『シオンの議定書』第一議定書要約
【要約開始】きわめて、簡単に要約する。要するに人間の統治は力以外ではあり得ないと断定する。であるから、シオニストユダヤ人がリベラリズム
を創作して、「自由・平等・友愛」思想を啓蒙した。それまでの統治機構を破壊し、今日の民主政体が生まれた。しかし、彼ら(シオニストユダヤ人)は
裏に隠れて、金力で支配しているから、民主主義などは豚小屋と同じで、政府は豚小屋の番人にすぎない。番人は、彼ら(シオニストユダヤ人)が、金力=権力
をもって自由に取り替えることが出来る。
「自由・平等・友愛」など、何の根拠もないバラバラな思想であって、実質的な権力は薄弱であるので混乱を収めることは出来ない。のみならず、
彼ら(シオニストユダヤ人)はエージェントを使い、群衆にアルコール(麻薬etc.)・情欲・金銭欲に駆り立てて、独創性を削ぐから、政治的指導者も生ま
れない。さらに、暴力とテロを煽り、あげくは戦争を誘発させ恐怖を醸成することによって、最終的には彼ら(シオニストユダヤ人)に泣きついて、統治権を明
け渡すようにし向ける。【要約終了】
まさしく、現代の世相そのままではないか。歓楽、ドラッグ、SEX産業、テロ、そして戦争(テロとの戦い)その先にあるグローバリズム、世界統一政府、One World Order。
なんと驕り高ぶった考え方であろうか。彼ら(シオニストユダヤ人)こそ、選民であると云っている。
そして第二議定書は語る。もはや、要約は必要ない。具体的にその手法を明らかにしている。驚くほどこれまでの近代史を言い得て妙である。
【転載開始】『シオンの議定書』第二議定書
われわれの目的には戦争は欠くべからざるものである。が、できる限り、戦争が領土的な利益をもたらさないように仕向けるべきである。そうすれ
ば、戦争は経済に基盤を置くようになり、各国はわれわれの支配の強力さを思い知らされるであろう。また、当事国は双方ともわれわれが国境を越えて放った代
理人団の思うがままに操られるだろう。私個人にはどんな制約があろうとも、かれらが百万の眼を持っていて監視するから、身動きがとれないなどというがな
い。世界にまたがるわれわれの権利は、各国の権利を一掃するだろうが、国家の市民法が国民の関係を律するのと全く同じように、普通の権利という意味で、わ
れわれの権利が正確に各国を律するであろう。
われわれが公衆の中から選んだ行政官たちは、奴隷のように従順な資質であるかどうかを厳しく監視され、支配技術に長けた人物にはさせないだろ
う。それゆえに、彼らが、全世界の諸問題を律すべく幼年期より養育された助言者・専門家である学識者と天才の手の内にある将棋の駒となるのは容易である。
諸氏もご存知のように、これらわれらの専門家たちは、歴史の教訓や一瞬一瞬の現実の出来事の観察から、われらの政治計画に必要とする知識を体得しているの
である。ゴイムは偏見なく歴史的観察を実際に適用することなく、一連の結果に厳しい批判を加えることなく、空理空論に走る。ゆえに、われわれは彼らに一顧
も与える必要もない・・時が一撃をくらわせるまで楽しませてやろうではないか。過去の栄光に新しい形を与える希望に生きさせてやろうではないか。古き良き
思い出にひたらせてやろうではないか。彼らには、われわれが〝科学が説くところでは〟(学説)と吹きこんだことを後生大事にいつまでも守らせておこうでは
ないか。われわれが一貫して、新聞を通じて、声を大にしてそれらの学説を盲信させているのは、そのことが目的である。ゴイムの知識人たちは、彼らの知識に
いい気になり、論理的検証を行なうことなく科学から得た知識すべてを信じこむだろう。その知識たるや、われらの代理人団たる専門家が、ゴイムの心魂を手な
づけてわれわれが望む方向に赴かせんがために、巧みに断片を寄せ集めたものなのである。
ここに述べたことは根も葉もないことであるとは、瞬時たりとも考えないでいただきたい。われわれが仕掛けた
ダーウィン主義、マルクス主義
、ニー
チェ主義が、いかに功を奏しているかに注目していただきたい。われらユダヤ人にとっては、少なくとも、これらの指導者たちがゴイムの心魂に及ぼしたことを
直視すれば、事は明白であるはずである。
政治上の、また、行政上の諸問題の方向において些細な誤りを避けるためには、各国民の思想、性格、傾向を顧慮することが絶対に必要である。われ
われの方式は、われわれが遭遇する人民の気質に応じてさまざまに仕組みの組み合せが案配されるけれども、もしも現在の光に照らして過去の教訓を集約するこ
とを怠れば、この方式の勝利はおぼつかないだろう。
今日の国家は、人民の世論を創り出す強力な力をその手に持っている。すなわち、新聞である。新聞が果たす役割は、必要欠くべからざると考えられ
ることを指摘し、人民の愚痴にはけ口を与え、不平不満を表明し作り出すことにある。言論の自由の勝利が具体的になるのは新聞においてである。だが、ゴイム
の国家は、いかにこの力を効果的に使うかについては知っていたためしがなく、新聞はわれらが手中に落ちた。新聞を通じて、われわれはその背後にあって、影
響力を行使した。ヴァイスマン博士
が、われわれが血と汗の大洋を越えて集結してきたにもかかわらず、金力がわれらの手中にあることを知悉していることは他
言を要しない。われわれは、あまたの同胞を犠牲にしてきたけれども、十分に報いられている。わが方の犠牲の一人一人は、神の見られるところでは、ゴイム一
千人に相当するのである。【転載終了】