霞ヶ浦のほとりで

徒然なるままに

親鸞(4:衆生・浄土)

2018-05-12 21:44:52 | 雑学
仏教用語は難しいですが、その一つ一つの意味は深く、それを理解することがむしろ楽しくなります。
先の真如(一切の物の本性)は絶対無で、衆生(凡夫=人間)とは世界を異としているため、人間の目に見えるものとして浄土が考えられたとのことです。
この真如・浄土・衆生の3つの意味と関係をきちんと理解することが、教行信証の全体像を把握する上での基本のようです。
これまで、浄土を中心に捉えていたことで誤解や混乱をしていたと分かりました。

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