
今日は自由時間です。首里城に行くことも考えましたが、まだ改修が終わっていないので、次回にすることにしました。昨日に続き、戦争遺跡を巡ります。
タクシーに乗って、旧海軍司令部豪跡に行きます。司令部ということもあり、比較的見晴らしのよう丘の上にありました。沖縄戦の歴史を展示やビデオで見て、学習できます。日本海軍の組織的な戦闘の終焉の地とされています。日本が戦争に負けた原因がなんとなく分かるような気がしました。そもそも、到底勝てない相手に宣戦布告したことが間違っていたのでしょう。ただ、最近の大国の国際社会での振る舞いを見ていると、辛抱しきれなくなるのも分からなくもありません。現代と状況は違ったでしょうが、大国、つまり戦勝国の心根というか、根本は変わっていないような気がします。だからといって、無謀に戦争に突っ込むのは正しいとは思いません。今も昔も世界は無法者がやりたい放題なんだと思います。もう一つは、情報戦の失敗です。敵に情報を握られると、どんなに良い作戦であっても勝てません。日本海軍は、情報戦に負けて、失敗を繰り返したと思います。沖縄戦の前も、主力部隊を台湾に移動させたとありますが、決戦の場を沖縄と見ていたら、戦力を集中したでしょう。沖縄戦は日本にとって不幸な結果でしたが、そこから私たちは学ばなければなりません。つまり、相手の手の内を知ることが重要ということです。
地下20mの深さに、長さ400mの地下壕に司令部がありました。豪の中を見学していて、昔、母と来たことを思い出しました。50年ほど前、最後の親孝行のつもりで、母といっしょに沖縄を旅行しました。タクシーをチャターし、首里城やひめゆりの塔、それにこの地下壕を見学したのを覚えています。空襲の経験者である母の心の内は分かりませんが、見ておかないといけないという気持ちだったのだと思います。
バスに乗って県庁前まで戻り、歩いて15分ほどの対馬丸記念館に行きました。ここは、戦争遺跡というよりも、対馬丸の悲劇を伝えるために、犠牲者の遺品などが展示されている資料館です。展示の中で、気になったのは、事件についての箝口令です。正しい情報が市民に伝わらないだけでなく、臭いものには蓋をする、本質に迫らず、正しい判断ができないのが日本全体を支配していたように感じました。それは、今の時代にも残っているのではないかと心配です。
対馬記念館の裏にある小山の展望台まで散策し、その後、小桜の塔に行きました。これは、対馬丸の犠牲になった子供たちの慰霊塔で、白い階段を上っていったところにあるので、明るい雰囲気が安らぎを与えているように感じました。
ホテルまで歩いて帰ると、かなり歩いたのか思ったより疲れていました。今日も、外に食事に出かける元気はありません。やっぱり、ウェルカムドリンクデでビールをたらふく飲み、あとは部屋でホットモットの弁当を食べることにしました。
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