飄(つむじ風)

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すべては『シオンの議定書』にカギがある!!⑫

2008-01-09 07:24:40 | シオンの議定書

『シオンの議定書』第十二議定書注釈

 【第十二議定書注釈開始】ここからは、第十二議定書(下記転載文書)の注釈に入る。
とにかく巧妙、執拗と云うべきか。世論を形成するべき新聞等出版物が、斯くほどに彼らの手中に在るとは、一般市民に信じられる話はないであろうが、諸般の 出来事から類推すると、ここに云われている通りであろう。
『まさか』という坂が有る。とは小泉元首相の最近の言葉であるが、彼はこうした実情を少なから ず、知悉する立場であったであろう。私は、彼(小泉元首相)が、彼らの云う『ゴイムの中から選ばれた、行政官』Photoの一人であったと観測している。としたら、彼は 『まさか』の総理大臣であった。そして、彼らの代理人から、『まさか』の事情に触れ、抗うことが出来なかった。それは、『過去に隠れた古傷を持っている候 補を選んで』総理大臣に選出されたことを、自分自身が一番よく知っているからである。又、『旧悪を暴露される怖さ』『りそなインサイダー』と郵政民営 化、イラク捏造戦争をいち早く支持して、早々職を辞した。もう、復活する気はない。しかし、『まさか』を実体験した張本人である。
 これが20年前、『シオンの議定書』初めて目にした時なら、不詳、私自身、オドロキはしたが、『まさか』であった。9.11WTCテロを切っ 掛けに
『世の中の壮大なウソ』を知るにつけ、『シオンの議定書』は真贋の『真』であると衝撃をもって悟った。そう感ずることを強制できない。只云いたい。 それぞれに立場で、この書にあることの意味、可能性の検証をして見ようではないか。時遅れて、やっぱりそうだったか、と悔いることにないように。【注釈終 了】   <飛び散る破片! どうして? 爆破だ!>Photo_2

【転載開始】『シオンの議定書』第十二議定書
 〝自由〟という言葉には、いろいろの解釈があるが、われわれは次のように定義する・・
自由とは法律で許されたことをする権利である。この定義は 通常はわれわれだけに役立つ定義である。なぜならば、法律というものが前に述べた計画に従って、われわれが思いのままに作ったり廃止したりできるものであ るから、およそ自由と名の付くものはすべてわれわれの手中にある。

 新聞については次のように扱う。
今日の新聞の役割とは何か? それはわれわれの目的には有利な激情を爆発させ、燃え上らせることに役立つ。さも なければ、諸党派の利己的な目的に役立つ。新聞は、多くは浅薄、不当、虚偽であり、大多数の人々は新聞が本来何の役に立つのか考えようともしない。が、わ れわれは新聞に鞍を置き馬勒を付け、しっかりとをはませる。他の印刷物についても同様である。われわれが新聞の攻撃から免れても、小冊子や書籍の攻撃の 的にされたままだったらどうなるか?出版物の刊行は、今日ではそれを検閲するとなると大変金のかかることであるが、われわれはわれわれの国家にとって得な 財源に変えてしまう。新聞等の発行団体や印刷所に許可を出す前に、特別印紙税と[損害に備えての]保証金を納めさせるのである。これをやっておくと、新聞 等のいかなる攻撃からも政府を守ることができる。われわれに対する新聞等の攻撃などがあろうものなら、われわれは仮借なく罰金を科する。保証の形をとるこ のような印紙税、保証金、罰金といった方法は、政府の大いなる財源となるであろう。政党の機関紙は多額の罰金を取られても平気であろうが、以上の 手を打てば、われわれに対して重ねて攻撃をした場合は断乎発行禁止処分に付する。われらが政府の不可謬性の後光に指一本でも触れようものなら、何 びとも無事ですむことはありえないのである。発行を禁止するには、何ら理由も根拠もなく公衆を煽動したという申立て理由を使う。一言御注意申し上げたいの は、われわれを攻撃するものの中には、われわれが設立した機関も含まれるということである。だが、彼らは、われわれが予め改正しようと決めた部分のみを攻 撃するのである。

 一片の記事といえどもわれわれの
検閲抜きには公表されることはない。現在ですら既にこのことは達成されていて、すべてのニュースは少数の通信社 に世界中から集められそこから配付されるようになっている。通信社は追って完全にわれわれの傘下に入り、われわれが許可したものだけが一般に供給されるよ うになるだろう。

 今日すでにわれわれはゴイ社会の人心をうまく掌握しており、彼ら全員は世界の出来事を、われわれが鼻にかけてやった
色眼鏡で眺めているに等しい としたら、また、われわれには、ゴイの阿呆どもが〝国家の機密〟と呼んでいることに立ち入るのに障碍のある国家なぞ一つも存在しないとしたら、全世界王と いう最高の統治者として認められた暁には、われわれの立場はいかがになるのだろうか……

 話を新聞の将来に戻そう。誰であれ、出版人、司書、印刷人たらんとする者は、その資格免許証を取得することを義務づける。その免許証は何か過失 があれば即刻取り消しとなる。こうしておくと、思想を伝えることが、われらの政府の手中にある教育手段となるのである。この教育手段を講じておけば、国民 大衆にもはや脇道や、進歩の有難みなどといった戯けた夢の小道に迷い込ませはしない。われわれの中には、ありもしないその手の有難みは、人民と政府との間 に無政府状態を生じさせる妄想に直通する道であることを知らない者がいるだろうか。如何となれば、進歩、いや、進歩思想は、あらゆる種類の解放運動を激励 してきたが、限度ということを弁えなかったのである……
いわゆる自由主義者は、実際はともかくとしても思想に関しては例外なく無政府主義者である。自由主 義者のどの一人も自由のお化けを追い求め、まっしぐらに放縦に、すなわち、反対のための反対という無政府主義に陥っている。

 定期刊行物の問題に移ろう。印刷物という印刷物に、一頁につきいくらという印紙税と保証金を課し、三十枚[六〇頁]以下の書籍はその額を二倍に する。はやりのパンフレットはその部類に入れる。一方で、雑誌の数は減らす。雑誌というのは有害印刷物の中では最低である。他方、著作人たちにあまりにも 長大で値段もはるのでほとんど誰も読まないような本を書かざるをえないように仕向ける。同時に、
われわれの利益に適うように世論を導くわれわれ自身の刊行 物は廉価で、むさぼるように読まれる。課税で無味乾燥な作家の野心はしぼみ、処罰が恐くて文筆家はわれわれの軍門に降る。かりにわれわれに文筆で抵抗する 者が現われたとしても、著作物の印刷を引き受けてくれる人間がいない。出版社が印刷してくれる前に、出版業者や印刷業者が官憲の許可を得なければならな い。これによって、われわれはわれわれに対して向けられた奸計をすべて事前に知ることができるので、それが世に現われないうちに抹殺することができる。

 文学とジャーナリズムは、最も重要な教育手段のうちの双璧であり、それゆえに、わが政府は大多数の雑誌の所有主となる。このことは、独立系新聞 の有害な影響を緩和し、公衆の精神に甚大な影響をもたらすだろう……
仮に十の新聞に発行許可を与えたとすると、われわれは三十に及ぶ新聞社を設立する。し かしながら、公衆はそんな事情はゆめ知らず考えてみようともしない。われわれが発行する新聞はすべて、見た目には反対の傾向や意見をもち、それゆえにわれ われに対する信頼を集め、われわれにとっては全き疑うことなき反対者を呼び寄せる。このようにして、われらの敵対者は罠にはまり、牙を抜かれるのである。

 
最前列に位置するのは、政府機関紙の性格をもった新聞であろう。この種の新聞は、常にわれわれの利益を擁護するが、それゆえに比較的影響は弱い。

 
第二列に位置するのは、半官半民の刊行物で、なまぬるい無関心層を惹き寄せるのが役割である。

 
第三列に位置するのは、見た目には全くわれわれの反対者として設立されたもので、少なくともその紙上では、まさにわれわれとは逆の立場に立つよ うに見える論説を掲載するであろう。そこでわれわれの本当の敵対者は、この疑似反対論を真説と思い込み、自分の手の内のカードを見せてしまう。

 われわれの新聞全体では・・もちろん、憲法が存続する間での話だが・・およそ考えられるどんな傾向も・・貴族的、共和国的、革命的、さらには無 政府主義擁護的なものまでも・・持っているだろう……インドのヴィシュヌ神の像のように、これらの新聞は百本の手を持っていて、その一本一本の手が世論の どれか一つに指を触れる。

 脈拍が早くなると、これらの手はわれわれの目的に向って世論を導く。熱に浮かされた患者は理性の判断力を失い、暗示にかかり易くなるのである。 自分たちの陣營の新聞の意見を述べていると思い込んでいる阿呆どもは、誰ぞ知らん、われわれの意見やわれわれが望んでいる見解をオウム返しに唱えているだ けなのである。自分の党派の意見に従っていると虚しくも信じつつ、実際にはわれわれが
彼らに広げている旗に従っているだけのことなのである。

 以上の意味で、われらが新聞軍団の指導にあたっては、格別細心の注意を払ってこの問題を組織しなければならない。中央新聞局という名称のもと に、われわれは文筆家の会合を設け、そこにわれわれの
覆面の代理人を送り込み、指令と当日の標語を示す。問題の核心を避けて常に表面だけにとどめた議論討 論をして、ただ単に、当初の公式表明を補足する材料を提供する目的で、われわれの機関は、われわれの公式の新聞に対して見せかけの一斉射撃を浴びせる。

 われわれに対するこの集中砲火は、ほかの目的、すなわち、
言論の自由はまだちゃんと存在していると納得させ、われらが代理人に、反対者たちはわ れわれの指示に対して、実のある反対意見をこれっぱかりも示さなかったからには、われわれに反対する機関はみな空騒ぎしているだけではないかと断言する材 料を提供する。

 公衆の目には感知されないが絶対確実なこのような組織方法は、公衆の関心と信頼をわが政府に惹きつけておくのに最高の方法である。この方法のお かげで、われわれは公衆がどう受け取るかによって、必要に応じて時折、政治問題に対する感情を刺激したり鎮静したり、説得したり混乱させたり、今日は真 実、明日は虚偽、事実に即して立論したと思えばその反論を掲げたりするが、常にわれわれが足を踏み出す前に地面の様子を細心の注意をもって調べるのであ る……われわれの敵対者は、前記の方法で新聞を操作することができず、十分かつ決定的な意見を開陳する新聞という最終的な手だてを欠いている以上、われわ れの勝利は確実この上もない。よほどのことでもなければ、反論の必要もないくらいである。

 われわれが新聞の第三列に放つ試射は、必要があれば
半官半民の紙上を通じて精力的に駁論する。

 フランス新聞界のみではあるが、今日でもすでにメーソンの連帯行動を物語る形態があり標語ももっている。
すべての新聞機関は、結束して職業上の 秘密を守っている。古代の卜占官さながらに、その成員は、過去に解決ずみの問題でない限り、情報源を漏らしたりはしない。ジャーナリストならただの一人も この秘密を暴露するような愚挙を犯しはしない。というのは、どの一人をとってみても、かねて過去に不行跡な事などをしない限りは、文筆仲間に入れて貰えな いからである……秘密を漏らしたりしようものなら、直ちに過去の不行跡が暴露されるというものである。秘密が少数の間でだけ知られている限りは、ジャーナ リストの権威は大多数の人々に行きわたり・・群集は熱狂的に彼に従う。

 われわれの計画は特に地方に及ぶ。いかなる瞬間にも首府に希望と欲求を浴びせられるよう地方の炎を燃え上らせることが必要不可欠である。われわ れは首府に向って、これが地方独自の希望であり欲求であると焚き付ける。当然のことであるが、
地方世論の情報源というのは、同一無二のもの・・われわれが 指示しているものなのである。

 必要なことは、われわれが十二分に支配力を得るまでは、われわれの代理人団が組織した多数者、すなわち
地方の意見で首府を窒息させておくべきで ある。必要なことは、決定的瞬間には首府は既成事実をとやかく言える立場にはないということである。それは単純な理由であって、各地方の大多数の世論が受 け入れている事実だからである。

 われわれが
完全な主権を手中にするまでの過渡期の新体制の時期まで進んだら、もはやどの種類の新聞にも社会腐敗を暴露する記事は載せさせない。 新体制下では万人が完全に満足しているから犯罪を犯す者はいないと信じさせることが必要である……犯行の真相解明は、被害者とたまたま目撃した者だけに留 めておくべきであって、それ以外には必要ない。【転載終了】