このブログでは、夫へのモラハラ振りを暴露している。それは私自身が他の方々のモラハラ体験をネット上で知り、非常に励まされ力を得たこと、そしてブログであれば誰にも言えなかったモラハラについて伝えられること、そして自分の体験を整理すると共に他の方々の励みにもなればと思う気持ちから始めたことである。ブログというのはある意味不思議なメディアだ。私は誰にも言えなかったモラハラ体験を、匿名ブログというメディアを通して不特定多数の方に公開している。そして最も近い夫から得られなかった「共感」を、最も遠い、顔も知らぬ方々から励ましや共感をいただく不思議。
私は親にも親しい友人にも、夫のモラハラを詳しくは言えなかった。夫のモラハラ振りはあまりにも私の想像を超え、モラハラを受けた私自身がとても受け入れ難かったからだ。このことが現実とも思えなかった時期が長かった。また、私の夫がそのような恐ろしい存在だと身近な人には言えなかったのだ。なぜなら、私自身が夫と幸せな結婚生活を築けなかったという負い目や、お互いの関係を維持できなかったことに対して努力不足と評価されることの恐れ、そして私がそんな変な夫を選んでしまったのかという劣等感と、私自身があまりに惨めな存在として貶められていることを知られたくなかった。
私は、夫から本当に酷い仕打ちを受けたと思っている。結婚して、最愛の伴侶になろうと思いきや、最悪の同居人となった。夫は私を散々こき下ろし、未だかつて私の経験してこなかった、最低最悪の人間関係となった。誰にも言われたことのない、冷酷非情な言葉を夫から投げつけられた。そして、その罵詈雑言により、私は夫から見たら史上最低人間になりはてた。私がもっていた人間関係の中で、ここまで暴言を吐かれた関係は夫のみである。こんなに冷酷無比に、ありったけの憎悪を込めてぼろくそ言われたのは、夫との関係だけである。
しかし私は夫が言うように、最悪最低人間だったのか?私はそうではないと思っていた。
私は私なりに、自分の意志を持ち人生を生きてきたと思う。信頼のおける友人もおり、結婚前から仕事もしていたし、結婚後、新しい土地に住みながらもすぐ職場を見つけた。仕事に対してはそれなりにやりがいを持ち、責任あるポジションにも着き、少しずつ親しい人間関係を作っていった。私はある程度、人生に自己肯定感を持っていた(持てない部分もあったが)。
それなのに、私は夫からはいつも「NO」を言われていたのだ。
私は夫が好きだった。ユニークで優しかった夫。私に料理を作ってくれ、私に心温かいプレゼントをしてくれ、私が昼寝をしていたら毛布をかけてくれた夫、私の仕事を応援してくれた夫、私の友人をもてなしてくれた夫、一緒にお酒を飲みながらおしゃべりした夫、おいしいレストラン連れて行ってくれた夫、感情的だったけど感激屋だった夫…。
結婚前は特に楽しい時間が多かった。たまに癇癪があっても、私が抗議すればすぐ夫は謝り、それも楽しい思い出だったのだ。
結婚した後、それが徐々に変わっていった。毎日の生活はいつしか夫の顔色を窺う日となった。生活の時々でモラル・ハラスメントが続発し私は混乱するばかりだった。私は鋭い言葉の刃で傷つけられながらも、「きっと私の思い過ごしかもしれない」「たまたま機嫌が悪かったんだろう」「私がもう少し努力すればいいのだろう」[夫は生まれ育った家庭環境が大変だったから、仕方ない。夫も苦しんでいるんだ」「私も不完全な人間で、至らないことがたくさんある」「夫は優しいときもあるし」とある時まで思い続けた。しかしあまりにも酷い攻撃を受け、私は帰宅恐怖に陥り、生きているのさえ辛くなってきた。
「明日死んでもいい」「ここで自動車がつっこんでくれれば」とも思ったし、発作的にマンションから飛び降りたくなったこともある。夫に責められ「そんなに私が悪いなら、私がいなくなればいいんでしょう?私が死ねばいいんでしょう?」とさえ思った。
どうしていいかわからなかった。私が努力してもしても夫は不満だった。そして冷たい目で私を見た。あんな冷たい目…私はいつか夫に殺されるのではないかと感じた。ある親しい友人に冗談交じりで言ったことがある。「私が殺されたら、まず夫を疑ってね」と。
そして結婚生活8年目で私はこころの限界が来たことを悟った。もう長い間夫婦らしい会話も思いやりも全くなかった。ただ冷たい憎しみの空気が室内に漂うばかりだった。私ももう何をする気力もなかった。もうとにかく夫の気配を感じないところに行きたいとの思いばかりだった。夫も私に対して憎しみの目を向け、私も夫への憎悪が募り、このままではいつかお互いに殺すか殺されるか、という事態にまでなってしまうのではないかという危機感が非常に高まっていた。ここで何とかしなければ、私はもう自分で無くなる、自分を本当に見失ってしまう…!
