会社を定年退職して、ふり返ると、自分にとって大きな出来事が3回ありました。
一回目は、密命を受け、外資の企業と業務提携をする仕事でした。担当したのは、互いの物流センターを統合して相互に利用するというものです。当時、夫々が東京・大阪・札幌・福岡の4か所にセンターあり、互いに2か所を廃止し、2か所を増強するというものです。外資企業は、日本で不動産を持つことは資産ではなくリスクだと考えていました。ところが、日本企業の我が社は資産が減ることは企業価値の低下で同意できませんでした。その以外にも価値観の違いがあり、トップの一言で話しは消滅してしまいました。後始末を任され、憤慨している相手方に気を使い、大変な思いをしました。今日では、物流センターはサードパーティー・ロジスティクス(3PL)が常識になってますが、時代の先取りは早すぎたのかもしれません。
二回目は、工場の閉鎖です。創業以来の工場を閉鎖して生産拠点を集約するというものです。生産拠点を分散したままにしておくと、設備投資負担が経営を圧迫するとの考えから推進しました。しかし、それに伴って、多くの社員に転勤か退職を強いることになり、推進していた者には冷たい目が注がれました。会社存続のために、リストラをするのも一つの経営戦略ですが、情け容赦ない冷徹だとの見方をされるのは今も変わらないかもしれません。
三回目は、何といっても合併です。対等合併と説明されてましたが、実質的には吸収合併でした。そのため、主だった管理職は、順々に出向か早期退職の選択を迫られました。幸い、合併したタイミングで冷や飯を食わされていたため、主だった中に入ってなかったのか、定年まで生き残れました。定年後も子会社の社長になれたのでまずまずかと思いながらも、合併が無ければと考えると悔しさはあります。ただ、最後は、旧社組の不満を反らすため、一人ぐらい残しておこうとの戦略にいい様に使われたようにも思います。
このように思い出していくと、他にもやり切れない出来事はありましたが、所詮は自分の会社じゃないので、退職して縁が切れたと割り切りましょう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます