僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか

2017-01-05 16:15:02 | 人生論
明けましておめでとうございます

タイトルは、ポール・ゴーギャンの有名な絵画の一つです。


ゴーギャンは1871年、23歳でパリのベルタン商会で株式仲買人として働き、年収は三万フランもありました。
19世紀の3万フランは日本円では1800万円~4500万円ぐらいです。

けれど1883年の金融恐慌が原因で、ゴーギャンは職を失ってしまいます。収入がなくなり食べるのも困る生活、そうした中で
ゴーギャンが生きるために選んだ仕事が画家だったのです。

ゴーギャンはマルチニーク島、ブルターニュ、ゴッホの住むアルルと放浪した後、1891年南国タヒチへと旅立ちます。
二年後タヒチで描いた絵をもってパリに帰り個展を開きましたが、絵は全く売れませんでした。

失意のまま再びタヒチに戻り、このときの生活の中で描いた大作が表題の絵でした。

この作品は誕生と死の間に繰り広げられる人生の流転を描いたものとされています。

右端の赤ん坊が生命の起源を表す「眠る赤子」、赤い服を着た二人は「知恵の木」について論じあっているといいます。
中央で禁断の果実をもぎとっているしぐさをしている人物が青年期を表し、左端の老婆は避けることができない「死」を象徴しています。

青年期と死・晩年の間に立つ青い像は「超越者(The Beyond)」を表し、偶像のモデルは月の女神ヒナと言われます。

ゴーギャンはこの作品を描き上げた後自殺を図っています。


サマセット・モームの作品に「月と六ペンス」という傑作があります。この作品の主人公・ストリックランドのモデルがゴーギャンといわれています。
現実のゴーギャンは失職と共に絵を職業としますが、作品の中のストリックランドは突然失踪します。普通の日常に飽き足らず、狂気に導かんとする
芸術的情熱を持ち続けます。ストルーヴという画家の助けを受けながらも彼の妻を奪ってしまうという倫理にもとる生き方をするのです。

そしてなお一か所にとどまらず、一人の女性に執着せず、ただただ絵筆を持ち続けました。

話し手は、ストリックランドが死んだあと、彼の絵をたまたま手に入れたコーエンというユダヤ系商人の話しを聞きました。

一週間何も食べていないという彼に乞われて200フラン貸したといいます。それから一年後ストリックランドから農園の絵を受け取ったそうです。

コーエンには何の価値も見いだせなかったその絵に3万フランの値がつきました。
奇しくもその数字はゴーギャンがかつて貰っていた年収と同額でした。

モームの出世作である「月と六ペンス」、「月」は限りない夢を表し、「六ペンス」はありきたりの日常を示しています。


愛と愛情

2011-02-23 21:07:50 | 人生論
フジモンとユッキーナの結婚披露宴は笑いあり涙ありで感動的だった。

けれど今、結婚した3組に一組が離婚し、もう一組が離婚予備軍だと言われている。

男女がたとえ永遠の愛を誓おうと、愛情がなければいずれ瓦解していくのだ。
どんなに睦まじく胸の高まりが抑えきれない期間を経ようが、やがて愛は必然的に消失していく。悲しいかな、互いの欠点を目の当たりにして失望感を味わい、ちょっとしたしぐさを疎ましく思ったりするかもしれない。
人間は飽きる動物でもあるし・・・

それでは愛情とはなんぞや。

それは、よしんば愛が消失したとしても、根底に情(なさけ)が残るのである。
言い換えれば、慈しみの心、或いは、相手を大切に思う心、または感謝の気持ちも含むだろう。

数々の試練をお互いの協力で乗り切った時間が多ければ多いほど、互いを信頼しあって絆がより強固になっていくのではなかろうか。

愛や恋やうたかたののぼせあがった気持ちだけではなく、尊敬し労わりあう深い愛情の念を刻むべきだろう。
マザーテレサは愛情の対義語は無関心だと述べた。
今、伴侶やこどものことをないがしろにし、自分勝手に振舞う大人が増えてきた。
あなたが無下に対応すれば、いずれあなたも同じ憂き目にあうことになるかもしれない。