そして私は死にものぐるいで脱出した。一見穏やかな脱出劇となったのだが、私は当日まで必死だった。これを成功させなければ、もう私は本当に壊れてしまう…!
別居は実現した。今は夫から殆ど連絡はない。現在はまだ別居中なので夫の籍には入っているのだが、すぐ住民票も移した。もう100%、夫と生活する可能性はない。だから早く離婚すればいいのだろう。しかしまだ夫とは接触したくない。話したくもない。姿も見たくない。下手に刺激して、今の私の平和な生活を脅かしたくない。
そして、あの結婚まで夫と積み重ねた日々、親しい人達だけを招いて行った心温まる手作りの結婚式、苦しみながらも何とか生きてきた結婚生活…私の想いが詰まったこれらの日々が、離婚によってすべて無になってしまうような虚しさと深い喪失感。それを思うと、私はただただ、立ちつくしてしまうのだ。
まだまだ私のこころのかさぶたは柔らかくて、やっと血が止まったばかりで、ちょっと突かれるとすぐ破けてしまう。こうしてブログを書きながら、思わず涙がこみ上げてきてしまう。この涙は何なのか。夫の優しさと残酷さとに翻弄された混乱と虚しさ、モラハラで叩きのめされた孤独と絶望、夫と結婚生活を築けなかった深い喪失感、私の人生が全く否定された苦しみのせいなのか。
本当は、夫と笑ったり怒ったり、泣いたり楽しんだりして、一緒に暮らしたかった。お互い生の歴史を一緒に刻みたかった。お互い慈しんで生きていきたかった。でもそれはもう叶わぬ夢。それを何度も何十回も、嫌と言うほど突きつけられた。もうあの恐怖は二度と、二度とごめんだ。あんな奈落の底に落とされるような悲しみも、血を吐くような苦しみも、泣き出したくなるようないたたまれない焦燥感も、2人でいることの厳しい孤独も、絶望も、もう二度と味わいたくない。もう二度と…。
私は親にも親しい友人にも、夫のモラハラを詳しくは言えなかった。夫のモラハラ振りはあまりにも私の想像を超え、モラハラを受けた私自身がとても受け入れ難かったからだ。このことが現実とも思えなかった時期が長かった。また、私の夫がそのような恐ろしい存在だと身近な人には言えなかったのだ。なぜなら、私自身が夫と幸せな結婚生活を築けなかったという負い目や、お互いの関係を維持できなかったことに対して努力不足と評価されることの恐れ、そして私がそんな変な夫を選んでしまったのかという劣等感と、私自身があまりに惨めな存在として貶められていることを知られたくなかった。
私は、夫から本当に酷い仕打ちを受けたと思っている。結婚して、最愛の伴侶になろうと思いきや、最悪の同居人となった。夫は私を散々こき下ろし、未だかつて私の経験してこなかった、最低最悪の人間関係となった。誰にも言われたことのない、冷酷非情な言葉を夫から投げつけられた。そして、その罵詈雑言により、私は夫から見たら史上最低人間になりはてた。私がもっていた人間関係の中で、ここまで暴言を吐かれた関係は夫のみである。こんなに冷酷無比に、ありったけの憎悪を込めてぼろくそ言われたのは、夫との関係だけである。
しかし私は夫が言うように、最悪最低人間だったのか?私はそうではないと思っていた。
私は私なりに、自分の意志を持ち人生を生きてきたと思う。信頼のおける友人もおり、結婚前から仕事もしていたし、結婚後、新しい土地に住みながらもすぐ職場を見つけた。仕事に対してはそれなりにやりがいを持ち、責任あるポジションにも着き、少しずつ親しい人間関係を作っていった。私はある程度、人生に自己肯定感を持っていた(持てない部分もあったが)。
それなのに、私は夫からはいつも「NO」を言われていたのだ。
私は夫が好きだった。ユニークで優しかった夫。私に料理を作ってくれ、私に心温かいプレゼントをしてくれ、私が昼寝をしていたら毛布をかけてくれた夫、私の仕事を応援してくれた夫、私の友人をもてなしてくれた夫、一緒にお酒を飲みながらおしゃべりした夫、おいしいレストラン連れて行ってくれた夫、感情的だったけど感激屋だった夫…。
