飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

終わりの日の預言!!①

2008-03-28 08:26:46 | 預言

終わりの日の預言(予言ではない)連載開始!!
第1弾 正覚院 義敬(本名;
矢野 敬二郎
氏) 著

Gpw20050129nasagpn2000001358cloudsl   ひょんな事から、この預言に触れた。驚いた。引きずり込まれた。そして、直感した。本物である。折しも、聖書イザヤ書を読み進めている最中であったのも、不思議な縁である。

 失礼な言い方ではあるが、坊主が経を読むことから、聖書を読むことに変容したのは何故か。? その預言は果たして預言であるのか。? 引きずり込まれた原因はそれであった。そして、それは、下記記事にあるようにトンデモ事件が発端であることにさらに驚き、引き込まれた。事件について若干調べた。奇しくも預言の通りとなったことを確認した。

 事件の顛末については、今回、テーマとしない。それはそれで興味のない話ではないが、それよりもそれを発端として、示される預言が、まさしく終わりの日の預言そのものとして優れた品格と真実性を実感したからに他ならない。『預言』ならばそれを検証する必要がある。そう直感した。

 私は、キリスト教徒ではない。平均的な日本人であって、仏教にも神道にも親しむ。しかし、聖書は座右の銘の書である。そして、その福音並びに預言が主からのモノと確信している。主というのは創造主=神=仏と同義と思っている。であるから、終わりの日の預言は本物であると直感した。すなわち本物の預言=啓示である。聖書がそうであるように、本物であるとするならば、被造物たるすべてのものためにある。ましてや、今時、『終わりの日』と認識する者の一人として、看過できるモノではない。そう認識した訳である。

 前置きはそのくらいにして、無断で転載していくが、著者から抗議が有れば即中断する。多分ないと思うが、そもそもこのブログは何ら利益を当て込んでのものではないので、著作権を主張もしないし、主張される咎もないという立場であるが、相手の意向に逆らう意図はない。その点、悪しからずご了承いただきたい。転載する目的は、時々、我流になることを畏れず注釈・評論を加え解説し、独断ではあるが解りやすく努めることが目的である。商業の目的は一切ない。まどろっこしい思いを抱かれたり、途中でも先に進みたい方は直接、終わりの日の預言>にアクセスされて独自に読み進められたら良かろうと思う。それは一切ご自由に。!

 最初は、事件のあらましから入るので、冗長に感ずるかも知れないが、我慢してお読みいただきたい。この凄さはそこから始まるのである。そして、聖書に馴染みのある方は座右において、確認されながらお読みいただくと一層その真実性が認識されるはずである。※尚、連載は、間欠的になることを了承いただきたい。

【記事転載】

2002年01月24日(木) 21時39分

霊視商法詐欺の宗教法人「明覚寺」に解散命令 文化庁(朝日新聞)

 文化庁は24日、霊視商法詐欺事件で幹部らが摘発された宗教法人「明覚寺」(所在地・和歌山県海南市)に対し、和歌山地裁が、解散命令を決定したと発表した。犯罪行為を理由として宗教法人に解散命令が出るのは「オウム真理教(現在のアレフ)」に次いで2例目。

  明覚寺グループは、名古屋別院や富山別院で、「霊が取りついている」などと、相談者の弱みにつけこみ、霊能による治癒をうたって相談者から供養料などをだ まし取っていた。95~96年に幹部らが愛知県警に逮捕され、15人が詐欺罪で起訴された。西川義俊・現代表役員を含む3人は名古屋高裁に控訴している が、12人については有罪が確定している。

 文化庁では、99年12月、「組織ぐるみの違法性が認められる」と、刑事事件を受けた例としては国として初めて、和歌山地裁に解散命令を請求していた。今回の決定を受けて、今後は清算手続きが進められる。(21:38)