幸せになるために

2010-05-31 22:53:03 | 人生論
柳沢きみお氏は、お金はあった方がいいが、何でも買える大金持ちにはならなくていいと言っています。
つまり買う楽しみとか喜びはなくなるから、何も買えない貧乏人と同じになるということなのです。過ぎたるはおよばざる如しと述べています。

もっと極論をおっしゃるのが、瀬戸内寂聴氏です。若いころ書生と仲が良くなり旦那様を捨てて駆け落ちした経験を持っている人です。
1973年に中尊寺で得度。作家でもあり住職でもあります。酸いも甘いもかみ分けた人間だから、様々な人の相談に乗ったり、講演活動を精力的に行なえるんですよね。

彼女は、贅沢な食事をせず、家族揃っての食卓こそ幸せだと語っています。またお金を残すと遺産争いなど遺族や肉親が見苦しい争いをするので、身の程を過ぎた欲望を持つと破綻するとおっしゃっています。
「足るを知る」ことが大切で、お金や物を欲しがらず、目に見えない神様、仏様、人の心を大切にと説いています。
人は、誰かを幸せにするため、この世に送り込まれているので、ボランティアでもいいから何かした方がいいと言っています。
自分の存在が誰かの役に立つというだけで、人は自分の生き甲斐になりうるのです。

幸福論

2010-05-20 22:11:28 | 人生論
あなたは今幸福ですか? どれを幸福の概念とするのかなどと考えたりしますか?

キリストは神の恩寵を受けるのだといい、アリストテレスは中庸が大事だと説きました。

あなたはお金は無限に欲しいですか?
名声はどうですか?

恋にときめいたり、スポーツの勝負で勝つ喜びを知りますか?

美味しいものを食べるとき、至極の幸福を感じるでしょうか!?

仕事が順調でそれが生き甲斐となって幸福を感じるかもしれません。

家族がみんな健康で仲が良いことに無上の喜びを覚えるかもしれません。

幸福の尺度は人それぞれ違うので、一概にこれが幸福だとは断定できないでしょう。

自分は、そうですね~
自然豊かな山奥で、畑を耕したり山菜やキノコを採って暮したいな~
傍に小川があったら最高で、釣りなんかしたりして・・・
夜流れ星がきらりと光って 感動して
雨の日は本を読むんですよね。
パソコンや携帯はいらないな~たぶん
自然に同化してクヌギや樫の木などとともに朽ち果てるのも面白いと思います。
あくまでも私の理想・・・妻は猛反対です


「他人を幸福にするのは香水をふりかけるようなものだ。ふりかけるとき、自分にも数滴はかかる。(ユダヤ)」



男と女

2009-03-12 20:46:20 | 人生論
竹内一郎氏の「人は見た目が9割」という著書によると、一般的に男の浮気はばれやすいが、女の浮気はばれにくいと言われているそうです。男と女で、嘘を見抜かれたときの「目の処理」が異なるからだそうです。

男は嘘をついたとき、目をそらす。やましい気持ちが目に表れます。ところが女が嘘をついたときには、相手をじっと見つめて取り繕おうとするのだそうです。
強かですよね

マザー・テレサ

2008-06-23 22:36:22 | 人生論
今日の深いイイ話にマザー・テレサのエピソードがありました。1979年に彼女はノーベル平和賞をうけました。マザー・テレサは受賞者のための晩餐会の出席は断りましたが、賞金6000ドルはカルカッタの貧しい人々のためにうけとりました。賞金を受け取ったとき「このお金でいくつのパンが買えますか」といったといいます。そのときのインタビューの中で「世界平和のためにわたしたちはどんなことをしたらいいですか」と尋ねられたマザー・テレサの答えはシンプルなものでありました。
「家に帰って家族を大切にしてください」