今日 会社の壁掛けカレンダーを見て
「あ 9月を切り取るのを忘れてた。」
会社のカレンダーはモネやセザンヌの絵の下に、2ヶ月並んで日付が印刷してあるもので、左側が過ぎるとその部分だけチョキチョキと切り取る。
そうすると、その下から翌月のが覗くと言うわけ。
で、右側の10月が終わればぜんぶを取り除くわけだけど、まだちょっとあるから、とりあえず9月の部分だけチョキチョキ・・・
「あーーー 今月終わって上を取ったら、もうあと一枚しかないじゃない(--)」
一番下は11月と12月。
ついこの間、このカレンダーに架け替えたばかりの気がするのに。
と言うことは、もう一年が過ぎちゃうと言うことで、私はこの一年何をやっていたのだろう?
若い頃は、年が過ぎていくのがまったく気にならなかったけど、ここ数年は残りの年数を感じてしまう。
「残りの年数」というのは、私の一生。
特に父が亡くなって実質両親が彼岸にいる今は、「親の代が終われば、次にゴールを迎えるのは自分たちの世代」という感じがとても強くて、それが自然の摂理ともなれば、枯れ行く一年草と同じに自分の人生も終わりに近くなっているんだと実感する。
一年草は枯れる前に種を残していくわけで、それはもう子供たちが育っているからオシマイ。
後は時間とともに枯れ行くのを待つだけ。
暖冬だったりで無難に過ぎれば、年明けまで残る植物もあるけれど、急な霜枯れとか台風とかで一晩でオシマイということもあるわけで。
そのあたりは人間も変わらないと思う。
幸いにもストレスがなく、病気にも事故にもあわず、細々とでも暮らしていけるお金があれば、平均寿命というところまで生きるのかもしれない。
となれば、後20年はあるわけだけど、それは長いのか短いのか。
人生のカレンダー 生まれてから80枚だとして、まもなく残り後19枚?
そんなの あっという間だわ(--)
いや 何も長生きしたいとか、死ぬのがいやだと言うのじゃないのですよ?
ただね 今の状態のままじゃ 死ねない。
きっといま運命の神様が迎えに来たとしても
「ちょっとまって!! ちょっと片付けたいから!! あと葬式費用ためてから!!」
って、必死にお願いしちゃうだろうなぁ(爆)
たつ鳥あとを濁さず が理想なのに、このままじゃ後に残るは腐海だもの(^^;;
さすがにオームはいませんが、いらないものがごちゃまんと。
それでなくとも、手作り資材があふれているのですから、身の回りのものや本や資料など、もっと簡素にしなくちゃ。
この間の父じゃないけど、身一つに服が多すぎる。
ドレッサー1つに引き出し3つ(冬物、夏物、下着類)が理想です。
(和服はどうしてもたんす1つ残る・・・)
片付けなくちゃ と思いつつ、ものを増やして散らかすことしかできない私(--;;;
脳みそ どうなってるんだろう??
使えるか使えないかを判断基準にするのではなく、使っているかどうかを断捨離の基準にするって、なるほど。
壊れていないから、いざとなれば使えるからと、つい捨てがたい。
唯一出来ているのが靴。
ムカデじゃないので、ヒール黒と茶(夏とその他シーズンで4足)、普段使いの靴(Gパン用)、スニーカー、夏用サンダル。 これだけ。
一足だめになったら捨てて、新しいのを一足。
これだけは、もうずっと守れている。
服もそうすれば いいのよね。
どうやっても、破れたりはしないのだから、ワンシーズン着なかったらさよならね。
うん 今年のうちに、少し捨てよう。
じゃないと、片付かないうちに神様に連れて行かれるかも~(爆)
例年 残暑が続いて紅葉がなくなっていたのが、今年は桜が勘違いして咲くほどいったん気温が下がったようで、久しぶりに紅葉♪
コバノズイナ もっときれいになるといいなぁ~♪
今年は何を思ったか、この子が実もたわわ♪
青ゆずが気に入ってしまったかーさん
「ねぇ レモンも青くても使えるわよね?」
「ダメーー!! 黄色くなるまでとっとくの! もう ゆずに味占めちゃって、取ったらだめなんだからね!!」
と ママちんに叱られました(--)
「あ 9月を切り取るのを忘れてた。」
会社のカレンダーはモネやセザンヌの絵の下に、2ヶ月並んで日付が印刷してあるもので、左側が過ぎるとその部分だけチョキチョキと切り取る。
そうすると、その下から翌月のが覗くと言うわけ。
で、右側の10月が終わればぜんぶを取り除くわけだけど、まだちょっとあるから、とりあえず9月の部分だけチョキチョキ・・・
「あーーー 今月終わって上を取ったら、もうあと一枚しかないじゃない(--)」
一番下は11月と12月。
ついこの間、このカレンダーに架け替えたばかりの気がするのに。
と言うことは、もう一年が過ぎちゃうと言うことで、私はこの一年何をやっていたのだろう?
