今回のオリンピックはコロナ禍という不運に見舞われていますが、それとは別に、多くの不祥事が続けざまに表面化しました。女性蔑視、いじめ、障がい者差別、ユダヤ人迫害揶揄など、どれも人の心の深層にある意識が原因しています。誰にでも好き嫌いはありますが、差別やいじめにまでエスカレートしません。オリンピックの目指すものに相応しくないということはあるでしょうが、今風に言うクリエーターは心にある感情を具現化する人であり、その創作過程で感情をコントロールすることはできない、いやしては良いものが出来ないでしょう。どんなに過去であろうが、どんなに反省しようが、一度、差別的な感情を表出した人は、その創作プロセスにそのような意識を排除することはできないと思います。
「政をも忘れ、民の愁へ、国のそこなはるゝをも知らず」、政治家にも、本音を失言して本性を明かす人が多くいます。世論の多数がオリンピックを中止または延期すべきとの意見なのに、「安全・安心なオリンピックの実現」、「挑戦するのが政府の役割だ」などの身勝手な発言は、将にこの憂うところだと思います。
「美麗を求むる事なかれ」、莫大な費用を掛けた華やかなオリンピックだけが日本が誇れるものではありません。数千年の歴史の中で培われた文化、風土は外に類がないと自慢できます。「おろそかなるをもってよしとす」、簡素にそして慎ましい方法で、世界に発信できないものでしょうか。
世の中の流行りや最先端のものに目を奪われ追い求めるのは悪いことではありませんが、それだけが正しい、それしか未来はないかのような主張はいかがなものでしょう。昔ながらの物を大切にし、それを維持し守ることにもっと目を向け、そこにこそ最先端の技術や知識、そしてお金と人を使ってほしいものです。芸術・文化を自助努力とか言って軽視する政治には共感できません。
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