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飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

お金の科学・・・! って、何か? 最終回

2015-02-23 11:53:01 | ビジネス

お金⇒富の科学!
と言い換えたほうが聞こえが良かもしれない・・・!
ジェームス・スキナー・・・
変な外国人?!
しかし、日本語は達者だ・・・!
大好きなコーチャーである・・・。
とにかく面白い!

⇒お金の科学・・・! って、何か? その1 その2 その3 の続きです。



終了しました・・・

2月23日23:59迄の期間限定公開です。

2月24日からは、無料のメール講座が開始されますが、

無料です。


最終回にちなんで、ここで書いて置きたいことがあります。

それは、

ジェームズ・スキナーが語っていることで、

「お金を稼ぐためには競争に勝てと言われることが
多いのですが、競争するからこそお金が稼げない」

という事です。


一般的に、競争する事こそお金を稼ぐ途だと、

考えられています。

しかし、そうではないという事を知るだけでも、

大きなパラダイムシフト(基本的考え方の変化)が行われるでしょう。

又、

心に焦りがなくなり、

やるべき方途が見えてきます。


つまり、

成功の条件は、外に在るのでなく、

内にあるという事です。

言い換えれば、心の置き所にあるという事です。

それが本質であると納得すれば、

落ち着いて世界が見えてきます。


勿論、最新のノウハウも必要です。

が、

本質を抜きにして、ほとんど無駄になります。

本質+最新のテクノロジー(ノウハウ)を

見出すことが出来ます。


<画像をクリック!

 

年に一回程度の公開していません。

私は、去年接することが出来たので知ったに過ぎません。

従って、

本物であるという事を、自信をもって言うことが出来ます。

 

<画像をクリック!

 

人生には、気づきのチャンスは何度か訪れると思います。

それを生かすことが大事です。

気づいたら挑戦する。

これが人生であると考えています。


もしも、

そうかもしれないと感じたら・・・

 

是非、学んで下さい。

無料オファーです。


 

人を動かす7つの言葉


先日からお伝えしているジェームス・スキナーの
「お金の科学」特別映像プレゼントは既にご覧いただき
ましたか?


ジェームス・スキナーは、19歳で日本に来日。

当時、月の生活費が5万円。

東京の下町に19歳から暮らし、8年間もの間、
4畳半一間という大変狭い部屋から抜け出す事が
出来なかったそうです。

しかし、

今から紹介する「お金の科学」という知恵を活用することで、

7つの習慣を日本に紹介し、100万部のベストセラーにし、
会社を売却して最初の1億円を獲得。

その他にも、

・「成功の9ステップ」という自身の15万円以上の
 セミナーへ現在までに1万5000名を動員。
 
・金融会社を創業し、たった2年で世界35カ国、
預かり資産2000億円まで展開。

・ジェームスが直接指導した人たちから
億万長者が何人も誕生。

といった成功を収めているのです。

さらに仕事で大きな結果を残すその裏で、

・ヨーロッパ5,000キロを自転車で横断。
(ちなみに、大阪から東京までが約500キロ)