結婚前は特に楽しい時間が多かった。たまに癇癪があっても、私が抗議すればすぐ夫は謝り、それも楽しい思い出だったのだ。
結婚した後、それが徐々に変わっていった。毎日の生活はいつしか夫の顔色を窺う日となった。生活の時々でモラル・ハラスメントが続発し私は混乱するばかりだった。私は鋭い言葉の刃で傷つけられながらも、「きっと私の思い過ごしかもしれない」「たまたま機嫌が悪かったんだろう」「私がもう少し努力すればいいのだろう」[夫は生まれ育った家庭環境が大変だったから、仕方ない。夫も苦しんでいるんだ」「私も不完全な人間で、至らないことがたくさんある」「夫は優しいときもあるし」とある時まで思い続けた。しかしあまりにも酷い攻撃を受け、私は帰宅恐怖に陥り、生きているのさえ辛くなってきた。
「明日死んでもいい」「ここで自動車がつっこんでくれれば」とも思ったし、発作的にマンションから飛び降りたくなったこともある。夫に責められ「そんなに私が悪いなら、私がいなくなればいいんでしょう?私が死ねばいいんでしょう?」とさえ思った。
どうしていいかわからなかった。私が努力してもしても夫は不満だった。そして冷たい目で私を見た。あんな冷たい目…私はいつか夫に殺されるのではないかと感じた。ある親しい友人に冗談交じりで言ったことがある。「私が殺されたら、まず夫を疑ってね」と。
そして結婚生活8年目で私はこころの限界が来たことを悟った。もう長い間夫婦らしい会話も思いやりも全くなかった。ただ冷たい憎しみの空気が室内に漂うばかりだった。私ももう何をする気力もなかった。もうとにかく夫の気配を感じないところに行きたいとの思いばかりだった。夫も私に対して憎しみの目を向け、私も夫への憎悪が募り、このままではいつかお互いに殺すか殺されるか、という事態にまでなってしまうのではないかという危機感が非常に高まっていた。ここで何とかしなければ、私はもう自分で無くなる、自分を本当に見失ってしまう…!
そして私は死にものぐるいで脱出した。一見穏やかな脱出劇となったのだが、私は当日まで必死だった。これを成功させなければ、もう私は本当に壊れてしまう…!
別居は実現した。今は夫から殆ど連絡はない。現在はまだ別居中なので夫の籍には入っているのだが、すぐ住民票も移した。もう100%、夫と生活する可能性はない。だから早く離婚すればいいのだろう。しかしまだ夫とは接触したくない。話したくもない。姿も見たくない。下手に刺激して、今の私の平和な生活を脅かしたくない。
そして、あの結婚まで夫と積み重ねた日々、親しい人達だけを招いて行った心温まる手作りの結婚式、苦しみながらも何とか生きてきた結婚生活…私の想いが詰まったこれらの日々が、離婚によってすべて無になってしまうような虚しさと深い喪失感。それを思うと、私はただただ、立ちつくしてしまうのだ。
まだまだ私のこころのかさぶたは柔らかくて、やっと血が止まったばかりで、ちょっと突かれるとすぐ破けてしまう。こうしてブログを書きながら、思わず涙がこみ上げてきてしまう。この涙は何なのか。夫の優しさと残酷さとに翻弄された混乱と虚しさ、モラハラで叩きのめされた孤独と絶望、夫と結婚生活を築けなかった深い喪失感、私の人生が全く否定された苦しみのせいなのか。
本当は、夫と笑ったり怒ったり、泣いたり楽しんだりして、一緒に暮らしたかった。お互い生の歴史を一緒に刻みたかった。お互い慈しんで生きていきたかった。でもそれはもう叶わぬ夢。それを何度も何十回も、嫌と言うほど突きつけられた。もうあの恐怖は二度と、二度とごめんだ。あんな奈落の底に落とされるような悲しみも、血を吐くような苦しみも、泣き出したくなるようないたたまれない焦燥感も、2人でいることの厳しい孤独も、絶望も、もう二度と味わいたくない。もう二度と…。
誰でも結婚する時は、世界一幸せな家庭を目指してするもので、最初から離婚の事なんか考えないですよね。
モラの脳内構造がまだまだ不可解なんですが、自己愛的な変質者と文献にありましたから、獲物を見つけたら本性を出すという事なんでしょうか?
