夫は不安で弱い自分を守るために強固な鎧を身につける必要があった。社会から認められるための特殊な知識、職業、権威。夫自身の人格以前に、まずはその鎧を見ただけで他の人は夫を「立派な人」と認めてくれる。夫もそれで大いに守られた気持ちになっただろう。また仕事関係では、特殊な知識を駆使した弁舌家となり、言葉で相手を威圧することもできた。そういう自分に多少自信を持ち、短い時間であれば人格者であるような発言をしたり、ユーモアで他人を笑わせたり、度量の広さを見せることもできた。しかし社会の中にはそんな鎧を見ても通用しない人たちもいる。身内、家族である。いくら本人が鎧を身につけていても、立派な肩書きを持っていても、家族はそれを簡単に通り抜けて夫に要求したり、文句を言ったり、夫の意に反した行動を取る。仕事関係者が自分に敬意を払ってくれるように、家族は払ってくれない。
そのことが夫を無防備な気持ちにさせ、不安と恐怖、怒りを喚起させるのではないだろうか。
家族というのは、ある程度はお互いが言いたいことを言い、泣き、怒り、笑い、ふれあい、心身共に密に接触し、格好悪いこともさらけ出している存在である。そんなダイレクトな関係は、夫を脅かすものだったのかもしれない。
夫は、何とか鎧の存在を知らしめるために、権威を守ろうと相手を威圧し、近寄らせないようにして不安になる自分を守ろうとした。ある時、夫は私が夫の意見に反論すると「妻は夫に口答えするもんじゃない!」と言った。あまりに時代錯誤的回答に私は驚いたものだ。また私が夫に頼み事をするととても嫌がった。夫にとって人間関係はどちらかが上か下で、私が「○○してくれる?」なんていうと上から命令されるように感じるのだろう。
結婚当初、夫は私に自分の寝た布団を片付けること、お風呂から上がった後の着替えを用意しておくことなどを要求した。私は「そんなこと自分でしてよ」と答えた。その後そのくらいは自分でするようになったが、明らかに不満だったに違いない。そして夫は私を上に立たさないために、常に口うるさく家事について指示し文句を言い続けた。そしてたまに自ら夕食を作り「俺の役割ではないが、俺がわざわざ作ってやった。俺はいい夫だ」と私に見せつけた。
また夫は、気持ちを分かち合うとか共感するということができなかった。今思えば自分の気持ちすらわからないのだから、他人の気持ちを理解するなんて無理な話だったのだ。また常に上下、勝ち負けで人間関係を判断する夫は、妻の気持ちをわかる→妻に折れる→妻の言いなりになる→服従というように思っていた節がある。だから、相手の気持ちを思いやることは、自分が負けることなのだ。夫は「議論に勝つにはな、絶対相手の話を聞こうとしないこと、理解しないことだ」と言ったことがある。まさに夫の論理なのだろう。
現に、夫の説教や罵詈雑言はまさにこの方法を使ったものだった。ひたすらひたすら自分のわがままな論理と悪感情を放出するのだ。相手の話は聞かず、である。いかに自分が正しくて、いかに相手(私)が悪いかを、雄弁に冷たく、相手の心にいかにダメージを与えるか計算しながら、怒濤のように吐き出し続ける。
それは子どもの頃から今までのいろいろな怒りが混在されているのだろう。夫がいくら怒り狂っても、妻を威圧してコントロールしても、妻は決して夫の要求を叶えられない。それがまた怒りを呼ぶのだろう。夫の心は妻が要求に応えようとしても決して満足しない、ブラックホールのようだった。何もかも吸い込み、決して満たされない。あるいは砂漠。水をまいてもまいても、吸い込まれ乾いていく。何もかも枯れ果てる不毛の大地。
夫が唯一感じられる「自分」は、身体的なことだったように思う。自分の体を感じることが、生きているという印象を与えるのだろう。だから体を使って自分を満たそうとしたところもあった。まず空腹には耐え難く、とにかく何か胃に入れないと怒りがみなぎった。また体の痛みにも敏感だった。鼻水が出る、些細な咳き込みがあると、即耳鼻咽喉科に直行した。足を挫いたと言えば大袈裟にギブスをしてもらい、まるで骨折したかのような騒ぎだった。ちょっとした頭痛でも末期癌の激痛のように顔をゆがめ、痛みをアピールした。
また、自分の体を日々よく鍛え(マラソン、ダンベル等)体に良さげはサプリメントをせっせと買って飲んでいた。
*************************************
こんなふうに、私なりにも夫を理解しようと調べ、考えたりしたのだが、夫を分析しても関係は特に変わらず悪いままだった。夫の抱えている問題は何となく理解できても、それへの対処法は長い間わからなかった。そして、モラハラというキーワードを得て、私は初めて夫と私の関係を理解し、モラ夫への対処を実行することができた。
