ウマさんの気ままな行動日記(その2)

趣味の釣り・日帰り温泉・街道歩き・ウォーキング情報等を発信していきたいと思っています。コメント歓迎します。

旧古河庭園から名主の滝公園へ

2011年10月18日 | ウマさんの「KDD友歩会」
2011年10月18日(火)


KDD遊歩会」の10月定例ウォーキングに参加した。
今回は、JR駒込駅を起点に旧古河庭園から飛鳥山公園・音無渓谷・名主の滝公園を経てJR王子駅までを歩くものである。

KDD遊歩会の例会は、今年の7月以来で3カ月ぶりの参加となる。

集合場所のJR駒込駅北口
駅前の道路は、本郷通りだ。


染井吉野桜記念公園が駅のすぐ横にあった。


染井吉野桜発祥之里」の碑には、次のように書かれている。
駒込の一部は江戸時代染井と呼ばれ、巣鴨とともに花奔・植木の一大生産地であった。
この地で江戸時代数多くの優れた園芸品種が誕生したが、中でも染井吉野は、当地の地名が名付けられ、
世界を代表する桜の品種となった。


この日参加希望者は当初20名だったそうだが、結果として集まったのは、18名。
幹事よりこの日のコースについて説明を受ける。


9時45分、予定より15分遅れて出発だ。


駒込妙義坂子育地蔵
日光御成り道(本郷通り)の妙義坂の途中に祀られている。
寛文八年(1668)に駒込の今井家が子孫繁栄を祈願して地蔵尊とお堂を建立。
以降地元有志によって毎月念仏供養が営まれた、と紹介されている。


本郷通りに面した銭湯「亀の湯」は、堂々たる破風造りの構えである。
アーケードが見えるが、今は亀の湯の前にしか残っていないそうだ。
新しいビルが道路に面して建てられるたびに、その土地の前のアーケードは取り払われていったという訳である。


前方に「旧古河公園」らしきこんもりとした森が見えてきた。


陸橋を渡る。


旧古河庭園」に到着。
東京都北区にある都立の庭園で、大正六年(1917)に古河虎之助男爵の邸宅として現在の形に整えられた。


洋館と洋風庭園は、戦前に亘り多くの洋風建築を手掛けたジョサイア・コンドル(英国)により設計された。


洋風庭園では秋バラが見ごろを迎え、訪れる人の目を楽しませていた。
バラは綺麗に手入れがされていて美しい。


バラと洋館
いかにも英国風だ。


洋風庭園より一段低いところにある日本庭園は、近代日本庭園の先駆者として数多くの庭園を手掛けた
小川治兵衛(植治)により作庭された。
これは、黒墨石積くろぼくいしつみ
富士山の溶岩で造られている。軽石のような、細かい穴がたくさん開いた火山岩である。
山の雰囲気が出るため主に関東で石組として用いられることが多いが、石垣状のものは珍しい、そうだ。


奥の院型灯篭
園内のあちこちに配置されている。


大滝
小川治兵衛の最も力をいれた場所のひとつとされている。
本郷台地と低地の斜面を巧みに利用している。
瀧壺まで20mほど落ちる景観は丘陵幽玄の趣がある、と案内されている。


崩石積くずれいしつみ
石を垂直に積む方法は数あるが、京都で発達した伝統的な工法である。
石と石が噛み合って、崩れそうで崩れない姿が美しいとされる、とのこと。


雪見型灯篭
この灯篭は水辺によく据えられ、その姿が水面に浮いて見える「浮見」(うきみ)と
点灯時にその灯が浮いて見える「浮灯」(うきび)が「雪見」(ゆきみ)に変化したとされる見方がある。


枯滝
この滝は水を流さずに、ゴロタ石等の小石で水流を、青石等の大石を立てて組んで水の落ちる様子を、
枯山水風に表現している。
男性的な大滝に比べ、枯滝は女性的な雰囲気がある。


旧古河庭園は、他にもまだまだ紹介しきれないほど見所が多い。
あらためて訪れてみたい庭園である。かみさんを誘うとしよう。
旧古河庭園を出て本郷通りを進むと滝野川消防署がある。
幼稚園の子供たちが見学に来ていて、記念撮影をしているところだった。


