飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

高野山に行ってみた、抜ける空であった.......。

2009-10-13 13:39:57 | エッセイ風

紺碧の空、深まりゆく秋........。
日だまりが恋しくなる気候、
高野山は、1200年を迎える歴史を、
観光客で賑わっていた.........。



 理由は前回に記したので、今回は書かない。コメント各氏には、返事が遅れたのをお詫び申し上げる。本稿の後、すぐ認(したた)める予定だ。申し訳ない。


 

 どこまでも抜ける紺碧に秋空であった。四国八十八ヶ所最終5ヶ寺行脚を終えての高野山詣である。

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 世界遺産登録の山間の寺(117寺)町は、深まりゆく秋に急速に衣替えの最中である。玉石混淆の参詣人、観光客でごった返していた。この光景が、1200年近く繰り返していると考えると、日本も捨てたものではない。少なくともメッカと並ぶ歴史がある。規模は遙かにこじんまりしているが、礼儀はすこぶる正しい。

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 寺町には違いないが、中には、アクセサリーではあろうが十字架を首から提げた女性もいる。外国人も多い。取り分け、若者が多いのが目に付いた。巡礼の『南無大師遍照金剛』は寧ろ少ない。連休のせいもあろう。絶好の行楽日だ。まさに玉石混淆の巡礼地の姿がある。

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 目に付いた看板。

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 すぐに後がでた。

        『咲せよ花を

           花の命は 短いが

              咲くこと自体が花の命

                   ただ咲くことに、意味がある

                 路傍の花も、ただ懸命の咲いている

                     ただ み仏に生かされる

                         ただそのことに

                            なみだする日もきっと来る』(駄文)


 

 奥の院には、歴代の祖廟が広がる。歴史が突然、眼前に飛び込んでくる。

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 中には、吹き出すものもある。吹き出すのも失礼な話だと、懸命にこらえる。やっぱり、面白い。

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 意味をちょっと考え込んでしまうものもある。

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 高野山と何だろう。少なくとも山の名前ではない。一帯の総称とある。


 諸行は無情であるが、生命(いのち)は有情の裡に時を経る。故に苦悩(なやみ)や歓びを経験する。その営みが不思議と言えば不思議である。その両方が混雑する高野山である。


 宗教宗派も渾然一体だ。一応、真言宗総本山となってはいるが、神道と思しき佇まいも少なくない。歴代天皇の行幸も多い。

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高野山から出た預言もある。


 撮影禁止の大師廟は、今も護摩の火が絶える事がない。即身成仏の大師が今も生わしますると、されている。撮影は出来ないので、ここではお見せできないが、丁度、昼餉時、正装に正した坊主が、三名、大師の昼餉(?)と思しき料理を威儀を正して運ぶ姿に接した。


 大師は生わしまする。それで今も時間が流れている。撮影も禁止、脱帽。喧噪もかき消す荘厳な雰囲気が辺りを圧している。それに素直に従う人々がいる。


 有情と書いたが、奥の院の数多の墓石、祖廟の数々はそれを物語る。細君が、投稿者が写した写真を指して、『あっ、心霊写真!』と叫んだが、そんなことはあるまい。単なる木漏れ日の影響だろうとは思うが、はっきりとは分からない。分からないが、そんな有情も多数存在することも理解できる。

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 投稿者は幽霊を怖がらない。幽霊は肉体のない、幽体にしか過ぎない。霊体そのものも伴っているか怪しい。人間は幽体に霊体を伴っれっきとした魂の乗り船だ。方や、難破船のごとく欠片に過ぎない。怨念の残る、普通目に見えないエネルギーの残存物と考えているから、怖れない。

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<88番札所大窪寺にて>


 

 しかし、気味の良いものではない。出来れば、穏便に昇華(しょうげ)してもらう必要がある。それには、生きている人間の想念の有り様が大切だと考えている


 聖地という聖地は、有情で一杯だ。そんな中で、諸行無情は織りなされていくものと思う。あんまり拘泥しても始まらないし、静かに昇華(しょうげ)するのを見守る事が肝腎だ。その有情を、様々な思惑が利用しようと画策する。このことが問題だ。


 世界は有情の混乱の瀬戸際にあるように思われる。


 そんな中に、静かに佇む聖地高野山に一抹の安心感を覚えるのは、投稿者ばかりであろうか。日本は大丈夫。いろいろあろうが、1200年の間にも、様々なことがあった。たかが数百年の世界の陰謀術策に、日本が沈没することなどあり得ないと、確信した。


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2 コメント

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飄様、いつも有難うございます。 (fukunagaayano)
2009-10-14 16:42:42
飄様、いつも有難うございます。
今日は、二度目のメールとなりました。
気持ちは、このメールが先でした。
再拝読させて頂きメールさせて頂いてます。

お留守なのかしら?
ほんの少し間が開きましたので、心配し始めておりました。

高野山でしたか。
ブログを拝見させて頂き、
飄様の、温かく毅然とした文章力に、居ながらにして、良い木々の気と、たおやかでありながら、真っ直ぐで強い日本の気にも、触れる事ができました。
有難うございます。

私も幽霊は残存エネルギーと、思っています。
その辺りの捉え方が同じで、嬉しかったです。
むろん、継続集団化…のカラクリの危険についてもご承知で。
「預言」の転載も拝読させて、頂きます。
有難うございました。
失礼致します。

fukunagaayano 様
いつもコメント有り難うございます。

 いつもご愛読頂き、恐縮しています。又、励みにもなります。人生とは表現であると見なしてきましたが、仲々、そういう場もなく、日々仕事に明け暮れて参りました。それが、ブログという世界に目覚めて、嬉々として続けています。

 欲は特にありません。探求心そのものです。それが生きる大きな糧になる実感はあります。それだけです。


 これからも、どうぞよろしくお願い申し上げます。
飄平
新型インフルエンザの情報をネットサーフィンして... (長 愛子)
2009-10-15 09:12:14
新型インフルエンザの情報をネットサーフィンしているうちに、こちらにたどり着きました。色々な情報をありがとうございます。
特に高野山での看板の文字、良いですね!
私は、助産師をしておりまして、「いのちの話」をしに小学校や中学校へ伺っております。
「生かせいのち、咲かせよ花を」
この言葉、使えますね!
今の子どもたちには、生とか死とかの実感が少なくて、活ききっていない気がするのです。
この言葉を使わせていただきますね。
ありがとうございました。

長 愛子 様
コメント有り難うございます。

 良いお名前ですね。ご職業を彷彿させる良い名前です。ご本名かHNかは存じませんが.......。

 駄文を持ち上げて頂いて、光栄です。ふと湧いてきた言葉でした。
生きると言うことは、すばらしい。恩寵そのものです。そのことを時として忘れることは、最大の哀しみです。

 何があろうと、生きる。生きる中の成就する全てがある。そんな思いです。

 これからも、どうぞよろしくお願い申し上げます。
飄平

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