娘が児童保育でミサンガを作ってきた。
児童保育の先生から作り方を直ぐに覚えて友達に教えて
くれて助かったと褒めてもらった。
娘は私に似ず、祖母(私の母)に似たせいか細かい作業が
苦ではなく器用なのだと思う。
帰り道ミサンガはプロミスリングともいい願いをこめて編んで
身に着け、それが自然に切れるとその願いが叶うって言うんだよ
と説明した。
すると、娘が
「○○の願いは決まってるもん!」と言う。
彼のことだろうと思った。案の定、
「ミサンガが切れたら、もう元気になったよ~って
パパが言ってくれるといいな~」と言う。
「あとね~、3人家族でご飯食べに行きたいな~」と言う。
この日、彼は3連休出かけっぱなしだったというのに朝から海に行きたいと
いい娘のお迎えはできないと言ってきた。
そして夜9時を過ぎても帰ってこない。
携帯を見るとメールが届いていた。
先日一緒に美容院に行った人の家におじゃましているとあった。
その後そろそろ帰ると届いた後、お酒をいただいたので車で寝て
朝帰ると送ってきた。
もう、返信する気にもならずほっておいた。
翌朝、娘が学校に行く時間になっても連絡はない。
こちらからも電話することしなければ、お義父さんに連絡することも
せず私も出勤した。
彼に振り回されてワタワタするのはもう勘弁だった。
それでも家の近くに車の音がすると耳をそばだててしまう…。
会社にいるときに電話が来た。
一方的に昨日の話をし始める。
色々相談に乗ってもらったこと、そしてつい泣いてしまったこと…。
しばらくして
「そっちはどう?」と聞いてきたので
「どう?じゃないよ」と冷静に応えた。
娘は夜寝る時間になっても戻ってこない彼に対して、メールがあった
ことを伝えても
「パパは○○を置いて出て行った。もう帰ってこないかもしれない」と言い、
夜中私がトイレに立つと、すかさず目を覚まし
「ママ、どこに行くの?」と聞いてくる。
それだけ眠りが浅いということだろう…。
そして朝、学校に行くときに
「パパ帰って来ないね~、何処にいるのかな~…」と言って出かけた。
娘のそんな状態を話すと彼は
「これって躁ってことなのかな~?」と聞いてきた。
私は
「自分の都合だけ考えて行動して、私や○○がどんなに心配するか
○○がどれだけ傷つくか、私の鬱度が増そうがまったく気にしないって
それは病気のせいなの?それともそもそもそういう人間なの?
私にはもうわからないよ…」
すると彼は
「そんなのは自分じゃない。俺はそんな人間じゃない」と言う。
「だったら躁だって自覚しなさい。自分の衝動だけで動くとこうなるってこと
○○が傷ついて、私が壊れていくって事。
そしてその衝動を制御できるようにならないと、いつか家族で
いられなくなるって事。
そのために日々努力してください。
きちんと薬を飲むこと、睡眠をとること、食事をとること、簡単な
ことではないかもしれないけれど、そうやって努力する姿を見せてよ」と応えた。
そして娘のミサンガの話をした。
「○○の思いに応えてやってよ。
働けなんて言ってない。あの子が望んでいるのは一緒に遊んだり
ご飯を食べることなの。
今の状態でも心がけ次第で、応えてやれることなんじゃないの?」
と話した。
彼は途中から泣き出してしまい、話をそこで止めた。
躁鬱病患者の苦しみは私にはわからない。
しかし、躁鬱病患者の家族の苦しみだってそれに劣らないはずと
私は思う。