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融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

「語る言葉と聴く言葉」

2017年01月20日 | 聖書のお話

「語る言葉と聴く言葉」 コリントの信徒への手紙一 14章26~40節

 パウロは、コリントの教会の人たちに宛てた手紙に、「自分は預言する者であるとか、霊の人である思っている者がいれば、私がここに書いてきたことは主の命令であると認めなさい。それを認めない者は、その人もまた認められないでしょう。」と厳しい口調で書き記しました。

 コリントの教会の中には、異言や預言、そして啓示を語る人が多くいたようです。それらの人たちは、自分の信仰に自信を持ち、いつの間にか自分たちの言葉を誇るようになっていたのかも知れません。パウロが「認めなさい。」と厳しく書き記したのは、異言や預言、そして啓示が神さまから出た言葉であり、自分から出た言葉であるように誇ってはならないと戒めるためでした。

 一方で、パウロは教会の婦人たちに向かって、「婦人たちは、教会では黙っていなさい。語ることは許されていません。何かあったら、家で自分の夫に聞きなさい。」と、これまた厳しい口調で書き記しました。これは、異言や預言、また啓示を語ることを誇る者たちに対して、父権制社会にある女性たちが、教会の場で語ることを自重し、家で自分の夫に聞いている姿を思い起こさせ、他人に誇るような言葉を語る以前に、神さまから聴くべき言葉があるのではないか、そう諭しているのではないでしょうか。

 


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星野正興先生

2017年01月20日 | 日記

 日本基督教団の出版物に、「信徒の友」というのがありますが、その2月号に星野正興先生が伊豆を去るに当たっての記事が掲載されていました。タイトルは、「農園で!コメも人も収穫」です。

 星野先生は、農村伝道神学校の大先輩であり、農伝の教師でもありました。いつも楽しそうに笑い、シンプルではありますが心に響く言葉を語る先生でした。私の知っている中では、星野先生くらいしか農村伝道に向き合っている牧師はいません。先生を目標にしていますが、とても超えられるような存在ではありません。

 記事には、先生が伊豆で二つの教会と農園に取り組んでおられたことについて書かれていました。冒頭には、ご丁寧に後任牧師への配慮の言葉を忘れずに・・・。それで、小見出しが二つあるのですが、ひとつは「農園が教会のイメージを変えた」です。農村地帯にあって、教会が「よくわからない怖い場所」と思われがちなところを、農園を地域の方々が手伝ってくださるという出会いの中で、自然と教会との結びつきができたという内容です。

 私なりに言い換えれば、地域の方々との共同作業が伝道へとつながったということではないかと思います。

 ふたつめの小見出しは、「拡大路線の誘惑を断って」です。そこには、過疎化と高齢化の地方の農村地帯にあって、農業の担い手が減少し、共同作業の担い手も減少し、現状を維持することで精一杯な様子が伝えられています。それでも、要(かなめ)は、地域との共同作業であると教えられているように思います。

 先生の記事には、たくさんのメッセージが込められていると思いますが、私が教えられたのは、「共同作業」ということでした。考えて見れば、農村や漁村、また小さな町は、そこに住んでいる人たちの共同作業によって成り立っています。教会や牧師が共同作業の一員でないとしたら、いくら神学を学んでいたとしても、何かを伝えることさえ難しいでしょう。農村伝道は、それだけ壮大です。

 最後まで教えられました。兎に角、御苦労様でした。

 

 


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