「人を愛して命をかけた」 ヨハネによる福音書 10章1~21節
イエスさまは、生まれつき目の見えない人を癒やし、その人の目が見えるようにされました。当時の社会では、目が見えないのは、罪を犯した結果であると考えられていました。イエスさまは、目の見えない人を癒やし、もはや人から「罪人」と呼ばれなくてすむようにされました。しかし、ファリサイ派の人たちは、目の見えない人が癒やされたにも関わらず、彼のことを「罪人」と呼び続けることにしました。人を罪人にする、しないの判断を、自分たちの側に置いたということが伝えられているのではないかと思います。
イエスさまは、そんなファリサイ派の人たちに、人を救い導くのにも、ちゃんとした道筋があることを「羊の囲い」のたとえによって教えられました。しかし、彼らはそれを理解することができませんでした。さらに、イエスさまは、良い羊飼いとは、羊のために命を捨てる覚悟があるものだと教えられました。イエスさまは、人々を神さまのもとへと導く良い羊飼いです。人々の罪を赦し、清くし、神さまのもとへと最後まで導き通すために、十字架から逃げることなく、命をも惜しまないお方でありました。ファリサイ派の人たちは、人々を神さまのもとへと導くのではなく、人を罪人にする、しないの判断を、自分たちの側に置く人たちでした。それが、イエスさまのお考え、イエスさまの深い愛を理解することができなかった原因ではなかったかと思います。