若い頃は、年が過ぎていくのがまったく気にならなかったけど、ここ数年は残りの年数を感じてしまう。
「残りの年数」というのは、私の一生。
特に父が亡くなって実質両親が彼岸にいる今は、「親の代が終われば、次にゴールを迎えるのは自分たちの世代」という感じがとても強くて、それが自然の摂理ともなれば、枯れ行く一年草と同じに自分の人生も終わりに近くなっているんだと実感する。
一年草は枯れる前に種を残していくわけで、それはもう子供たちが育っているからオシマイ。
後は時間とともに枯れ行くのを待つだけ。
暖冬だったりで無難に過ぎれば、年明けまで残る植物もあるけれど、急な霜枯れとか台風とかで一晩でオシマイということもあるわけで。
そのあたりは人間も変わらないと思う。
幸いにもストレスがなく、病気にも事故にもあわず、細々とでも暮らしていけるお金があれば、平均寿命というところまで生きるのかもしれない。
となれば、後20年はあるわけだけど、それは長いのか短いのか。
人生のカレンダー 生まれてから80枚だとして、まもなく残り後19枚?
そんなの あっという間だわ(--)
いや 何も長生きしたいとか、死ぬのがいやだと言うのじゃないのですよ?
ただね 今の状態のままじゃ 死ねない。
きっといま運命の神様が迎えに来たとしても
「ちょっとまって!! ちょっと片付けたいから!! あと葬式費用ためてから!!」
って、必死にお願いしちゃうだろうなぁ(爆)
たつ鳥あとを濁さず が理想なのに、このままじゃ後に残るは腐海だもの(^^;;
さすがにオームはいませんが、いらないものがごちゃまんと。
それでなくとも、手作り資材があふれているのですから、身の回りのものや本や資料など、もっと簡素にしなくちゃ。
この間の父じゃないけど、身一つに服が多すぎる。
ドレッサー1つに引き出し3つ(冬物、夏物、下着類)が理想です。
(和服はどうしてもたんす1つ残る・・・)
片付けなくちゃ と思いつつ、ものを増やして散らかすことしかできない私(--;;;
脳みそ どうなってるんだろう??
使えるか使えないかを判断基準にするのではなく、使っているかどうかを断捨離の基準にするって、なるほど。
壊れていないから、いざとなれば使えるからと、つい捨てがたい。
唯一出来ているのが靴。
ムカデじゃないので、ヒール黒と茶(夏とその他シーズンで4足)、普段使いの靴(Gパン用)、スニーカー、夏用サンダル。 これだけ。
一足だめになったら捨てて、新しいのを一足。
これだけは、もうずっと守れている。
服もそうすれば いいのよね。
どうやっても、破れたりはしないのだから、ワンシーズン着なかったらさよならね。
うん 今年のうちに、少し捨てよう。
じゃないと、片付かないうちに神様に連れて行かれるかも~(爆)
例年 残暑が続いて紅葉がなくなっていたのが、今年は桜が勘違いして咲くほどいったん気温が下がったようで、久しぶりに紅葉♪
コバノズイナ もっときれいになるといいなぁ~♪
今年は何を思ったか、この子が実もたわわ♪
青ゆずが気に入ってしまったかーさん
「ねぇ レモンも青くても使えるわよね?」
「ダメーー!! 黄色くなるまでとっとくの! もう ゆずに味占めちゃって、取ったらだめなんだからね!!」
と ママちんに叱られました(--)
私もこの頃、チーママさんと似たようなことを考えています。親父が亡くなったのが、80歳ですから、雁に同じ年までは生きられると仮定しますと、あと20年と少し。もっともその年まで生きられるという保証は何もありませんし、健康でいられるのかどうかも分かりませんが……。長いのか短いのか、良いのか悪いのか、今からは何とも言えませんが、ここ最近の月日の経過の速さからしますと、あっという間に過ぎ去りそうな気がしています。
余分なものは、身の回りに置かないようにとは我が身に言い聞かせておりますが、どうも本だけはダメですねえ。読み終えていない積ん読があるのに、さらに買い求めております。退職したときに膨大なものを処分しましたが、あれから2年経つ間に、さすがに増え方のペースは鈍ったものの、増加傾向は変わりなし(笑)。いやはや、何ともならないものが、誰にも一つや二つはあるものなのでしょうが、困りますねぇ(他人事みたいですが)。
センセの御蔵書も、半端じゃないですものね。
お仕事のひとつともなれば、普通の人より当然多いわけで。
その上、あれこれ興味や趣味があると、どんどん・・・(笑)
勤めている間はあまり心配がありませんが、その後が(^^;;
で、最近知ったのが、もしも主人が亡くなった時、年金がとても不公平なんだということ。
自分の厚生年金か主人の遺族年金(年金の3/4)か、どちらかしかもらえない。
当然額が多い主人のを選ぶのでしょうが、そうなると自分が働いた分は捨てることになる。
なんか納得いきません。この図式でいくと、専業主婦の方が多くもらえることもあるんですって(--)
なんだか生きにくい世の中です。
健康のためにも、定年過ぎたら庭の一部で畑でもしようかしらと、真剣に考えちゃっています。
あと19年。 どうやって生きるのか、人生の仕上げがちゃんとできるのか、どうやら大仕事が待っていそうですね(^^;;