「信仰によって生かされる」 ローマの信徒への手紙 1章16~17節
福音を聞いた人たちの中には、十字架で死んだイエスさんが神であるなんて、とても恥ずかしくて聞けた話しではないと思った人がいたようです。それに対して、パウロは「私は福音を恥としない。」と言いました。そして、「福音は、ユダヤ人を始め、ギリシア人にも、信じる者全てに救いをもたらす神の力だからです。」と言いました。また、「福音は、神の義が掲示されています」と言いました。すなわち、十字架で死んだイエスさんによって、全ての人に救いをもたらそうとする神さまのお考え、「神の義」が示されたのだと教えました。更に、「それは、始めから終わりまで信仰を通して実現されるからです。『正しい者は信仰によって生きる』と書いてある通りです。」と言いました。
信仰というと、人間の信じる気持ちのことであるように思ったりします。けれども、信仰とは人間の片思いのようなものではなく、神さまと人間との両思いのようなものです。それは、相互の信頼関係と言い換えることができます。パウロは、十字架で死んだイエスさんが救いをもたらした姿に、神さまの愛を見ました。私たちは、「信仰によって生きる」と言うと、自分の信心や努力に頼ることだと思ったりします。それは、神さまを必要としない考えです。そうではなくて、信仰とは始めから終わりまで神さまとの相互の信頼関係にあること、その信仰によって生かされていることを忘れないようにしたいと思います。