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融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

「心の目が開かれた」

2016年04月20日 | 聖書のお話

「心の目が開かれた」 ルカによる福音書 24章36~49節

 弟子たちは、イエスさまが十字架で死んだと思い、平常心を失い、怖れに取り憑かれて狼狽し、弱い姿をさらけ出していました。そこに復活されたイエスさまが現れ、弟子たちの真ん中に立ち、「平和があるように」と言われました。弟子たちは、怖れおののき、亡霊を見ているのだと思いました。イエスさまが十字架で傷ついた手と足を示されても、それでもなお弟子たちは、喜びつつも信じられない、半信半疑の様子でした。そこで、イエスさまは、「何か食べ物はないか」と言われ、焼いた魚が差し出されると、それを食べて見せました。

 弱さの極みにある弟子たちにとって、立派な教えを聞かされるよりも、ただ自分たちに寄り添い、慰めの言葉をかけられることが何より必要でした。イエスさまが弟子たちの真ん中に立たれたのは、確かに弟子たちと共におられるということを示し、「平和があるように」という言葉も、何も難しいことを言おうとしたのではなくて、単純な挨拶を交わしただけなのかもしれません。弱さの極みにあった弟子たちには、それが一番必要であり、それで十分でした。

 イエスさまが焼いた魚を食べられたことによって、弟子たちはイエスさまが生きておられることを受け止めることができました。食べるとは、いのちをいただく「生の日常」のことです。魚を捕る漁師の苦労、魚を調理する人の愛情、それをいただく感謝の思い、そのことを通して、私たちは生きていることを実感できるのではないでしょうか。心の目が開かれるというのは、イエスさまが私たちと共にいてくださることを理解するということですが、それは私たちが「生の日常」にあることが大切なのではないかと思います。

 


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熊本大地震の一日も早い沈静化を祈ります

2016年04月20日 | 日記

 熊本大地震は、震源の深さが10キロメートルほどの浅い内陸部直下型地震で、4月14日(木)午後9時26分にマグニチュード6.5、震度7の前震が発生し、16日(土)午前1時25分にマグニチュード7.3、震度6強の本震が発生しました。その後、前震、本震、余震を含めて震度5以上の大きな地震が計19回、震度1以上の地震が680回も発生し、熊本県や大分県を震源が移動するといった、度肝を抜かされるような災害です。

 被害も甚大で、家屋倒壊や土石流、地滑り、斜面崩壊、路面・田畑の亀裂、停電、断水が続いています。これほど被害が甚大なのに、政府の対応は遅いと思います。激甚災害にも指定もされていません。(4月20日午前10時現在)

 被災者の51歳の女性が、エコノミー症候群で亡くなったというニュースがありました。私より若いのに、それだけ被災の状況が過酷だったということではないでしょうか。およそ一時間に1回も地震が続き、ときに震度5とか、考えただけでも恐ろしい状況が今も続いています。避難している方々も20万人以上おられ、まだまだ地震が沈静化していませんので、正確な数字も分かっていません。無事を祈るばかりです。

 この現実を目の当たりにして、原子力発電所の事故が起こったとき、実際に避難することが難しいということが明かだと思います。仮に避難のシミュレーションがあったとしても、この状況では役に立ちません。原子力発電所が壊れるくらいの大災害が起こったら、道路も通れなくなり、被災者が逃げられなくなってしまいます。原発事故がなければ、そのまま留まって救助を待つことができるのですが、放射能が漏れ出すと、間違いなく周辺住民は逃げ場を失い、放射能を浴びてしまうことになります。熊本での大地震も想定できなかったのに、川内で地震が起こらないと断言はできません。それでもなお、「安全上問題ない」と言って、川内原発を一時停止しようとしない、この人の目が怖いです。まるで、何か(金の亡者とか貧乏神)に取り憑かれているかのようです。また、事故が起こっても、責任を取るような顔にも見えません。(画像をクリックすると、ニュース動画へ移動します。)

 

 

 地震列島日本で、狭い国土の日本で、どんなにごもっともな理由をつけようとも、原発が危険であることには変わりありません。そう考えるのが、知性というものではないかと思います。

 

 


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