こころの声に耳をすませて

あの結婚生活は何だったのだろう?不可解な夫の言動はモラル・ハラスメントだった…と知ったウメの回想エッセー。

モラハラの呪縛

2007-01-07 13:06:28 | モラル・ハラスメント考
 私は、夫そして職場の上司からモラハラを受け、随分長い間、混乱と苦しみにのたうち回っていた。重い足を引きずり、泣き出しそうになるのをこらえ、冷たい憎悪に怯え、自らの怒りに身を焦がされ、日々を過ごしていた。八方ふさがりに思えた毎日だったが、モラハラという言葉を知り、自分が置かれている状況を理解し、未来は自分で選択できるのだと気づいた時から一筋の光を見いだしたのだ。その光を懸命に求め、夫や上司によって築かれた強固な壁が何でできているのかを調べ、それに合った方法を模索しながらコツコツと切り崩していった(ブログ左のカテゴリー『モラ脱出の道』に詳細があります)。その壁の割れ目からどんどん大きくなる光に励まされ、ひとつひとつ瓦礫を取り除き、やっとその強固なモラの世界から脱出することができた。
 よく見ると、その壁は夫と上司と共同で私も一緒に作ったものだった。私は「自分にはできない」「夫や上司に何とかわかってもらいたい」と思いこむことで、益々自分を追いつめていたのだった。

 モラハラを行使する人とその場所から脱出したら、全ては解決して楽になるのだろうか?
 まず物理的に距離を持つことで、今後は同一人物から日常的にモラハラを受けることはなくなる。そして心から安心してくつろげる自分の空間を手に入れることができる。これらは自分を取り戻す上で、非常に大きな要因となる。
 しかし私が感じたひとつの困難は、モラの影に怯える自分自身の心だった。

 モラ上司、そしてモラ夫から離れたときも同じような感覚を覚えたが、一番恐ろしかったのは、再びモラと接触することだった。もし電話が来たら私は冷静に話すことができるだろうか?もし道でばったり会ったら私はどんな顔をしたらいいの?なにを話せばいいの?そのことを考えると私は手が冷たくなり、胃が締め付けられるようだった。

 夫の場合は、「夫とはもう暮らせないので別居する」と「NO」メッセージを伝えることが出来た上で離れたので、まだ自分の思いに矛盾はなかった。ただまた嫌がらせをされたらどうしよう、という恐怖は非常に大きかった(ブログ左カテゴリー『別居その後』に詳細があります)。
 しかし上司の場合は、職場を辞めた際の理由は「家の事情」だった。職場を辞めるときには、後々のことも考えると本音を言うことはできない。その後の就職先に、何がどのように伝わるかわからないし、たとえ人間関係で悩んでもそれを表面化させずに終わらせるという、大人の振るまいを求められる。本当はこの酷い上司の行いを白日の下に晒し、万民に訴えたいくらいだったが、そうもいかないので、一応笑顔で退職できるような口実を設けた。しかしそれは後々までずっと納得いかないしこりとなって残った。しかも退職後、しばらくしてから上司の電話を受け「トラブって辞めたわけじゃないし、遊びに来て」なんて言われることの悔しさったらなかった。本音をぶつけられないもどかしさと、相反する態度を見せなければならないという矛盾した自分の行動は思った以上に私を縛り付けたのだ。
 私はモラ上司の下を離れた後も同じような業種の仕事をすることになったので、いつどこで会うかわからない。もしかしたら職場に電話がかかってくるかもしれない。そのとき私は相変わらず笑顔で答えなければならないのだろうか…。それを思う度に私の中の怒りと憎しみが燃えたぎった。あんなに酷い目に遭っていながらどうして本人はのほほんとし、私ばかりが苦しまなければならないのだ…。そんな思いがずっと消えなかった。
 退職して1年半後、あるセミナー会場でモラ上司の後ろ姿を見た。そこは200人以上の会場だったので、顔を合わせることは無かったが、確かにあの上司だった。その瞬間、私の胃が締め上げられ動悸が激しくなった。そんな体の反応も私自身を動揺させた。1年以上も会っていなかったのに、後ろ姿を見ただけでこの有様はなんだろう。私はこれから先もモラの呪縛に苦しみ続けるのだろうか…。気分の悪さと胃の痛みに耐えながら何とか研修を受け、終了したらすぐに会場を後にした。
 それからしばらくモラ上司から受けたモラハラやその時の生々しい感情が蘇り、私を苛んだ。私はここまで憎しみや過去の出来事に取り憑かれる自分自身をも嫌悪した。私はこんなに根深い人間なのだろうか。いい加減すっきりできないのだろうか。