・1年の半分は世界旅行。

・モルジブの世界最大の水上コテージの上で、
世界有数のVIP達と会合。
 
・毎日ヨガを行う。

などなど。

ジェームスは経済的な成功を収めるだけでなく、
最高に人生を楽しんでいる人でもあります。


そんな彼が自らのお金の成功の秘密を公開する
特別メール講座が2月24日からスタートするとのこと。

テーマは

「お金の科学」と題して、いかなる状況からでも大きな
富を手に入れるためのお金のルールを紹介してくれます。

ただし、

この特別メール講座が受講できるのはこちらの
ページに23日までに登録をした人のみ。

私もとても楽しみにしていますが、
経済的な成功に興味がある場合。

これが1つの答えになってくれることでしょう。


多くの成功者がメンターとして慕っている
ジェームスの本質的なお話。

一度学べば100年後でも、
ゼロからお金を作り出すことができる、
そんな有益な内容となっています。

ぜひあなたも聞いてみてください。

こちらから登録直後に、24万8000円のセミナーでのみ
公開された特別な映像をお届けします。

https://www.truenorth.co.jp/sr/?s=s51oser&a=286

この内容を知らないばかりに、
多くの人がお金を稼ぐ事に抵抗を持ち、
せっかく稼ぐことが出来るお金を無駄にしています。

逆に、

この映像の内容を実践することで、
実際に億万長者になった人が何名も
出てきているのです。

なので、この1つの映像だけでも
大きなヒントを得られることでしょう。

期間限定ですが、
もちろん無料で見る事が出来るので、
こちらからどうぞご覧ください。

https://www.truenorth.co.jp/sr/?s=s51oser&a=286

 

 


21 愛の法則から見た十戒 3

2015-02-23 11:52:27 | 魂の法則-愛の法則-

あの「魂の法則」が、
Part2「愛の法則」として、
新たに公開されている・・・!
遅ればせながら、転載を開始する・・・。その21


言うまでもなく、作者はヴィンセント・ギリェム(Vicent Guillem)氏、スペイン人で生化学博士である。

翻訳は、初版本「魂の法則」の訳者でもある小坂真里さん。

訳者のホームページ「魂の法則」に、既に公開されているものを、

敢えて転載する理由は、

一人でも多くの方に触れて頂きたいとの願いからである。

それは作者の願いでもあり、訳者の願いでもある。


そして、

共感する拙ブログの願いでもあるからだ。

既に、初版本「魂の法則」は日本でも公刊されており、

魂の法則
ヴィセント・ギリェム
ナチュラルスピリット

是非とも、手に取ってお読み頂きたい

尚、カテゴリー魂の法則には、23回に亘って連載させて頂いた経緯がある。


でも、

一冊の刊行本は、はるかに読みやすく、

座右の一冊となるだろう・・・。

 

<ヨッキーくんより>


人間は、迷信に弱い。

それは、確たる認識を持たないからであるが、

この世においては、閉ざされた空間であるので致し方がない。


致し方がないという事はさて置いても、

迷信・盲信・狂信に至る原因は、

他を抜きんでたい欲から発している・・・。

所詮は、欲なのであり、虚栄心の現れなのである。


一所懸命に生きるという事は、

与えられた場に、全力を尽くすという事であり、

それ以外は余計なことであろう。

今を生きるのでなければ、未来はない。

過去は取り戻せないが、

学びの宝庫とはなる。

そして、知恵とすることが出来るのである。


それを差し置いて、

何が要るというのであろう。

それは虚栄であり、欲である。

欲が深いと、

欲ある者に引っかかるという事である。


世の中に、霊能者を語るものは多いが、

大多数は虚栄であり、偽物である。

カギはカギに引っかかる。

真っ直ぐは引っかかる術がない。


しかし、

アカシックも霊性の不滅も真実である。



【転載開始】

21 愛の法則から見た十戒 3

 
*すでに肉体のないこのような存在たちに状況を把握してもらって、霊的次元で自分の道を進んで行ってもらえるように手助けすることはできるのでしょうか?

  それは君たちによるというよりは、彼ら次第だ。なぜなら、霊的な次元では、その移行に必要とされる援助が得られるのだが、時々、物的な世界との繫がりを断 ち切り難い場合があるのだ。そういう場合、支援する魂たちは、彼らが自分自身の意志で歩み続けることを決めるまで、見守っている。
  また、そのような境遇の存在たちは思考を読むことができるので、声に出さずに頭の中で話しかけてみることも有効だ。彼らの置かれた立場―つまり、もう肉体 的な生を終えたこと(中にはあまりに混乱していて、自分が肉体を離脱したこともわかっていない者がいるのだ)―や、その場所に永久的に留まっているのは不 可能なことを説明し、霊的な世界の仲間や愛する者たちに助けてもらうべきだと諭すのだ。
  何よりの助けとなるのは、彼らを亡くしたことによる悲痛や悲嘆の感情を避けることである。というのも、準備不足の者は、それが原因で、留まってしまうから だ。肉体を失った者は、愛する者たちが自分がいなくなったことで悲しみに暮れているのを見ると、哀れに思い、その状態で独りにさせてしまうのを辛く感じる ものだ。だから、喪失感と悲しみを乗り越えることが、彼らを心置きなく立ち去らせてあげることになるのである。

*仲立ちをしてくれる霊媒や予知能力者を通して、死んでしまった家族と交信できるでしょうか?
 
