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万葉集の木簡

2008-05-23 23:40:48 | Weblog
 聖武天皇が造営した紫香楽宮(742-745年、滋賀県甲賀市)跡で出土した木簡に、最古の歌集、万葉集の「安積山の歌」が書かれていたことが分かり、市教育委員会が22日発表した。万葉集の歌の木簡が見つかったのは初めて。

 反対の面には「難波津の歌」が記されていた。両歌は、平安時代に紀貫之が古今和歌集の仮名序(905年)で「和歌を習得する際に必ず学ぶもの」として「歌の父母」と記している。2つの歌が書かれた史料としては仮名序より約150年さかのぼり、古典文学の成立過程を解き明かす発見となりそうだ。

 木簡は1997年に出土。幅は約2センチ、厚みはわずか1ミリで、これまで木簡の削りくずとみられていた。一部が欠けており、長さは約60センチと推定されている。

 以上の記事が新聞に載っていました。木簡の発見は度々ありますが、万葉の歌が書かれているものは珍しいと思います。

 木簡片面には「阿佐可夜(あさかや)」「流夜真(るやま)」と、万葉仮名の表記が肉眼と赤外線写真で確認でき、万葉集の「安積山(あさかやま)の歌」と分かります。

 覆土の年代や紫香楽宮の造営時期から、木簡が書かれたのは744年末から翌年初めと推定。万葉集の成立は745年以降とされるため、この木簡は万葉集より古い可能性が高いのです。役人の間で広く読まれていた「安積山の歌」が、後に万葉集に収められたと推測されます。

 木簡のもう一方の面にも「奈迩波ツ尓(なにはつに)」「久夜己能波(くやこのは)(奈布(なふ))由己母(ゆごも)」と書かれ、万葉集には収録されていないが古代から伝わる「難波津(なにわづ)の歌」の一部がありました。

難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花

安積山影さへ見ゆる山の井の浅き心を我が思はなくに

 古今集仮名序は二つの歌を最初に習う歌と紹介、今回の発見で、2首を1対とする伝統が、仮名序を160年さかのぼる奈良時代から続いていたことが明らかになりました。
 また、万葉集編集の材料として、木簡も使われていた可能性がわかりましたよね。


 





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