僕の感性

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ヒルザキツキミソウと太宰治

2019-06-12 16:21:32 | 文学

N.Tさんの庭に咲くヒルザキツキミソウ

淡いピンクが心をなごませてくれる。

 

ここから文学に無理やり結びつけたがるのが私。

太宰治の年表を紹介

昭和10年(26歳) 新聞社の入社試験に失敗😵💧し

鎌倉で縊死を図るが失敗。

 

昭和11年 パビナール中毒のため江古田の武蔵野病院

に入院。

昭和12年(28歳) 3月妻初代の浮気を苦に谷川温泉で心中未遂。6月初代と離別。

昭和13年山梨県の御坂峠の天下茶屋で数ヶ月

富士と対峙する。

 

最初、太宰は富士山を鈍角でのろくさで浮世絵のようにすうっと高い山でないとこき下ろす。

年表からわかるように

度重なる自殺未遂と離婚を引き金として

ひねくれた心情が具に見てとれる。

けれど師匠である井伏鱒二氏の媒酌により

新たな妻、石原美知子と契りを結ぶ。

この素敵な縁をきっかけにして太宰は立ち直るのであった。

「富嶽百景」や「走れメロス」など次々に名作を発表し、この頃から富士に対する見方が変化し

素直に賛美するようになる。

ただ、

「金剛力草とも言いたいくらい、けなげにすくっと立っていた月見草はよかった。

富士には月見草がよく似合う」

と富嶽百景に書いたのは

あくまでも富士が下で月見草を上に置いており、

根っからのアイロニカルな太宰らしい表現だ。

 

その月見草は、実際は「オオマツヨイグサ」である

と言われている。

路傍に控えめに咲く黄色いその花は

夕方に開き朝にはしぼんでしまう。

 

対して、ヒルザキツキミソウは

私を見て!と言わんばかりに

午前中に開花する。

 


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