つれづれ 2

庭の花や身近な出来事などを退屈しのぎにあれこれ綴っています。

小江戸色の残る商都・蔵の街とちぎ

2018-05-25 12:10:10 | にっぽんの街並みと老舗の味



にっぽんの街並みと老舗の味のツアー第二回は栃木市です

栃木県栃木市、県名を名乗る栃木市は何故か縁遠い所でしたので
是非一度訪ねてみたい所でした。
栃木市と云えば蔵の街、最大の見所でもある巴波川(うずまがわ)からの
眺めは黒塀と白壁土蔵が栃木市を代表する落ち着いた景観でした。(5月24日)

バスを降りて駐車場から歩き始めた。
大通りの面した蔵の街です。



今日のボランティヤの先生です。
愚問にもニコニコと答えて下さる優しい方でした。



今日の最初は船乗り場からの乗船です。



船の上からの景観は一味違った風情です。
白壁の塚田歴史記念館などが立ち並ぶ眺めは雄大でした。



船頭さんの漕ぐ船に身をまかせて楽しんでいる先に見えてきたのは
水門です。河幅が広くて気持ちのいい時間を過ごしました。



船から降り地上から眺める川沿いの蔵の景観は実に素晴らしかった。



何と言っても江戸後期の土蔵白壁の塚田家の住宅の存在です。
一目で当時としては たいそう立派な住宅だったという事が
すぐ解ります。この塚田家は船賃で財をなした
木材回漕問屋だったそうです。



幸来橋の上からの巴波川です。
栃木市の歴史の中心とも云える河で江戸時代には多くの材木を運ぶために
利用され江戸との交易の中心となった河です。当時の巴波川は
利根川を通り江戸の木場まで材木を運ぶための重要な交通ルートで
多くの物品が取引されました。現在は国の一級河川として整備されています。
江戸時代には巴波川沿いに多くの蔵が建てられ栃木は商人の街として栄えました。



河の対岸には横山郷土館が見えます。
横山家は店舗の右半分で麻問屋、左半分で銀行を営んでいた明治の豪商でした。
両袖切妻造りと呼ばれる貴重な建物には当時を忍ばせる帳簿などが再現されています。



「栃木蔵の街美術館」です。
およそ200年前に建てられた土蔵3棟を改修し美術館として現在に蘇らせ
栃木市ゆかりの作家の作品を中心に収蔵しています。



割烹〝仲乃屋”(1913創業)の老舗で地元食材を使った割烹料理で昼食。



午後は中乃屋の近くにある神明宮へおまいりをしました。


拝殿です。


本殿、御祭神 天照皇大神
神明宮は室町時代の中頃、伊勢の神宮より
御分霊を頂き創建された神社で「栃木のお伊勢さま」と称されています。
御祭神の天照皇大神は明るく強く生きる力を与えて下さる
霊験あらたかなる神様です。





次に訪ねた近龍寺の山門です。
室町時代の応永28年(1421)良懐上人の創建した浄土宗の寺院。
明治の初期、栃木県で最初の小学校及び師範学校が当山内に開設されました。



ここの寺には山本有三の墓があります。



墓誌には理由は解りませんが、戒名が刻まれていませんでした。



近くには「山本有三ふるさと記念館」があります。
高等学校卒業後、一時浅草の呉服商に奉公に出されましたが嫌で故郷に戻り
実家の家業である呉服店を手伝わされていました。
その後、どうしても勉強がしたくて、東京の学校に通うために上京し、
東京帝国大学に進学しました。後に日本を代表する小説家、劇作家になりました。
代表作に「路傍の石」「女の一生」等があります。



ここより日光例幣使街道に入ります。
現在の群馬県高崎市の倉賀野宿で中山道から分岐し、
佐野市の天明宿や栃木宿 等13の宿を経て鹿沼市の楡木宿で
「日光道中壬生通り」に合流する街道で元和3年(1617)に
徳川家康の棺が静岡の久能山から日光山へ改葬された際に
設けられたとされています。



これからの道は日光例幣使街道を代表する道です。



赤いポスト辺りから右に入ると代官屋敷が拝見できます。
江戸時代の陣笠や陣羽織、明治時代の床屋跡など見所が沢山ありました。



岡田嘉右衛門家
26代を数える栃木県屈指の旧家です。
ケヤキ一枚板の廊下、床柱は黒柿、天井板は屋久杉などと
見事な木造建築でした。




江戸時代には江戸との交易の中心ともなった巴波川、
蔵の街の中心部を流れるこの巴波川は栃木市の発展に大きな
役割を果たしてきた河でした。
船頭さんの案内や歌を聞きながらゆったりと
江戸情緒あふれる街並みを楽しみました。

今回も市制十五周年記念に発行されたと云う古地図を
頂きました、B2版(515×728)の大きさの立派な地図でした。

次回6月は千葉県です。
どんな歴史、文化、自然に出会えるか楽しみです。

 










最新の画像もっと見る