続報
宗教法人・明覚寺(和歌山県)グループによる霊視商法事件で、詐欺罪に問われた元管長の矢野敬二郎被 告(42)の控訴審判決が8日、名古屋高裁であり、小島裕史裁判長(退官のため伊東一広裁判長が代読)は、懲役3年6月とした1審・名古屋地裁判決を破棄、無罪を言い渡した。 

 判決で小島裁判長は、ほかに詐欺罪に問われている教団創設者で元管長の西川義俊被告(62)、系列寺院「満願寺」元住職の宇崎晴翔被告(54)の詐欺成立は認めたものの、矢野被告の役割については、「主に 教団内で教義面を担当しており、金銭管理には関与していなかった」と指摘し、「詐欺の認識があったとは言い切れない」とした。 

 矢野、西川、宇崎の3被告は、供養料名目で相談者から多額の現金をだまし取ったとして起訴されたが、当 初から「正当な宗教行為だった」として無罪を主張。1審・名古屋地裁は99年7月、「宗教に名を借りた組織的な詐欺事件」と認定、矢野被告に懲役3年6月、西川被告に同6年、宇崎被告に同2年の実刑判決を言い渡し、3被告が控訴していた。 

 矢野被告は、西川被告に次ぐ教団ナンバー2。西川、宇崎両被告の控訴審判決は、同日午後、同高裁で言い渡される。 

 この事件では、3被告と満願寺の僧侶8人の計11人が起訴されたが、僧侶8人は罪を認め、執行猶予付きの有罪が確定している。 

 明覚寺は今年1月、文化庁の申し立てに基づき、和歌山地裁から宗教法人法による解散命令を受け、大阪高裁に即時抗告している。 
(4月8日13:09)

2003年04月03日(木) 20時50分【記事転載終了】


【転載開始】

『終わりの日の預言』転載開始!!第1弾

主は言われた 1996



 
 平成8年(西暦1996年)2月1日、真言宗高野山明覚寺の管長であった私「正覚院義敬」は、名古屋の末寺と一門の門主が起こした事件に関わった疑いが あるとして愛知県警に高野山の本山で逮捕され、捕囚されて名古屋中川署の監獄に収監された。そのいきさつは、次のとおりである。

