「神の恵みが共にあった」 コリントの信徒への手紙一 15章1~11節
マルコによる福音書には、イエスさんの復活を弟子たちの怖れる姿を通して伝えています。死んだ人の復活という、人間にとって理解できない出来事に対する怖れだったのかも知れません。弟子たちにとっては、裏切り、見殺し、無理解といった、イエスさんに対する仕打ちの行き着く先に十字架の死があり、その罪悪感からイエスさんの復活の姿を正視できず、恐れるしかなかったのだろうと思います。
回心する前のパウロは、イエスさんを信じた人たちを迫害し、死に至らしめて来ました。パウロが幻で復活のイエスさんと出会ったとき、たいそう怖れたに違いありません。その怖れとは、迫害と殺人が間違いであったと自覚する罪の意識に他なりません。復活のイエスさんは、パウロを断罪するどころか、罪を赦し、使徒として歩み始める道を示しました。そうしてパウロは、イエスさんの復活を罪の赦しの福音であったと確信するに至りました。
パウロは、コリントの教会にあって自分の信仰を自慢している人たちに向かって、正しいと思っていることであっても間違いがあることを認め、悔い改めるようにと教えています。パウロは、手紙を通して断罪するのではなく、復活が罪の赦しであったという神の恵みの福音を思い起こさせようとしています。