 故人は、人の最も敏感な時を選んで別れを告げたがるものなので、コンタクトは、夢の中やはっきり意識できる体験として、自然に起こり得る。コンタクトが自然に起きないのであれば、あえてそれを強いる必要はない。
 たまに、故人との交信を強く渇望するあまり、それを利用する者の手に落ちてしまうことがある。事前に一定額を支払うことで、死者との待望のコンタクトを取ってあげると口約束されるのだが、大概それは偽物であり、ただの演技に過ぎないのだ。
 愛する故人からの連絡の形跡がすぐになくても、心配には及ばない。死というものは存在しないのである。連絡がなかったとしても、他界した人は、そのまま霊的な次元で生き続けている。
  君たち自身の準備が整っていないために、連絡が取れないこともある。たいていの場合、君たちはあまりに悲嘆に暮れていて、愛する故人が伝えたいと思うこと を受け取る余裕がない。そういう時にコンタクトがあっても、喪失感が増して、別れ難い思いをズルズルと引きずり、辛くなるばかりだろう。だが、悲しみを克 服すれば、切望することが叶うかもしれない。
 睡眠中は皆、身体から離れられるので、愛する者たちがいるところへ赴くことができる。敏感で感受性が高ければ、その経験を覚えていることが可能となろう。

*では、手相見やタロットや同様の手法で、未来や過去を言い当てられると言う人や予知者のことをどう思われますか?
 
  未来は白紙である。いわゆる「アカシックレコード」と呼ばれる、個人の過去の記録や未来の可能性にアクセスすることは可能だが、それはとても制限されてい る。肉体を持った者は、当人の進化のために有益となる場合に限り、特別に自分個人の記録を見ることが許されるが、他人のものにはアクセスできない。
 アクセスは通常眠っている間に起こり、その体験は夢として記憶されたり、予感となったり、深くリラックスしている状態でビジョンとなって現れることもある。しかし、それができるのは自分が望んだ時ではなく、霊的世界がそうした方がよいと判断した時だ。
 人は大概、好奇心や欲心や利己的な関心から、自分の過去や未来のことを知りたがるが、霊的なガイドたちは、君たちのそのような動機を満たすために、この知識にアクセスさせてくれるのでないと、はっきり伝えておこう。
  それなのに、他人のアカシックレコードに入り込めると言っている人たちの数の多さには、全くびっくりさせられる。その多くが、事前に一定額を受け取ってい るのだが、いい加減にカードを並べたり、適当に本のページを開いたり、生贄にした動物の内臓の配置に意味を見出したり、あるいは他のゲームや多少不快な儀 式をするだけで、いともたやすくその人の過去や未来を知ることが可能だとする。もちろんのことだが、このようなことはすべて嘘だ。

*でも、予知者の中には、言い当てられる人もいますよね。
 
  ほとんどの場合は当たらない。当たるように見えるのは、透視力を持つと自称する者が狡猾で、クライアントを持ち上げるのが上手く、その人から情報を引き出 して返答したり、お客が聞きたいことを言うのに長けているからだ。お客を満足させれば、今後もセッションの代金を払ってくれる顧客となるからだ。
 だが一体誰が、自分の運命や未来が、適当に並べたカードに書かれていると信じられるのだろうか? カードを切り直してもう一度引いたら、違うカードが順番を変えて出てくるのではないだろうか? そうなってしまえば、その人の将来も変わってしまうということかい?
  常識を使って判断すれば、たとえばタロットというものが、ただの遊びに過ぎないことがわかるだろう。カードを並べるだけで、未来を占ったり過去を透視でき ると信じる人は、ゲームのモノポリーが得意なだけでエコノミストだと思い込んだり、飛行機のビデオゲームが上手いだけでパイロット気分になる人と同じであ る。
 それゆえ、そのようなゲームと霊性とをごっちゃにしてはならない。根拠のないことを信用してはならないのだ。これらはすべて霊性とは無関係なのだが、しっかり意識していないと虚偽と真実とを混ぜてしまい、迷信と霊性とを見分けられなくなってしまう。

*ごく一部だとしても、言い当てることができて、正しかったとわかるケースはどうですか? たとえば、人の個人的な出来事を詳しく言い当てられる場合は、どう説明できるのでしょうか?
 
