8月4日、次に見学したのは水沢県庁記念館でした。
町屋ミュージアム菅助資料館前を通って水沢県庁記念館に向かいました。
とよまだんごをいただけるお店の側を通って行きました。
水沢県庁記念館まで歩いてきました。
明治初期、現在の岩手県南部と宮城県北部は水沢県となり、こちらの建物は1872年(明治5年)当時の県庁舎で、後に小学校校舎・裁判所として使用され、現在は県庁時代の事務室や裁判所法廷が再現されていました。市の指定有形文化財になっています。
案内と説明をしていただいていた方が教科書にも載っていると紹介して下さいました。
次に見学したのは教育資料館でした。
1888年(明治21年)に建てられ明治の洋風学校を代表する建築物で国の重要文化財に指定されています。警察資料館の建物と同じく宮城県技手山添喜三郎氏により設計され建てられたそうです。現在の小学校のお隣にありました。
2011年に起こった東北の大震災のときも倒れずにそのままの姿を保ち続けその建て方の工夫があちらこちらに施されていた証だったことが説明を聴いてよくわかりました。このような趣がある学校はなかなかないですね。今も当時の学校の姿を見ることができるのは故郷を離れた方々にとっても素敵なことだなあと思いました。
コの字型に建てられているこちらの学校は日本で初めてヨーロッパで学び洋風建築を細部までこだわって丁寧に設計された山添喜三郎氏が後世に遺された足跡が随所に今も立派に生き続けていることが丁寧な説明をして下さったのでよく理解できました。
入口は左側で靴を脱いで見学しました。
東西の昇降口(六方)は六角形を半割した造りで小屋組みはトラスト構造で建てられており複雑な造りが特徴的でした。
傘立てが折り畳めるような工夫が施されているのを紹介して下さいました。
以前の教室を再現していた2階の教室内で木で作られた机と椅子に座って説明に耳を傾けました。小学校の低学年のときはこのような木の机と椅子だったので懐かしかったですね。教室の両側のガラス窓には板ガラスが使用されていたことなど、学校に纏わるいろいろなお話を椅子に座ってしばらくお伺いしました。
登米市はとめしと今は読まれていますが、江戸時代までは登米は「とよま」という読み方で、明治時代によそから登米に来た役人が「とよま」と読むことができずに「とめ」と読んでしまったことから「とめ」という地名が始まったことを説明して下さいました。
伝統を感じる校歌ですね。黒板に「ふるさと」の歌詞が貼られていたので最後に皆さん全員(2班に分かれて説明を聴いたので私が参加していたツアーに参加していたうちの半分ほどの皆さん全員)で「ふるさと」の歌を合唱しました。
入口に置かれていたサザエさんのうちわで仰ぎながら悦明を聴きました。以前サザエさんのオープニングで登米市が紹介されていた頃があったそうですね。
タラちゃんが使った机もありました。
欄干がある開放された片廊下になっていたのが特徴的でした。
裁縫室
木造二階建て、素木造、屋根は寄棟造り棧瓦葺きです。
真ん中に位置する校長室の前にあったバルコニーが特徴的でした。校長室からあらゆる教室が見渡せるように作られていたバルコニーでした。
校長室
教育資料館は登米市のみやぎの明治村の代表的な素晴らしい建物でした。
教育資料館の動画のリンクを貼り付けてみました。
みやぎの明治村のHPのリンクも貼り付けてみました。