壊れゆくライスタ応援席

2022年07月28日 | 井戸端会議
プロ野球を最大限に楽しむことは何と言っても球場へ足を運んで思いっきり大声出しご贔屓チームを応援観戦すること。
純粋に生で野球を観られることは何度行ってもテンションが上がります。
スタンドに足を踏み入れた瞬間、広いフィールドを目にした時、たまらなく解放感に満ち溢れ非日常の別空間が存在する。
と言っても、これは私個人の思いです。
ここ数年のコロナ禍によりプロ野球応援観戦スタイルが大きく変わってしまった。飛沫感染リスク対策により、鳴り物応援はもちろん、各球団独自の名物応援も禁止。ファン一人一人は応援歌を歌ったり野次ったりと声を出すことやファン同士が接触すること、また外野応援席での立ち応援をすることが出来なくなった。スタジアムで応援する醍醐味を失われてしまった。
しかしコロナ禍の観戦スタイルが変わったことにより、今まで観てきたプロ野球とは違う価値観を発見することができた。バットでボールを打つ瞬間の音、キャッチャーがボールを捕る瞬間の音、そして何より選手同士が一球一球に対して声を出し合い鼓舞したり、コミニュケーションを取り合ったり等、試合中選手の息遣いを間近で感じることが出来ること等々、〝球音〟を楽しむことが出来る。
そんな環境変化の中で応援観戦に来るファンの考え方も変わってきたのではなかろうか。
コロナ禍前は当たり前だった応援団による応援はファン個々からご贔屓チームファン全体を巻き込みスタジアムに一体感を作り上げることが出来る。
しかしそれと同時にデメリットとして、試合の局面局面で意図しない応援を応援団からファンは強要されてしまうこともある。もちろん既述した様に〝球音〟を楽しみたいファンには邪魔な存在ともなる。
そんな応援団は必要なのか不必要なのか?
〈以下はバンテリンドームに限ってのスタンド状況であり、他球場の状況に当てはまるものではない。〉
大型イベント感染リスクの検証もされぬままNPBはファンの意見なども聞かず今季からスタンドでの応援団による応援活動を認めることとなった。
開幕から応援団の応援活動を見る限り、規制されてる事と言えばトランペットや笛など一部飛沫感染リスクによるものぐらいで、拡声器を使った大声出しはOKみたい…。応援歌は球場側との連携によりドーム場内常設スピーカーにより送出している…。旗振り太鼓OK…、リードはお立ち台の上からスタンドに向けて声を張上げ…、各団員は行動自由な立ち歩き応援OK…と、ほぼほぼコロナ禍前と変わらない応援活動となっている。
そんな応援団の応援活動中、ファンは応援歌を歌うことや声出しはもちろんファン同士の接触や行動規制や応援席での立ち応援が引き続き出来ない。
応援団も球場側も応援を煽りに煽っておいて、ファンには規制を掛け拍手とボードや応援タオルの応援のみではファンとし欲求不満が溜まってやりきれない。実際ここ最近ファン同士がこの種の声が大きいだのといった内容のもめ事が多くあると聞く。矛盾としか言い様がないのが今の状況ではないか。
withコロナにこの応援活動は本当に必要か。
また、そもそも応援団不要論を唱えるファンが多くいると聞く。
果たして今の若年層主体の応援団は〝応援に対する本質〟(以前、ここで述べた。)を理解して応援活動を行っているのか、スタンドから見てる限り多くの疑問が残る。
応援ってやはり応援団自身が前面に出るのではなく、ファンが応援したくなる環境を作ることが役割だと思う。そのため、ゲームの進行状況に応じてファンが求めているものを察知し的確な応援が出来る様、常にフィールドとスタンドに目を配りアンテナを張り巡らせたる必要がある。ファンは老若男女、コアな方から新規の方など野球そのものの知識やチーム(選手等)に対する思い入りれもそれぞれ違う。世代が違えば考え方や価値観も違う。それぞれのファンの思いをくみ取り選手に楽しく熱く応援を出来る後押しを演出することこそが応援団の役目ではないか。
数年前に発足した現・球団公認応援団は、リーダー不在?の若年層(学生)主体の団員たち。毎年の様にメンバーの入会脱会を繰り返す形で今に至っている。そんな中、コロナ禍となりここ2年間程ほぼ現地での応援活動を行っておらず、今季活動再開が認められたからと言って経験値の乏しい団員がファンの前で指揮を執る無謀な活動を始めてしまっている始末…。
伝統ある応援団なら新旧年齢層の違う団員が新陳代謝を繰り返し、切磋琢磨し伝統や文化歴史を受け継いだ形で活動に活かすのだが、彼らは学校のサークルかの様に入団して3.4年で卒業して行く、腰掛け活動では薄っぺらな応援しか出来ない。単に学生時代の青春の1ページの思い出作りにされては長年ドラゴンズを熱く真剣に応援してきた僕らファンはたまったもんじゃない…。
発足当初から今なお進歩出来てないのは、こう言った今が楽しければそれで良し的な組織では、過去を反省することもなく、未来のビジョンを描くことの出来ない場当たり的な〝烏合の衆〟の集まりとなっているからだと思う。
応援席はどこかのフェス会場の様に、今日が楽しく盛り上がり騒げたら最高みたいな活動は、一部の若いファンには受入れられてる様だ。この種のファンは熱しやすく冷めやすい一過性のタイプ。チームを応援するという名目をいいことに観戦マナーやルールを理解せず仲間と盛り上がってる姿を目にする。
数年前(現・応援団発足する前)までライスタは熱心に応援声援するドラゴンズファンが集う聖地であったが、現在は何事にもゆるゆるかつ応援席の意味を理解していないファンが多くなってしまったのは悲しい。
少なくとも応援団は人前に出て活動する以上、自軍の応援席(ライスタ)の秩序やモラル、応援観戦ルールに目を配ることも役目のひとつだと思うが、全く自己中心的で我関せずを発足当初より貫いている。
応援団が応援団なら一部のファンもファン。
もっと言うと天下りのドームの関係者や球団職員は野球応援そのものを理解出来てないし理解しようとも思ってない様に感じる。野球応援観戦とコンサート等のイベント観賞を同等に思ってないだろか。
ドーム側関係者がそうであれば、当然委託警備を任されている警備員やドーム案内係のアルバイト君も応援席のあり方を理解出来ずゆるゆる。相手チームユニフォームを着たファンなどが入って来てもお構い無し…。
私はこう叫びたい!「みんなまとめて東京ドーム行って応援席のあり方を勉強してこいや!」とね。(東京ドームビジター観戦に行かれた方なら分かると思う。ピーン張り詰めたあの厳格ある空気感を。)
ドラゴンズが強かった頃はドーム関係者皆一様にプロ意識を持って聖地を守っていた。ファンの意識も熱いものを常に滾らせていた。
弱くなって10年程、戦闘意欲がなくなった壊れてしまった今のライスタ(ドラゴンズ応援席)を、もう一度正常化させる為、親会社、球団、ドーム関係者はファンが何を望んでいるのかを考えて欲しい。様々な利害に目がいく球団職員等と違って、純粋に応援しているファンのニーズというものは正しい方向を向いているものだ。
球団は「ファンあってのプロ野球、ファンあってのチーム」という視点がずれてないか?
〝強竜軍団〟だった頃のチームとファンの幸せな関係を取り戻すべく球団は現状を把握し改善努力を望みたい。


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