 確かに霊媒能力を持つ人もその中にいるのだろうが、その能力を間違って使用しているようだ。霊媒能力というものは、霊的な授かりものであり、いたずらに用いてはならない。利益を目的にすべきではなく、ましてや職業にしてはならない。
  過去を言い当てた時のお客の反応が面白いので、そういうことを生業とする人たちに、進化の乏しい霊たちが寄り付くことがある。その場合は、カードを読んで 当てているのではなく、そのような霊たちがお客の信用を得るために、彼らに正しい情報-その全部が正しいとは限らないのだが―を提供しているのだ。
  また、霊媒能力を持つ人の中には、下心があるわけではないのだが、無知であるがゆえに世間のエゴに翻弄されて、自分の本当の能力と俗世間で学んだ技法とを 混同してしまっている人もいる。こういう場合は、あまり進化はしてはいないものの、悪い意図を持たない霊たちが介入しやすい。

*占星術、つまり、天体が人生に及ぼす影響についてはどうお考えですか? 星座占いや星座カードは? 生まれた日付けと時間がわかれば、その人のだいたいの性格や、人生で起きる出来事をあらかじめ知ることができるというのは本当ですか?
 
  創造の万物は相互に網の目のように結びついているので、天体が発するエネルギーの光が、他の天体やそこに住む生物に影響するというのは本当だ。そして、地 球からの距離によって重力の強さが変わるのと同じように、それらの天体の近くに行けば行くほど、その影響が強くなることも確かである。また、天体の配置に よって、特定の霊的な仕事がやりやすくなることもあるので、進化した魂は、霊的次元の任務に取り組むために、より好都合な時期を選ぶことがある。
  しかし、それはあくまでも影響力に過ぎず、決定的な要素ではない。マラソンの選手が、いつも適度な気温と湿気を望むのは、それが、いい記録を残すための大 切な条件だと知っているからだ。しかし、いい天気だから良い選手になれるわけでも、悪い天候のせいで劣ったランナーになるわけでもない。天候の及ぼす影響 は、選手の記録を調整するのに限られるが、これと同じことが天体についても言える。進化した魂は、生まれる時の天体の配置がどうであろうと進化しているの であり、そうでない魂は、天体の位置が良くても進化した魂にはなれないのだ。
  転生することになる魂の誕生が二週間早まるか遅れるかによって、その人が違う人生を送ったり、異なった性格になるなどということが、どうして信じられるの かね? 魂の人格や成長というものは、無数の転生を経て獲得した霊的な学びの結果である、と何度も言わなかったかね? 人生で出会う試練は、生まれる前に 自ら選んで準備をしたもので、それを乗り越えるかは個人の意志次第だと言っているのに、どうして誕生の日付によって、その人の人生の出来事が決まってしま うと思えるのだろうか?
 もう一度、はっきりさせよう。未来は白紙だ。人の未来が誕生日で決定されているのなら、どこに自由意志の余地があるのだ? 二次的なことばかりに注意を向けていると、本当に大切なことを見逃してしまう。

 


20 愛の法則から見た十戒 2

2015-02-23 10:47:09 | 魂の法則-愛の法則-

あの「魂の法則」が、
Part2「愛の法則」として、
新たに公開されている・・・!
遅ればせながら、転載を開始する・・・。その20


言うまでもなく、作者はヴィンセント・ギリェム(Vicent Guillem)氏、スペイン人で生化学博士である。

翻訳は、初版本「魂の法則」の訳者でもある小坂真里さん。

訳者のホームページ「魂の法則」に、既に公開されているものを、

敢えて転載する理由は、

一人でも多くの方に触れて頂きたいとの願いからである。

それは作者の願いでもあり、訳者の願いでもある。


そして、

共感する拙ブログの願いでもあるからだ。

既に、初版本「魂の法則」は日本でも公刊されており、

魂の法則
ヴィセント・ギリェム
ナチュラルスピリット

是非とも、手に取ってお読み頂きたい

尚、カテゴリー魂の法則には、23回に亘って連載させて頂いた経緯がある。


でも、

一冊の刊行本は、はるかに読みやすく、

座右の一冊となるだろう・・・。

 