 平成7年10月30日、私は一門(真言宗覚王院門)の門主Nに呼ばれて、N門主が直に僧侶を指導している「鑑定施法院・横浜霊験寺」にいた。
  翌10月31日早朝、愛知県警の警官たちが突然、寺に押し入ってきた。 捜索が始まり、ありとあらゆるものが押収され、刑事たちはしきりに「チャカないか! チャカないか!」と叫びながら、拳銃が隠されていないか、探してい た。そのとき寺務所の電話が鳴り、別の末寺の僧侶から、名古屋の末寺「鑑定施法院・名古屋満願寺」の僧侶と住職が逮捕されたとの連絡が入った。
 刑事たちは、寺務所のパソコン・モニターに映っている門主の姿を見て、門主が別の寺で説法しているものだと思い込んだようで、その間に、隣室で説法していた門主は非常階段から外へ逃れた。
 「責任者は誰だ!」と警官が叫ぶので、私が進み出た。そして私に対する事情聴取が始まった。
 いったい何の捜索なのか理解できないまま、事情聴取は翌日も続いた。取調官は「 丹羽」と名乗り、「まあ4、5日、待ってろ。あんたを絶対に逮捕しに来てやるから」と捨てゼリフを吐いて、引き上げていった。
 高野山の本山に戻った私は、そこにも捜査が入ったことを知った。私は、住居にしていた木造のぼろアパートに戻り、テレビのスイッチを入れた。各 局のニュース番組では朝から晩まで、名古屋満願寺の事件を報道していた。テレビ報道や新聞を見て、私はようやく事件の概要を知ることができた。 報道によると、10月31日に名古屋満願寺と関係各所に愛知県警の暴力団捜査一課が家宅捜索し、加持祈祷による詐欺容疑で3名が逮捕され、翌日にも2名が 逮捕された。 逮捕容疑は、「効果がないと知りながら加持祈祷で相談者から祈祷料などの名目で金員を騙取した」というものであった。
 この事件に疑問を呈する報道も少なくなかった。テレビのワイドショーでは、「何が詐欺なのか分からない」というコメントもあった。 有識者たちのコメントも曖昧なものが多かった。
 これは事実とはかけ離れている、と思った私は、一刻も早く誤解を解かなければという思いで門主に連絡を取ろうとしたが、門主は行方をくらましていて、連絡がつかなかった。
  11月2日か3日頃、門主の側近である本覚寺総務本部長から連絡が入り、午後6時に大阪・梅田のホテルの喫茶室に呼び出された。何事かと尋ねると、「用件 は電話では言えない。会って直接伝える必要がある」と言う。 急いで待ち合わせ場所に行くと、本覚寺総務本部長は「門主の命令で、辞任届に署名捺印してほしい。」と言う。私が「本当に門主の命令ですか。」と問いただ すと、彼は近くにあった公衆電話から門主に電話をかけて見せた。その様子を見て、私は彼を信用し、辞任届に署名捺印した。
 梅田から高野山のアパートに戻ると、門主の付き人から電話が入り、辞任届の件について確認があった。門主の意向は、「君が辞任する気なら辞任してもよ い、ということで、辞任の強制ではない。」とのことであった。私は、辞任を強制されるいわれはないし、事件や容疑は寺にとって身に覚えのないことであるは ずなので、辞任届を破棄してほしいと伝えた。
 その頃、国会では新しい「宗教法人法」の成立に向けて連日、議論がなされていた。寺の事件は、この宗教法人法の成立に向け、格好の材料とされていた。
 11月13日、容疑を否認していた3名のうち、1名が弁護士を解任、容疑を認めた。同月21日、取り調べ満期日のこの日、さらに1名が弁護士を解任、容疑を認めた。名古屋満願寺の1人の女性僧侶だけが容疑否認のまま、5名全員が起訴された。 起訴状の文面は、「霊能力がないと知りながら祈祷料や供養料などの名目で相談者から金員を騙取した」というものに変わっていた。 加持祈祷に効果がないと知りながら・・・との容疑ではまずいと、訂正されたに違いなかった。
 11月27日、明覚寺は法務大臣を相手に提訴した。翌28日、逮捕されていた満願寺僧侶5名は再逮捕され、新たに満願寺関係僧侶2名が逮捕され、門主宅に家宅捜索が入った。
 11月下旬の深夜、門主と付き人たち数人が突然、何の連絡もなく高野山明覚寺に来山した。本覚寺幹部らも続いて来山。末寺の全住職を招集して会議が開かれることになった。
  急きょ開かれた住職会議で、寺の活動が当局から誤解を受けていること、誤解であるにもかかわらず強引に僧侶を逮捕していることは宗教迫害に他ならないこ と、信教の自由を侵害する国家権力に対して断固として闘っていくことなどが確認されたが、最後に門主がこう締めくくった。
  「一切の責任は逮捕された僧侶にあるのであって、自分にあるのではない。」
 私は耳を疑った。私だけではない。そこに集まっていた住職たちのほとんどが、いっせいに門主の顔を見つめた。 住職たちにとって門主は師匠に当たる。弟子は当然のこととして、師匠に責任を負わせようなどとは思っていない。むしろ、師匠に責任が及ばないよう、最善を尽くす思いでいる。しかし、師匠の方は、弟子の責任を負おうとは思っていなかった。 住職たちは、その日のうちに全員が下山した。
 門主と本覚寺幹部たちはそのまま残り、信徒たちへの対応を連日、協議していた。そして、寺の意見を冊子にまとめ、信徒に送付することとなった。本覚寺管長と幹部たちは信徒たちに、信仰か、それとも国家権力への追随かの選択迫る手紙を送付した。
 私は、かねてから筆を進めていた教学本を急いでまとめあげ、発行することになった。【続く】

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