それ以前に見せられていた”極普通の姿”は虚像だったという事なんでしょうか?獲物を確保するまでの、演技だったという事なんでしょうか?
何だか混乱してしまいますよね。
悲しいですよね。
でも、現実なんだな・・・
ウメさんは一歩を踏み出されたわけだから、後はゆっくりと幸せ探し出来ますよね。心のかさぶたを乾かしながら、ゆっくりと、歩って下さいね。
恐縮ですが、自分の事のように、ウメさんの記事をいつも拝読しています。
もうすぐ、別居2ヶ月になります。
ブログを始めるまでは、自分たちだけの出来事のように思っていた夫婦生活。
別々の人間でありながら、まるで自分のことと錯覚するような生き様のブログに出会い、驚きを感じ、そして孤独感が薄らいできます。
>「そんなに私が悪いなら、私がいなくなればいいんでしょう?私が死ねばいいんでしょう?」
私は、そう言い放ち、マンションの塀を登りました。
幸い?引きずり降ろされましたが・・・・
3階なので死ななかったとは思うのですが、心のどこかで、旦那にこんな思いをさせられているという事を知らしめたかったのかもしれません。
>そして冷たい目で私を見た。あんな冷たい目…私はいつか夫に殺されるのではないかと感じた。
>もう長い間夫婦らしい会話も思いやりも全くなかった。ただ冷たい憎しみの空気が室内に漂うばかりだった。私ももう何をする気力もなかった。
まったく同じです。つらかったですよね。あの生活。
でも気が付くまでは、
>本当は、夫と笑ったり怒ったり、泣いたり楽しんだりして、一緒に暮らしたかった。
なんとかすれば、そうできると信じ続けていたんですよね。
愚かな事に、まだ心の中の、30%くらい信じている自分がします。
何度も、何度も同じ事を繰り返しながら、それでも、今度はうまく出来るかもと、思っている自分がいる。
情けないです。
ただわかっているのは、次に裏切られたら、立ち直れないかもしれないということ。
自分が壊れてしまうかもしれないということ。
それが恐くて、今の生活を続けています。
>しかしまだ夫とは接触したくない。話したくもない。姿も見たくない。
ウメさんの思い、まるで私のことのようです。
でも、今日、ウメさんの言葉を聞いて、自分の姿を客観的に見ることが出来ました。
私は苦しんできたんだ。そう自分を慰めることが出来そうです。
ありがとうございます。また、来ます。
kabuさん、こんばんは!
我がことのように共感してくださって嬉しいです。
同時にkabuさんも非常に辛い立場なのだとお察しします。
ホントにね、誰だってお互いに喜び合って、
お互いの幸せを築こうと誓って結婚したと思うのですよ。
しかしあの冷酷非道なモラ行為の連発があり、
最初は「これは現実?」「よっぽど空腹だったのだろう(笑)」みたいな理由を付けて
いいように考えようとするのですが(それが私達のお人好しなところ?)
何十回も踏みつけにされて、漸く「夫は人間じゃない…」と呆然とする、みたいな。
目の逸らしようもなく現実を突きつけられた時の絶望。
決して理解し合えないと知った真っ暗な虚しさ。
受け入れ難いのですが、それを受け入れないと自分の人生を生きていけなくなる。
残念ながらモラはそういう人種なのですよね。
私もkabuさんの痛快なブログを楽しみにしています。
kabuさん、モラに負けるな!そしてどうか、ご自身を大切にしてくださいね。
応援しています。
ウメより
☆ねこさん
ねこさん、はじめまして!