夫について理解しようと、いろいろ調べたり、謎を解明しようとする姿勢は大切であると思う。夫と話し合ったり理解してもらおうとする努力も必要であろう。それが本来人間同士がわかりあおうとする姿勢である。
しかしそれも程度の問題だ。しかも一方的な努力や理解では、建設的な関係にはならない。どうしても自分の限界を超えていると思ったら、手を放すことも大切だ。夫に囚われすぎて、自分自身を理解することを忘れてはいけない。モラ夫と生活し疲弊しきっている自分自身を見つめる視点がなければ、私はまだ夫にだけ目を奪われ、取り憑くように足掻いていたかもしれない。自らの生を蝕みながら。
そのことが夫を無防備な気持ちにさせ、不安と恐怖、怒りを喚起させるのではないだろうか。
家族というのは、ある程度はお互いが言いたいことを言い、泣き、怒り、笑い、ふれあい、心身共に密に接触し、格好悪いこともさらけ出している存在である。そんなダイレクトな関係は、夫を脅かすものだったのかもしれない。
夫は、何とか鎧の存在を知らしめるために、権威を守ろうと相手を威圧し、近寄らせないようにして不安になる自分を守ろうとした。ある時、夫は私が夫の意見に反論すると「妻は夫に口答えするもんじゃない!」と言った。あまりに時代錯誤的回答に私は驚いたものだ。また私が夫に頼み事をするととても嫌がった。夫にとって人間関係はどちらかが上か下で、私が「○○してくれる?」なんていうと上から命令されるように感じるのだろう。
結婚当初、夫は私に自分の寝た布団を片付けること、お風呂から上がった後の着替えを用意しておくことなどを要求した。私は「そんなこと自分でしてよ」と答えた。その後そのくらいは自分でするようになったが、明らかに不満だったに違いない。そして夫は私を上に立たさないために、常に口うるさく家事について指示し文句を言い続けた。そしてたまに自ら夕食を作り「俺の役割ではないが、俺がわざわざ作ってやった。俺はいい夫だ」と私に見せつけた。
また夫は、気持ちを分かち合うとか共感するということができなかった。今思えば自分の気持ちすらわからないのだから、他人の気持ちを理解するなんて無理な話だったのだ。また常に上下、勝ち負けで人間関係を判断する夫は、妻の気持ちをわかる→妻に折れる→妻の言いなりになる→服従というように思っていた節がある。だから、相手の気持ちを思いやることは、自分が負けることなのだ。夫は「議論に勝つにはな、絶対相手の話を聞こうとしないこと、理解しないことだ」と言ったことがある。まさに夫の論理なのだろう。
現に、夫の説教や罵詈雑言はまさにこの方法を使ったものだった。ひたすらひたすら自分のわがままな論理と悪感情を放出するのだ。相手の話は聞かず、である。いかに自分が正しくて、いかに相手(私)が悪いかを、雄弁に冷たく、相手の心にいかにダメージを与えるか計算しながら、怒濤のように吐き出し続ける。
それは子どもの頃から今までのいろいろな怒りが混在されているのだろう。夫がいくら怒り狂っても、妻を威圧してコントロールしても、妻は決して夫の要求を叶えられない。それがまた怒りを呼ぶのだろう。夫の心は妻が要求に応えようとしても決して満足しない、ブラックホールのようだった。何もかも吸い込み、決して満たされない。あるいは砂漠。水をまいてもまいても、吸い込まれ乾いていく。何もかも枯れ果てる不毛の大地。
夫が唯一感じられる「自分」は、身体的なことだったように思う。自分の体を感じることが、生きているという印象を与えるのだろう。だから体を使って自分を満たそうとしたところもあった。まず空腹には耐え難く、とにかく何か胃に入れないと怒りがみなぎった。また体の痛みにも敏感だった。鼻水が出る、些細な咳き込みがあると、即耳鼻咽喉科に直行した。足を挫いたと言えば大袈裟にギブスをしてもらい、まるで骨折したかのような騒ぎだった。ちょっとした頭痛でも末期癌の激痛のように顔をゆがめ、痛みをアピールした。
また、自分の体を日々よく鍛え(マラソン、ダンベル等)体に良さげはサプリメントをせっせと買って飲んでいた。
*************************************
こんなふうに、私なりにも夫を理解しようと調べ、考えたりしたのだが、夫を分析しても関係は特に変わらず悪いままだった。夫の抱えている問題は何となく理解できても、それへの対処法は長い間わからなかった。そして、モラハラというキーワードを得て、私は初めて夫と私の関係を理解し、モラ夫への対処を実行することができた。
