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(元)旦那の病気(双極性Ⅱ型障害)について

ご注意!

当ブログをお読み頂きありがとうございます。 このブログは(元)旦那の病気(双極性障害)を中心に 家族の日常を記載しております。 ただし、ブログ主である私の“毒”も多分に含まれ 心の病気の方などに不愉快な記載がある場合もあります。 どうか、充分ご注意いただけますようお願い致します。

理解

2012年10月22日 | 日記
とある、双極性障害のブロガーさんの記事に

「気合でなんとかるなら、死ぬ気でするわっ」的なのがあった。

そして、その記事に対するコメントに

「健常者に理解なんて無理」

「理解する気さえないだろ」

的なものが多かった。

(本来なら、トラックバックとかアドレスあげるべき?)


確かに、双極性障害やうつ病などの精神疾患は気合でなんとか
なるものでないことを、私は理解しているつもり。

精神といいながら、その実脳機能の病気であると理解しているつもり。

もちろん、本人が辛いのも、しんどいのも理解しているつもり。


ただ…反論や批判を恐れずに言わせていただけるなら、
正直、理解だけ求めらても…というのがあるわけで…。


日曜日、朝起きたらものすごい頭痛…。

私は偏頭痛持ちではないので、この場合は原因はコリからくると思われ。

肩コリやら、首コリから頭痛になるのである。

しかも、日曜日なのに朝の6時より前に(平日より早く)娘が起き出し
ギャーギャー騒ぐので、尚更イライラが加算され気持ち的にもCLOSEする。

しかし、どんなに寝ようと頑張っても7時を過ぎればご飯を作らねばならず
一通り準備して自分が食べた後、速攻ソファで横になった。

娘は不満たらたらだが、なんとかシャットアウトして寝たおす。

10時を過ぎると、彼がやってきて目を覚ます。

その日は珍しく、買い物についてきて荷物持ちをしてくれるハズだった。

が、私が動けない。

頭と身体が重い…鉛詰まってる?くらい。

加えて起きようとすると、めまいしそう。

「ごめん、買い物今無理…。

 ○○(娘)連れて、お昼用にお弁当買ってきて…。」

と言って、お金だけ渡し、また意識が飛ぶ…。

帰ってきたときには「お帰り」を言ったが、あとはまた落ちる…。

次に気が付いたのは午後1時過ぎ。

でも寝ている間も、あれをしなきゃとか、これをしなきゃとか…
そんなことばかり考えていた。

でも、頭痛はちょっと治まっていたので私の分のお弁当をいただく。

まったく今月は財政が超厳しいのに…と罪悪感たっぷり…。

食べ終わり、この勢いで買い物をしようと思い、娘に頼んで彼を呼んできてもらう。

しかし彼は、娘の残した弁当を食べたきり、行きたくないモード全開。

私がふらつこうが、頭痛を訴えようがなんら関係なし。

調子悪いから、無理一辺倒。

しかも、

「菓子パン買ってきて…」だって。

朝ごはん食べたあとの洗物もそのまま流しに投げっぱなし。

おかずやら、娘の箸やらはテーブルに出しっぱなし。

片付けてくれる気などさらさらなし。

半分泣きべそかきながら、買い物に行く。

だって、今日買わないと冷蔵庫の中空っぽなんだもの…。

それでも娘はついてきてくれて、荷物を持ってくれた。

ありがたや~~~~。


帰ってからまた速攻横になる。

夕方暗くなるまで…。

途中娘が「さみしい~~~」と言ってじゃれてきたのにはちょっと付き合う。

それで精一杯。


彼は私たちが帰ってきても2階から降りてこず。

夕方降りてきたと思ったら、トイレにいって、菓子パンだけ食べて
私にも娘にも声をかけずまた2階に戻っていった。

その日彼から、「大丈夫?」などの心配する発言は一切なし。


今朝も調子が悪いのか、起こしても起きてこず、そのまま放置して
会社に来たら、さっき電話あった。

「今日調子が悪いんだ…どうしたらいいかな~。」だって。


辛いんだろうし、しんどいんだろうけど、知るかそんなん!って思う。

私がしんどくたって、何もしてくれないくせに、自分だけ泣きついてくるな。

求めるだけで、何かしてもらうことが当たり前で、自分のことしか
考えられないっていうなら、一人で生きていけ!って思う。

give and takeとは言わないが、一方的な依存は関係性に無理がある。


こっちだって生身の人間だ。

具合の悪いときもあれば、機嫌の悪いときもある。

でも常に、give・give・giveだけでは付き合いきれない。


理解して欲しい。

優しくして欲しい。

世話を焼いて欲しい。


欲しい・欲しい・欲しい…それだけでしょ?

自分はいったい何をしてくれるの?


もろん、これは我が家の・彼の話である。

双極性障害や精神疾患をかかえる人が全てそうだとは思わない。


しかし、精神疾患を抱える人だけが痛みを抱えているわけではないと
思うのだ。

病気を抱えていようがいまいが、要は人間関係だ。

相互理解なければ、成り立たないのではないか。