ねこさんは別居して2ヶ月なのですね。
私も自分の夫婦関係の歪さに苦しんでいながら、
これが何を意味するのかわかりませんでした。
でも、ネット情報からモラハラだとわかり、別居に踏み切りました。
別居して、2ヶ月くらいで、漸くモラハラ関係のサイトやブログに書き込み
いろいろな方とのやりとりの中で、心癒されてきました。
最初は書き込みすら「夫にばれるのではないか」と恐怖でしたが。
ねこさんも私と同じような思いを味わってこられたのですね…。
モラハラを受けた者にしかわからないこの何とも言えない苦痛を。
でもね、何度も同じ仕打ちを受けながら信じようとしてしまう気持ち、わかります。
私も同じでした。多分、私達は人間に対して基本的に信頼しているのだと思うのです。
しかしモラには全く通用しないことが心の底から思い知らされました。
私の場合は、もし仮に夫が心から謝罪の意を表明して、私が別居を解消しても
初めの数週間は優しいでしょうが、そのツケとばかりに
もっと酷い仕打ちをうけることは、もう火を見るより明らかです。
いつもそうでした。
夫の優しさは無理しているのです。だから、「無理させられた」と
その怒りが蓄積し、放出されるのです。
ねこさんも、くれぐれも慎重にお考え下さいね。
多分、ねこさんはもう十二分に苦しまれてきました。
だから、別居せざるを得なかったのだと思います。
危険な夫と別居できたこと、これはねこさんの健康な力です。
それを信じてくださいね。
「恐い、自分が壊れてしまう」というこころの声を大事にしてくださいね。
またお待ちしています。
ウメより
>想いが詰まった日々が、離婚によって全て無になってしまうような虚しさと「深い喪失感」
に立ちつくすウメさんの姿に、自分を重ねていました。泣きながら一気に読ませて頂きました。
愛し愛されるはずの生涯の伴侶から自己否定の限りを尽くされたのですから、悲しかったですね...。
結婚という人生一大イベントを失敗した。
生涯の伴侶である夫選びを失敗した。
結婚でつまづくまでは、自分の努力で人生を何とか切り抜けてきた私達だけに...
そんな自分自身を受け入れるのに、時間が掛かっているのだと思います。
やはり私もふさがりかけた傷が、再び開くのを恐れて、夫との関係に幕を下ろすのを先送りにしてしまっています。でも時間薬で傷も癒える時が必ずくるはずですし、モラとの人間関係以外では、そこそこ逞しく生きてきたという自負もあり、(これはウメさんもそうですよね)「私は必ず元のイキイキした私を取り戻せるに決まってるんだ!」と呪文の様に自分に言い聞かせています。
日々の生活の中のささやかな幸せや、回復してきた自己肯定感を大切に、「こころの声に耳をすませて」過ごしたいです。
ウメさん、「イタイの痛いの、飛んでいけ~!」(ハグハグ)
一緒に泣いて下さってありがとうございます…!
そうなんですよね…
モラ夫だと知ったときも衝撃でしたが
「なぜ私が、こんな相手を選んでしまったのか?」
「なぜ私が結婚に失敗してしまったのか?」
「なぜ私がこのように徹底して貶められなければならなかったのか?」
という自分自身への問い、そしてそれを理解するまでに時間が必要なのでしょうね。
しかし、モラ夫とは距離をおいた生活を送る今、
私達は力を少しずつ得、回復に向かっているはずですよね!
ごく普通に生活を送ることのできるしあわせ。
夫以外の人間関係においては、ごく普通に笑ったり言いたいことを言ったりできるしあわせ。
私達はきっと、いろいろな想いを抱きながらも、
近しい人を信頼し、自分なりにやりたいことを見つけ、
楽しみをみつけながら生きてきたと思うのです。
そんな自分を必ず取り戻しますし、あの恐ろしい体験から生還したのですから、
もっとパワーアップしてくるはず!?
nasaさん、そう信じています。
>ウメさん、「イタイの痛いの、飛んでいけ~!」(ハグハグ)
nasaさん、ありがとう~、うぇ~んっ!!(抱きっ☆)
ウメより