(写真は小野竹喬の代表作のひとつ
「奥の細道句抄絵」版画絵【あかあかと 白は難面も 飽きの空】を拡大したもの)
『 小野竹喬展 』
10日。
朝一番に入場し『 小野竹喬展 』を楽しむ。
思いのほか作品数が多く、驚く。
わたしは小野竹喬は名前くらいしか知らなかった。
若いかりし頃に日本画で好きだったのは加山又造。
画風は全く違う。
小野竹喬は年齢によって作風ががらりと変わる。
わたしがこの画家で好きだったのは50代後半。
色調は柔らかできめ細やか。
同系色の中に色感豊かな感性が巧みに表されている。
自然の色や季節のうつろいを描かれていたのは、見事であり、この頃の作品をわたしは好きだと感じた。
シルエット風線描気の中にちょっとした緑のはを描いたのは71歳。
説明を読むと『始まり』の意味を含めているという。
志の高い方だ。
思いのほか観客は多く、ご年配の方が多い。
こういった絵を見て説明を読まれた方は、やる気が出るのではないだろうか。
ご夫人、紳士方は口々に、
「きれいやね。」
「細かいね。」
「色がきれいだ。」
などと話されながら楽しまれていた。
わたしはそのことばを心地よく木の葉の囁きのように聞いていた。
80歳代頃になると多くの色を使い色鮮やかにはなるが、その分色感は単調である。
一般的に人は御年齢になると赤い服を好まれるというが、それと共通するのだろうか。
抜くところが無く輪郭が強調される野茂、ある意味興味深い。
これは若いわたしの最近の写真にもみられることで、気をつけねばと感じた。
小野竹喬は理数系の絵だ。
デッサン力が高く、器用な小野竹喬は
日本画
洋画
大和絵
エッチング風
版画風(中には浮世絵風のものも)
水墨画風
などがその時々で表されている。
小野竹喬の絵に対する試みと苦悩(或は遊び心)が現れていて楽しい。
晩年はスッケッチに頼らず心中の風景を頭の中で構図と色調を組み立てられて描かれた作品があった。
逆光を巧みに取り入れ枝や木々をシルエットで表す。
線の使い方が独特で、構図を造形的に表現。
海や農村のようすが日本的で、人の心に懐かしさを与える。
月は胡粉の白抜き。
空や海で変化をもたらすものが多い。
空間にこだわらず、大胆な構図を構成された小野竹喬の感性は見事だと感じる。
わたしは12時頃会場を出た。
どういう訳かはわからないが、ふと暁斎が見たくなった。
みなさま、最後までお読み下さいましてありがとうございます。
『 小野竹喬展 』の感想はわたくし独自のもので、間違いなどあるかもしれません。
お気づきの点などございましたら、お教え下さればうれしいです。
ありがとうございました。
大阪市立美術館HPより転載させていただいております。▼
平成21年(2009)11月3日(火・祝)~12月20日(日)
午前9時30分~午後5時(入館は午後4時30分まで)
一般1,200円(1,000円)、高大生900円(700円)
中学生以下、障害者手帳等をお持ちの方、大阪市内在住の65歳以上の方は無料〔要証明(原本に限る)〕
展覧会概要 ▼
小野竹喬の風景画は、明るく清澄な画面に、光の変化や季節のかすかなうつろいまでもが表わされています。そして一年のうちのある季節、一日のうちのある時間という一端を描きながら、その作品は、自然が絶えず変化し、めぐるという普遍へと私達の思いを至らせます。
1889(明治22)年、現在の岡山県笠岡市に生れた小野竹喬は、14歳で瀬戸内海に面した故里を後にし、京都の竹内栖鳳に師事しました。
75年間の画業を通し、日本の自然の美しさを描き続けた竹喬ですが、<竹橋>の雅号を用いていた初期には西洋絵画への関心が強く見られ、1922(大正10)年から翌年にかけての渡欧を機に、「線」による表現へと方向を変えます。やがて南画への憧れが強まる昭和前期を経て、戦後は『奥の細道句抄絵』に代表される象徴的な表現へと画風は変化しました。そして最晩年に至って、墨彩画への挑戦を試みました。
竹喬の自然を見つめるまなざしや表現の探求は、1979(昭和54)年に89歳で亡くなるまで変わることがありませんでした。小野竹喬生誕120年にあたる本年、あらためてその生涯を代表作100点余りとスケッチにより顧みます。
大阪市立美術館 天王寺公園内