<ヨッキーくんより>


まさに、『人を呪わば、穴二つ』である・・・。

すべての儀式、祭式、呪術の類は、基本的に霊性とは無関係である。

全く、同感だ。


本当にそれが必要なら、

人間は生まれる時、それを身に付けてきているはずである。

例えば、数珠・念珠が必要なら手に持って生まれる・・・?!

十字架とて同じである。


勿論、今それを愛用している方にとやかく言うつもりはない。

基本的に偶像は、

人間がその時の認識力の限界で、

編み出された象徴に過ぎない。


人間は、裸で生まれ、裸で死んでいく。

そして、等しく霊性を発揮していくものである。

今、偶像を否定できないという方は、

それで良かろうが、

本質的には、霊性に無関係という事を押さえておくことは重要であろう。


又、

憑依も悪霊も、そして、悪魔の存在は否定しないが、

引き入れるのは、

その波長同通の法則であって、

同調している者に一義的原因がある。

全ては、

二義的原因から問題解決はないという法則を知る必要があるだろう。


世界は自らが変えることが出来る。

不一不二(ふいつふに)の法則は、宇宙の法則である。

自分自身が宇宙の一部であるからである。



【転載開始】

20 愛の法則から見た十戒 2

 

*霊界が儀式についてどう思っているのか、もう少し深く教えていただけないでしょうか。というのも、人間が宗教を信仰するのは、祭式が神聖と見なされている影響が大きいと思うのです。

 儀式というものは、それを執り行うことで神に近づけると勘違いした人間が発明したお遊びに過ぎないのだが、実際には、真の霊性に人が近づくことを阻むカモフラージュにされている。
  祭式は、人間社会の慣習と感受性の度合いに応じて、時代ごとに変化していった。過去の時代においては、人間を拷問したり生贄にすることで神々が満足すると 信じられていたために、儀式というものは身の毛のよだつ行為であった。のちに人間の生贄が動物の生贄に取って替わり、今日でもこの習慣は様々な地域社会に 残存している。イエスのお陰でキリスト教の社会では動物を捧げる風習はなくなり、それほど残酷でない儀式に置き換わった。
  しかしながら、神や霊性の導き手たちが彼らの援助と引き換えに、祭式や捧げ物を要求したり必要とすることなどないと知っておくことだ。彼らは、この習慣を 進化の乏しい人間にありがちな特性だと思っており、捧げ物をすることで命が奪われたり、苦しみや痛みが生まれることに悲しみを覚えている。そして、それを する者たちが自らを騙してしまっていることを悲しく思う。それというのも、人間や動物を犠牲にするような残酷な儀式は「愛の法則」に反するものなので、実 際には意図したこととは反対に霊的な債務を負うことになるからであり、無害な儀式でも霊的な観点からは無意味であるからだ。
  また、聖地とされる場所に巡礼する必要もなければ、それを要請されることもない。願をかけて長期間絶食するといった馬鹿げた行為も、自分を鞭打つことも、 健康を損なうリスクがありながら誰の得にもならない、苦痛を生み出す無意味な肉体的なせっかんも不要だ。求められるのは、前進したいという意志のみなの だ。
  これまでに何度となく繰り返してきたが、もう一度言っておこう。霊的な向上に役立つのは、エゴを排除し愛の感情を育むことにおける我々の進歩のみである。 そしてこれには、日々の努力が欠かせない。それゆえ、霊性の道に近道など存在しない。つまり、多くの人びとが望むように、自己努力をせずに目標に達する、 手段も儀式も存在していないということだ。儀式というものは、偶像崇拝やお祈りを繰り返すのと同じように、霊的な視点からは意味のないものだ。