夫について理解しようと、いろいろ調べたり、謎を解明しようとする姿勢は大切であると思う。夫と話し合ったり理解してもらおうとする努力も必要であろう。それが本来人間同士がわかりあおうとする姿勢である。
しかしそれも程度の問題だ。しかも一方的な努力や理解では、建設的な関係にはならない。どうしても自分の限界を超えていると思ったら、手を放すことも大切だ。夫に囚われすぎて、自分自身を理解することを忘れてはいけない。モラ夫と生活し疲弊しきっている自分自身を見つめる視点がなければ、私はまだ夫にだけ目を奪われ、取り憑くように足掻いていたかもしれない。自らの生を蝕みながら。
日々暮らしています。
「夫に囚われ過ぎない」はいつも心に留めていることです。
こちらばかりが知識を仕入れても
暖簾に腕押し状態じゃ意味ない。
でも、私たちって、努力家で読書好きなので
あちこちで目にしたこと、耳にしたことを
「ふむふむ」と自分の知識というより、
戦術のカテゴリーに入れてしまいませんか?
そうですね~。
夫の行動の謎について、一生懸命調べて
何とか夫自身を目覚めさせようとか、
変えようとかするのですが、
一瞬は効果あったかのように見えても
私の場合はダメでしたね。
夫は変わらない自分を受け入れて欲しい、
妻が夫のために変わるべきと思っていましたから
結局お互いに相手を変えようとしていたわけです。
『相手を自分のために変えようとする』合戦は、
夫の方が強くて、私は「こりゃまずい…やられる」と
ある日スタコラサッサと逃げ出したわけです(笑)。
やっぱり無理でしたわ~。。。
ウメより
お互いに「人と過去は変えられない」ということに気付くのが遅かった。
皆さんの苦闘の日々を書いてもらえたおかげでモラルハラスメントという言葉を知り、現状打破のことを考えていこう思います。
私と夫の関係は源平かずらさんと全く同じでした。
夫婦なんだから、お互いに理解しようとするのは当たり前。
お互いを理解しようとして変わろうとするのも当たり前、と
随分もがいていました。
「人と過去は変えられない」「変えられるのは自分と未来」
私はこの言葉が実感として長いことわかりませんでした。
今もわかっているようでわかってないな、と
思うことがありますが。
源平かずらさん、モラハラという言葉を知った今が、
きっとその「時」なのだと思います。
遅くはないですよ。
源平かずらさんご自身の「時」がやってきたのだと思います。
ところで、『源平かずら』というお花、
とてもくっきりとしたきれいなお花ですね!
ウメより
誰にも言えずにきた日々をわかってもらえる、それだけで呼吸が楽になりました。
夫がどんな仕打ちをしてきたか、だ~れも話しても信じてくれないと思います。(社会的地位から)モラルハラスメントを受けた人以外は。
見るからに悪役商会のようだったら、皆さん納得されるんでしょうが、ふ-。
hachibe-さん、とっても辛い時期がおありだったのですね…。
ご自身を助けることができて本当によかったです!
まさにサバイバーですね。
そして、ご自身を生きたことで、今の穏やかな生活を
手に入れられたものと思います。
hachibe-さんの力ですよ!
確かにいろいろな方の努力で、モラハラのことが
マスコミに取り上げられたりしていますが、
ここで気がつくのは、常に被害者の方々です。
加害者が気がつくことは殆どないでしょうね。
何せ自分たちは悪くない、正しいと思っているのですから。
DVもそうですよね…。
hachibe-さんの言われるように
せめて被害者の方々が気がついて、何とか
ご自身の置かれている立場を知り、悪循環から
脱出できるよう願います。
「知る」ことが力になることを信じて!
ウメより
私達はいろいろなものを背負って生きていますから
そう簡単に、単純に事が運べないのは当然と思いますよ。
しかもモラ夫と相対するのは大変なことですし!
それほどモラは狡猾でこちらはわけわからなくなります。
そうですよ!
モラがどんなに外面が良くて八方美人か!?
私のモラ夫も、社会的には尊敬される職業に就いています。
私も声を大にして言いたかったですよ。
「こいつは人間じゃない~~~っ」と。
モラ被害を受けた私達は皆知っています。
源平かずらさん、ここではご遠慮なく
何でもおっしゃってくださいませ!