東京都北区防災センター
地震の科学館」を覗いてみることにした。


地震で家具がメチャクチャになった様子が展示されている。
3月11日の我が家を想いだす。
センターとしては、家具などが倒れないように、耐震対策を奨励している。


震度7の体験が出来る。
前の人達は地震で揺れる様子を見物しているところだ。


これが震度7である。
激しく揺れて座っていられないほどである。


七社神社
現在の古河庭園の地に無量寺の境内(現在の古河庭園内)にて創建されたが、
寛政五年(1793)の火災により、古文書、古記録などすべての資料と共に焼失したため、年代等は不詳、とのこと。


とにかくお参りだ。
立派な拝殿である。


境内には大きな銀杏の木があり、それを拾いに来る人が後を絶たないようだ。


七社神社を出て本郷通りを飛鳥山公園に向けて進む。


飛鳥山公園の青淵文せいえんぶんこ
青淵文庫は渋沢栄一の傘寿(80歳)並びに男爵から子爵への昇格を祝い、当時の竜門社の会員が栄一に贈ったといわれるもの。
渋沢の収集した論語関係の書籍の収蔵と閲覧を目的とした小規模な建物。
ステンドグラスには、渋沢家の家紋「違い柏」、祝意を表す「寿」、竜門社を示す「竜」がデザインされているとのことだが、
休館のため観ることは出来なかった。


晩香蘆ばんこうろ
渋沢栄一の喜寿を記念して合資会社清水組(現清水建設(株))四代目当主が贈り大正6年に建てられた、とのこと。
晩香蘆の名は、バンガローの音に当てはめ、渋沢自作の詩「菊花晩節香」から採ったといわれる。
青淵文庫と晩香蘆は、毎週土曜日午後12時30分~3時45分に公開されている。


渋沢栄一史料館
日本に近代経済社会の基礎を築いた渋沢栄一(1840~1931)の生涯と、
関係した事業等の諸資料を収蔵し展示している。


11時30分を少し過ぎたところだが、飛鳥山公園で昼食だ。
子供たちも行儀よくまあるく輪になってお弁当。


都電荒川線が真直ぐに延びる。


都電だ!
都電をこのように近くで観るのは初めてである。


王子駅の陸橋で国道122号線(明治通り)反対側へ渡る。


音無親水公園
都界のど真ん中にこのような渓谷のような場所があるとは知らなかった。


滝野川または音無川と呼ばれていた石神井川の下流だが、江戸時代は『音無渓谷』と呼ばれ、
安藤広重の絵画にも書かれた名所だった、そうである。
音無の名の由来は、八代将軍吉宗が紀州の音無川にちなんで命名した、とのこと。


「日本の都市公園100選」に選ばれている。
都内では、この他に国営昭和記念公園、上野公園、水元公園、代々木公園、日比谷公園が同100選に選ばれている。


名主の滝公園を示す標識
小さな路地なので、標識がないと見過ごす。


住宅街の細い道を進み、S字形に曲がりくねった「三平坂」(さんぺいざか)を下ると・・・


名主の滝公園」に到着だ。
名主の滝は、王子村の名主畑野家が、その屋敷内に滝を開き、茶を栽培して、
一般に人々が利用できる避暑のための施設としたことに始まるもので、名称もそれに由来している。


男滝
本物の滝のようで、けっこうな水量である。
今年の夏は節電で放流をストップしていたとのこと。


皆さん、ややお疲れの様子だ。


女滝に見入る


男滝に比べ、水量はかなり少ない。
”白糸の滝”のようだ。


名主の滝公園の出口付近でこの日は一応解散となった。
『皆さん、今日は大変お疲れ様でしたっ!』


名主の滝公園の薬医門を出て、JR王子駅に向かう。


王子稲荷神社
落語『王子の狐』で有名な神社だそうだが、この日は公園巡りがメインのため素通りだ。
また時期をあらためて来てみよう。


石鍋久寿餅店
創業は明治二十年(1887)というから120年以上の歴史がある。
普通”葛餅”と書くが、あえて縁起の良い字を並べているところがにくい。
総ての商品が明治よりの製法にて調製されているとのこと。
土産に一番小さい”久寿餅”(540円)を買い、JR王子駅へ向かった。



この日は、駒込駅から旧古河庭園をはじめ、いくつかの公園を廻ったが、見所も多く愉しめた。
所属している「健康ウォーキングの会」でも採りいれてみたい候補地である。
土産に買った”久寿餅”だが、今までにない美味しさでかみさんの評価は上々だった。


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