 ある時、今の職場の支店にいる女性部長と話しをしたときのことだ。職場の人間関係の話になり、私は元上司との関係で苦しんでいることを少し伝えた。するとその部長は過去の苦い思い出について語ってくれた。「私がとっても信頼していた先輩から、信じられないような裏切りを受けたことがあってね。今でもそのことは忘れられないし、棘みたいになって心に刺さってるわ。」と。その部長はいつもしゃきしゃきとしていて、有能でセンスのいい女性だった。その部長でさえそんな思い出があるのか…。そう思ったら少し心が軽くなった。自分だけが執念深い性格なのではないか、とも思っていたからだ。
 そして、あの研修でモラ上司の後ろ姿を見てから2年後、うちの職場にその上司から電話があった。それまでモラ上司からは業務上の電話があったらしいが、他の人が受けていた。しかし今回はたまたま私がその電話を取ってしまった。私にとって恐れていたことだった。「あら、ウメさん、久し振り。元気にしてるの?がんばってるみたいね」という苦々しいくらいの明るい声。私はとっさに「はい、元気です。ここでは○○の仕事をさせていただいていて、がんばってやっています」と答えた。それが精一杯の、私の言えるセリフだった。そして担当の先輩にその電話をすぐつないだ。
 私は自分のセリフを反芻した。これでいいんだ。これでよかったんだ…。他の職場で生き生きと働いている自分を、はっきり伝えることができた。この一件で私はかなり吹っ切ることが来た。

 モラの呪縛から離れて行くには時間が必要だ。人によっては長い時間が必要かも知れない。私も何年もかかって、少しずつ呪縛を解いている。そしてひとりで我慢するのではなく、誰かに話すことが大切だと思う。何回も繰り返し話すことだ。あるときはブログで、ある時は友人に、ある時は親しくなった職場の人に、何気なくある場面を話してみる。そうすると、思わぬ共感や、別の視点が与えられる。そして、少し客観的に自分を見つめ、過去の場面の意味を別の意味で捉えられる。そして少しずつ楽になってくる。
 
 モラハラの後遺症は思った以上に手強い。モラの呪いはなかなか解けない。しかし方法はある。一つは時間、一つは話すこと。「話す」ことは「放す」ことだとどこかで聞いた。そう、私は話すことで、モラの囚われや自分自身の縛りを「放す」ことができた。様々な感情や思いを放せば、私はもっと楽に生きていける。大事に呪縛を抱え込みしまい込むことはもうしない。
 傷跡は残るだろう。寒くなったら疼くかもしれない。でももう膿んだり発熱することはない。その古傷によって、私はひとつ賢く強くなった。モラへの対処法を知ったこと、そして困難を乗り越える力を身につけたこと。

 それは皆さんが放してくれた体験から学び、いただいた、貴重な知恵と力です。

 今年もどうぞよろしくお願いいたします。



18 コメント

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Unknown (文旦)
2007-01-07 21:59:21
ウメさんへ
わたしも思うことがあります。
長年つきあった女友達との諍いでついにフェ-ドアウトしたときです。一方的に我慢しました。
何故「NO!」といわなかったのか
何故、されていやなこと、言われていやなことを
はっきりいやだといえなかったのか・・・・

大人の対処だとおもい静かに離れたものの
その時のわたしの飲み込んだ言葉はどこにはきだせば
よかったんだろう・・・

時々後悔します。大人になんてならないで
バシバシ言ってやればよかった。
「バカヤロ-!!人を傷つけてたのしいのかぁぁ!」

なんちゃってね。
それはそれでまた違う「苦さ」が待っているのかな。

今年もよろしく♪
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私もそう思います (文旦さんへ)
2007-01-08 00:06:16
文旦さん、こんばんは~~♪