*特定の儀式やおまじないによって、霊的な力を獲得できると約束する人もいますが、そういうこともあるのでしょうか。

 そんなことはもちろん、愚か者だけが騙されるでまかせだ。前に説明した筈だが、テレパシーや透視力といった能力が発達するのは、愛における霊的な向上が見られる時だけだ。だから、そのようなことを実践して、超人的な能力を獲得できる者などいやしない。


* しつこく聞いて申し訳ないのですが、魔術やおまじないについてはどう思っていますか? 効き目があるというのは本当ですか? つまり、ブードゥー(黒魔 術)や呪いのように危害を加えることが目的であっても、人が願い事をする時には、ある種の霊の協力を得られるのでしょうか? また、何か根拠があるので しょうか?

 まじないも魔術も、霊的な実習とは見なせない。まじないとは、儀式と同様お遊びであり、宝くじに当たりますように、という他愛もないもののこともあるが、時にはゾッとするものもある。他者に損害を与えようとして願をかける場合などは、利己的な意図が明らかである。
 確かに中には、悪い目的を持った人間の要求に応じようとする、ネガティブな存在がいる。彼らも似たような悪い意図を持っていて、特定の人に害を及ぼそうとするのだ。
  だが、そうは言っても、それが成就されるとは限らない。人に危害を加えたい霊や人間がそう望むだけで、誰でも好きな人をいじめることが許されるとしたら、 それは、肉体を持って生まれた者たちの自由意志を侵害することになる。ネガティブな存在たちに、好き勝手に人を痛めつける能力があったとしたら、皆がメ チャメチャにされてしまうだろう。
  しかし、すでに話したことだが、彼らが影響を及ぼすことのできる範囲は限られている。ネガティブに感化することができるのは、そのような悪い影響を甘んじ る低波長の者たちか、怖れや自己暗示によって、そうなると信じてしまう者たちなのだ。したがって、このような悪い霊に感応しないように防衛するには、各自 の人生に対する姿勢が一番有効である。人を傷つけないように気を配りながら、善い意図を持って行動する者は、自動的にこのような影響力から身を守ることが できる。
 それよりも、魔術で他者を不幸にしたいと思う者の方が、この手の行為の被害者になりやすい。悪霊たちは、誰にも危害を与えることができないと、悪いことを企んで自分たちを呼び込んだ者自身に影響して、餌食にしてしまうのだ。
 他者に黒魔術を使った者は、原因と結果の法則において、将来人から呪われることになる。そうして自分自身で、他人に及ぼした忌まわしい行為の結果を体験することとなる。


*それでは、誰かに呪われているため、または悪霊に苦しめられているために気分がすぐれない、と言っている人たちをどう思われますか?

  ほとんどのケースが事実ではない。気分が悪いのは本当だろうが、それは呪われているからではなく、自分自身の感情的な問題や利己的な行為が原因となってい る。また、霊に嫌な目に遭わせられるかもしれないと信じることで怖くなり、悪霊という恐ろしい存在を自分の想像力で創りあげてしまう人もいる。そしてその ことによって、自分の力を失い、精神的にも落ち込んで、自己暗示によって不快になってしまう。不快感の原因が何であるのかを突き詰めて考えるよりも、それ を人のせいにした方が簡単なので、そういうことになるのだ。

*でも、実際にネガティブな霊の影響を受ける場合もあるのでしょうか? 悪魔に憑かれてしまった人とか、悪霊に支配されてしまった人もいますか?
 