ウメより
こちらのブログは日課のように、拝見させていただいています。冷静な文章がとても好きです。
ここでコメントされている方も辛い経験をされた方が多いですね。
私も夫と話合いたい、話を聞いてほしい、そして旦那からもまともな話を聞いてみたい。
切望していました。
今現在もかなうことはないですが。
ほんの些細なこと(相手の目を見て話をきく、せめて相手の方に体を向ける)ことさえ、聞き入れてくれない夫。
バカバカしくて話をする気も起こりません。
少しずつ、自分の人生を考えている今日この頃です。
又お邪魔します。よろしくお願いします。
いつも拙いブログを読んでいただきありがとうございます。
あんずジャムさんの夫さんもモラ夫ですか。
本当にモラ夫とは、ごく普通の言葉を交わすこと、
何かについて話しをすることすらできませんよね…。
私もあんずジャムさんと同じ思いを抱えてきました。
ささやかな日常のおしゃべりがしようと
夫の顔色を窺い、言葉を考え、緊張し、タイミングを図り…
そんな私を夫は蔑むような目で見るだけでした。
あんずジャムさんも、きっとお辛い気持ちを
長い間こらえていらしたのではないでしょうか。
ただ夫さんとお話されることが
バカバカしいと思われることは
夫さんから距離を置いて、
冷静に状況を見ておられるからだと思います。
どうぞまたいらしてくださいませ!
ウメより
そうそう、理解しようとして様々な手を使い、夫に尽くして来たのですよね。
でもそれはただ消耗するだけ。
ある時、ふとこの人は絶対に変わらないだろうと思って私は離婚を決意したのでした。
今思うとよく決断したように思うのですが、その時の心理はこの記事の後半部分にあるように、自分の限界を超えていると思ったからです。
これ以上は無理!!!
心がそう叫んだのです。
早く離れられて心から良かったと思います。
にゃりんたさんの新婚旅行編を読ませていただきましたが
やっぱりモラ濃厚でしたね…。
私も新婚旅行から??って思ったこと多かったです。
そんな中で、にゃりんたさんが「相手は変わらない」と
離婚を決意されたこと、本当にすごいと思います。
ご自身の限界を知り、ご自身の心の叫びを
しっかり受け止められたこと、
尊敬に値します!!
そこを見つめる事ってとても勇気が入ると思うのです。
私も何度行きつ戻りつしたことか…。
にゃりんたさんの力を感じます(^^)
モラとの生活を思い出す作業、無理なくしてくださいね。
ゆっくりデトックスしてくださいね!
ウメより
うちの夫も自分の心の空虚さをもてあましているように感じます。
こちらの記事にある「特殊な言葉を駆使した弁舌家」であり「言葉で人を威圧する人」であり、またたまに「度量の広さを見せる」というのもその通りです。
そのくせ少しでも居心地が悪いと人のせい。
まさにこちらに書かれているとおりです。
でも、私が夫の事を知ってもどうすることもできず、先日は夫本人から「分析ばかりしても意味がない。」と言われました。
そう、分析より自分を助ける方が先ですよね。共存ゆえの難しさです
お元気でいらっしゃいますか?
私も夫と一緒に生活していた頃、
夫の空虚さを感じることがよくありました。
まず話すことと、行動が伴わないですし
いつも他人のせいですしね。
自分がないから、他人(妻)によって
心を埋めようとするのだと思います。
だから、常に妻(支配できる存在)が
必要なのでしょうね。
私もせっせと分析して、時には夫にそのことを
伝えたりもしたのですが、
夫は自分を知ろうとすることを拒んでいましたし
「俺は変わらない!」と言っていたこともありますので
やはり他人を変えるのは無理だと思いました。
本人が変わろうとしているなら可能性もありますが…。
難しいですね。
hanaさん、もうモラ夫は放置ですよ!
hanaさんご自身が楽に生活できるよう願っています。
ウメより
モラハラ関連のブログや記事、症例などを今は読み漁り、
まさに元ダンナ
と、日々げっそりしながら過ごしています。
今は様々なモラハラ後遺症と戦いながらですが、私の母親や周りの友達に、全くモラハラ要素のない環境で、ゆっくり、元の自分を取り戻す作業をしているところです。
あんなワケのわからないモラ夫のダンナでしたが、私は元ダンナが大好きでした
家族
としても私はとても幸せを感じられた時期もあったので、今はモラハラ後遺症と闘ってはいますが、次こそは、正反対のダンナサマをみつけて幸せになってやろうと思っています。