私もね、いつも気まずいことが起こったら
腹が立っても、顔では笑って「いいよいいよ」なんて
言っていたんですよね~。

でも最近思います。
やっぱり相手に伝えることの大切さを。
でなければ私ばかりが怒りを溜め込み、
相手は何もわからず、無神経にるんるんしています。
その方が、こちらも理不尽さに苛立ちが募るばかりです。

私は相手が傷つくことを恐れていましたが
私自身はとっくに傷ついていたことに気づきました。
事なかれ主義よりも、心の底から納得いかないことは
伝えた方がいいんだな~と思うこの頃です。

文旦さん、今年も引き続きよろしくお願いいたします~!
     ウメより
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大いに放そう (マーチ)
2007-01-08 11:48:54
「話すこと」は「放すこと」
う~ん、けだし名言ですね。

わたしもいままで、悩みを聞いてもらったり愚痴をこぼしたりして
気持ちが軽くなったことがあります。
でもやはり、二次被害が怖かったり
「こんなに愚痴ばかり聞かされたら相手もうんざりするだろう」
などと思って、自分の胸ひとつにしまい込んでいることが
多々あります。

その、しまい込んだものの重さに最近、気づいたところでした。
今年は、ため込まない年、心を解放する年にしたいと思います。

ウメさん、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
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放して捨てましょう~! (マーチさんへ)
2007-01-08 19:45:14
マーチさん、こんばんは!

私もこの言葉を知ったとき、すとんと腑に落ちました。
本当にそうだな~と。

こんなこと誰にも言えない、と思っていたときは
自分で自分にもっと重い荷を背負わせていました。
秘めてしまうことは、モラにとっても好都合です。
モラし放題ですもんね~。。。

もちろん、話しをする相手は慎重に選ぶ必要があると思います。
私も、誰でも話せることではないのですが、
やはり大丈夫と思える人や場所を選んで、
安全を確認しながらだと、二次被害も避けられると思います。
それと、このブログですよね。
自分の思いをひたすら綴ることができますし
それに共感してくださった方々と
安心して話が出来ます。
言いっぱなし、聞きっぱなし、みたいな。
私の友人にも詳しくは言えなかった心情を
綴ることのできたブログの存在は大きかったですね~。

マーチさんもブログを始められてはいかがですか?
お勧めですよ♪

そして、こちらこそ今年もよろしくお願いいたします!
     ウメより


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ウメさんへ (おのう)
2007-01-10 13:55:11
今年もよろしくお願いします。
言葉がうまく出てこないのでなかなかコメントいれられませんが毎日お邪魔はしているのです。
また今年もお力を下さいね。
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こちらこそよろしくお願いいたします (おのうさんへ)
2007-01-10 20:35:24
おのうさん、こんばんは!

いつも私のブログをご訪問いただきありがとうございます。
何でも感じたままにお話しいただけますと嬉しいです。
よかったらおのうさんのブログを
ブックマークさせていただきたいと思いますがよろしいでしょうか?
こちらこそ、昨年に引き続き、今年もよろしくお願いいたします。
     ウメより

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はい (おのう)
2007-01-11 12:55:48
ウメさんのブログにブックマークされるなんて恐れ多いですけど・・
また思いのままにお話します。
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ありがとうございます (おのうさんへ)
2007-01-11 21:23:50
おのうさん、こんばんは

ご了承いただきありがとうございました。
早速ブックマークさせていただきますね。
     ウメより
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話すこと (すみれ)
2007-01-12 01:35:18
話すことは放すこと。

名言です。
私は別居して3年半ですが、時折人に夫のことを話すと、しばらくまた心がどんよりします。
が、また少し強くなります。

だから、この言葉がよくわかります。

今年もどうぞ、よろしくお願いします。
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私もそう実感しました (すみれさんへ)
2007-01-12 23:37:35
すみれさん、こんばんは!

私もこの言葉を聞いたとき、はっとしました。
誰にも言えず、ひとりで思い詰めていたときには
ただ、モラの悪循環に巻き込まれるばかりでした。
他の人に話したとき(相手は選びますが)
別の視野が開け、ちょっとずつ心が楽になりました。

すみれさんがブログを始めた当初から
私の話をいつも聞いてくださったので
だいぶ心の荷も軽くなりましたよ!

こちらこそ、今年もどうぞよろしくお願いいたします☆
     ウメより

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