 
 悪魔は存在しないので、悪魔に取り憑かれてしまった人はいない。記録に残る「悪魔憑き」のほとんどが実際には、強い心理的錯乱がある精神患者で、極度のトラウマ状態を経験したことや、狂犬病などの伝染病の犠牲となったことによる。
 だが、エゴ的な感情が起こるとネガティブな霊の影響を引き付け、それがより一層助長されることになるというのは本当だ。人からかけられた呪いが効いたのではなく、自分自身で招いた状況なのだ。
 様々な要因で、大なり小なり憑依的な霊に左右される人がいるのも確かである。その理由としては、悪い霊との交信を望んだためとか、彼らに感化されやすい弱点-たとえば麻薬を常習しているなど―があるとか、極端にネガティブな利己的な態度をとったせいである。
 他に、過去に悪いことをしたせいで、その復讐をしたがっている霊にさいなまされる場合もあるが、通常その影響力はかなり限定されている。一般的には、被害者となる人に否定的な思考を起こさせるだけで、その人に取り憑くことはない。
  霊媒となる才能がある人は、その資質ゆえに霊界との交信が取りやすく、コンタクトも強いものとなるので、ネガティブな霊にもっとはっきりと邪魔されやす い。でもそれは低俗な本能や邪悪な行為に引きずられた場合だけで、ホラー映画に出てくる悪霊に取り憑かれるケースなどは全くの作り話だ。


*では、そのような場合には、どうしたらその影響を振り払えるでしょうか? いわゆるエクソシスト(悪魔払いの祈祷師)は、悪霊の影響を払う特別な力があるのでしょうか?

  もう説明した筈だ。ネガティブな存在に悩まされるのなら、それは通常は、我々がその霊を呼び込むような態度をとってしまったことを反映しているのだ。だか ら、肯定的な態度に変わること、つまりエゴによって生まれた悪習を断つことが、その影響からの解放に繫がる。何か特別な儀式やまじないを行うことで振り払 うのではない。君たちがエクソシストと呼ぶような祈祷は、無益なだけでなく馬鹿げている。


*エネルギーを通すことで被害者のエネルギー体を綺麗にすることは、ネガティブな霊の影響を払う役に立つのでしょうか?

 エネルギーを流す人が良いパイプ役であり、その能力を利己的な目的に使用しないのであれば、助けになれる。高次の霊たちが、その人を通して活躍するので、悪い影響を振り解いてあげることができるからだ。
 だがそれをしてもらっても、否定的な態度を変えようとしなければ、その効果も一時的なものだ。したがって、ネガティブな存在たちの影響を振り解くのは他人に頼ることではなく、自分次第なのである。


*自分の態度が悪くなくても、ネガティブな霊がいる雰囲気を感じ取れる敏感な人もいますか?

 そういう人もいて、疲労や倦怠を感じるが、不快感は長くは続かず、その場所を離れれば消失する。つまり一部で信じられているように、低波長の霊たちが頻繁に出入りする環境にいたからというだけで、悪い霊に憑かれて苦しめられることなどない、ということだ。
 時折そのような悪い雰囲気は、肉体を持った者自身のエゴ的感情によって生じている。繊細な人であればそれを感じ取って気持ちが悪くなるが、それも一時的な感覚であるものだ。

*いわゆる「超常現象」を発生させることのできる霊がいるというのは、本当でしょうか? 物が動いたり、照明や機器が独りでに点滅したり、ビデオや録音で捉えた声や残像などがあって、そのような現象に遭遇した人たちはとても怖がっているようですが。
 
 そのような現象はあるが、悪さをしようとしているためとは限らない。
  時には、まだ生きていることを知らせたいために、肉体を持った者と交信したがっている霊に過ぎない。そういう場合は、少し前に亡くなった霊であることが多 い。この物理的な生にまだ執着を残していて、住んでいた環境や人間関係を捨てたくないために、まだ生き続けていることを知らせたくて、近親者の注意を引こ うとする。彼らに話しかけたり触ろうとするのだが、肉体を持つ者との交信やコンタクトの可能性に限界があるので(肉体を持つ者の感受度による)、その存在 に気づいてもらえない。そこで彼らにとっては、物質よりもエネルギーを扱う方が簡単なので、電気で動く機器に干渉して、電球やテレビやラジオを点けたり消 したりする。また、そこに霊媒体質の人がいる場合には、その人のエネルギーも借りて、物体を移動させることもある。
 こういうことは、何が起きているのかわからない人たちを大変怖がらせてしまうが、実際には邪悪な意図はなく、注目を集めたいだけで、肉体を持つ人たちの間に引き起こす怖れには気づいていない。