最近よく思う。
結局、夫婦って他人なんだよなぁ…って。
所詮、他人だから努力しなければならない部分もあるだろうし
結局、他人だからあきらめなければならない部分もあるだろう。
これが血縁者は違うような気がする。
極論、彼か娘かと問われれば、迷わず娘と答える。
では、彼か実母かと問われれば、迷いはするが母を取る。
なんでこんなことを思うかといえば、久しぶりに帰った実家で
母親の老いを目の辺りにしたから…。
私の母親は父親のところへ嫁いでから随分苦労した。
舅、姑、小姑の折り合いもよくなかったし、何より父が自営業
だったため経済的に苦労した。
加えて父親は悪い人間ではないが、独善的で超わがまま…。
それでも文句も言わず、小さな身体で人一倍働き、私達を
育ててくれた。
私自身そのお年頃には反抗期もあったが、でも長じてからは
できるだけ大事にしてきたつもりだ。
しかし、ここ最近の我が家の状態では心配をかけることしかなく
経済的にも支援してもらうこともある。
いつまでも頼りにしているばかりではいけないことはわかっているが
しかし、老いた親を見るのは少なからずショックではある。
例えば、毎年の正月料理の味が微妙に違ったり、側にいるのにも
関らず鍋を焦がしたり、いつもより気が回らなかったり…
何よりあまり文句を言わない人だったのが愚痴っぽくなったり。
歳を考えれば無理もないことで、気にすることもないようなこと
ではないけれど、でもそれを本人も自覚していてショックがっている
ことがショックだった。
もちろん、無理もないこと、気にすることもないことを伝えはしたが
そう言われることもやはりショックな様子。
私の歳には父親は自分の父親を見送っていたし、母親にいたっては
もっと若く30代で母親を見送っていた。
いつまでも親に甘えているばかりではなく、親に心を配る歳なのだと
つくづく思ったわけである。
彼の状態がよくなかったり、同居してもらっていたお義父さんの手前が
あり、実家には足が遠のいていた。
電話もついつい、気が滅入っていたり、気が滅入るような話しか出来ない
ので自分からかけることはなかった。
でもそんなことは言ってないで、電話も自分からして、実家にも帰るように
しようと思う。
例え、彼をほっておいたとしても。
お正月一人で適当に食べ、薬も飲んでいたのだから、やってできないことは
ないだろう。
私と彼は他人に戻れる。
私が彼が野たれ死のうがどうしようが、私の知ったことではないと
覚悟さえできればなんとかなる。
まぁ、娘の問題は残るわけだが…。
そんなんを仕事中にも考えていたら、Yahoo!にもこんな記事が。
「自分を犠牲にしてでも夫を幸せに?」―女性6割“NO”
ふ~~~ん、自己犠牲ねぇ…。
私はっ?と思ったら答えはやっぱり“NO”だ。
私は私のために、そして娘のために彼といる。
彼と娘のために犠牲になっているわけじゃない。