてもらう。
しかし彼は、娘の残した弁当を食べたきり、行きたくないモード全開。
私がふらつこうが、頭痛を訴えようがなんら関係なし。
調子悪いから、無理一辺倒。
しかも、
「菓子パン買ってきて…」だって。
朝ごはん食べたあとの洗物もそのまま流しに投げっぱなし。
おかずやら、娘の箸やらはテーブルに出しっぱなし。
片付けてくれる気などさらさらなし。
半分泣きべそかきながら、買い物に行く。
だって、今日買わないと冷蔵庫の中空っぽなんだもの…。
それでも娘はついてきてくれて、荷物を持ってくれた。
ありがたや~~~~。
帰ってからまた速攻横になる。
夕方暗くなるまで…。
途中娘が「さみしい~~~」と言ってじゃれてきたのにはちょっと付き合う。
それで精一杯。
彼は私たちが帰ってきても2階から降りてこず。
夕方降りてきたと思ったら、トイレにいって、菓子パンだけ食べて
私にも娘にも声をかけずまた2階に戻っていった。
その日彼から、「大丈夫?」などの心配する発言は一切なし。
今朝も調子が悪いのか、起こしても起きてこず、そのまま放置して
会社に来たら、さっき電話あった。
「今日調子が悪いんだ…どうしたらいいかな~。」だって。
辛いんだろうし、しんどいんだろうけど、知るかそんなん!って思う。
私がしんどくたって、何もしてくれないくせに、自分だけ泣きついてくるな。
求めるだけで、何かしてもらうことが当たり前で、自分のことしか
考えられないっていうなら、一人で生きていけ!って思う。
give and takeとは言わないが、一方的な依存は関係性に無理がある。
こっちだって生身の人間だ。
具合の悪いときもあれば、機嫌の悪いときもある。
でも常に、give・give・giveだけでは付き合いきれない。
理解して欲しい。
優しくして欲しい。
世話を焼いて欲しい。
欲しい・欲しい・欲しい…それだけでしょ?
自分はいったい何をしてくれるの?
もろん、これは我が家の・彼の話である。
双極性障害や精神疾患をかかえる人が全てそうだとは思わない。
しかし、精神疾患を抱える人だけが痛みを抱えているわけではないと
思うのだ。
病気を抱えていようがいまいが、要は人間関係だ。
相互理解なければ、成り立たないのではないか。