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(元)旦那の病気(双極性Ⅱ型障害)について

ご注意!

当ブログをお読み頂きありがとうございます。 このブログは(元)旦那の病気(双極性障害)を中心に 家族の日常を記載しております。 ただし、ブログ主である私の“毒”も多分に含まれ 心の病気の方などに不愉快な記載がある場合もあります。 どうか、充分ご注意いただけますようお願い致します。

扶持

2012年01月17日 | 日記
以前も書いたことがあるが、私はそれまでほとんど
泣いたことのない人生だった。

それなり辛いことも、悲しいこともあったように思うが
なかなか素直に泣けない人間だったとしかいようがないけれど
大人になってから人前で泣いたことなどそうそうありゃしない。

映画で泣いたこともないし、恋愛沙汰で泣いたこともない。

あ~~~一人のときは別としてだけど。


でも彼が病気になってから、どれだけ泣いてきただろう。

正確にはどれだけ泣かされただろうなのかもしれないが…。

とにかく悲しくて、悔しくて、切なくて、不安でって何が
どうどのくらいブレンドされているかわからないほど泣いている。

声を出して泣く場合、声も上げられず歯食いしばって泣く場合、
ただただ無表情で泣く場合…色んなパターンがあるけれど。

その度に思うのが、人間には一定の行為にキャパが決まっている
んじゃなかろうか?ということだ。

私の実家だけの話かも知れないが、

「あの人はまだ食いブチが残っているからまだ逝けない…」みたいな言い方をする。

これは辞書に載っている意味とは違うが、人生において一定の食べるもしくは
食べることを楽しむ量が決まっていて、それにはまだ到達していないので
お迎えが来ないみたいな意味で言っているんだと思う。

確かに、私の母方の祖父は勤勉な人でよく働いたらしい。
しかし、食に対する執着もなく、食べる量も楽しみも少ない人だった。

ところが、段々と認知症をわずらい施設に入所した際に母親が
持って行くおやつをとても楽しみにしていたという。

甘いものが大好きで羊羹がとてもすきだったとのことだ。
若い頃にはまったく考えられなかったとのことだ。

そしてしばらく入所した後、病院で見送った。

そのとき母親は最後に一緒におやつを食べて喜んでくれてとてもよかったと
言っていた。

そうやって自分の人生のキャパを使い果たしたので見送ることになったとう
考え方だ。

無論、こじつけだけど。

あと食いブチの他にも、働きブチってのも言う。

「あの人は若いときに遊んでいたから、働きブチが残っているんだろう。
 だから年取ってもあ~やって働かなきゃなんだ」みたいな使い方。


つまり、人生のおける泣く量が決まっていて私は前半戦ほとんど泣くことなく
過ごしてしまったから、今こんなに泣くことが多いってことなのかな~って。

人生におけるアップダウンが少なく淡々と生きてきた分、今アップダウンの激しい
感情が錯綜する人生を送っているのかな~って。


きっと今泣いて、今感情のアップダウンをたくさん経験していたらもっと
歳を取ったあと、平々凡々と穏やかに暮らせるのかな~って。



「人生なんて、いいこともわるいこともとんとん」だと思っている。


いいことばっかり続かないし、悪いことばっかり続かない。


今しんどい分、きっとどっかで報われる。


今はそう思うしかないと言い聞かせる。