今日の「お気に入り」。
「 『 人間は何のために生きるの? 』
麻衣子は、なだめるように熊吾の肘(ひじ)を柔らかくつかみ、そう訊いた。
熊吾は歩を停め、ほとんどの店が明かりを消して閉めてしまった商店街の向
こうで、丸い仄(ほの)かな光に包まれている駅舎を見つめた。
『 生まれてきたからじゃ 』
麻衣子は、微笑み、ヨネの家のほうへと熊吾の背を押しながら、
『 私は、死ぬのが怖いから生きてるんやと思うねん 』
と言った。
『 ほう、そんなら、死ぬのが怖くなくなったら、人間はみんな自殺するっちゅうの
か? なんぼ死ぬことが怖くのうても、目的があれば、人は生きようとするじゃろう 』
我が意を得たりといった表情で、麻衣子は、駄々っ子を導くように、熊吾の手を
引っ張って、もと来た道を戻り始めた。
『 松坂のおじさんの、生きる目的は何? 私には、生きる目的ができたよ 』
『 ほう、麻衣子に生きる目的ができたか。わしの目的は、伸仁をおとなにすることじゃ。
あいつが、自分の力で生きていけるようになるまで守ってやることじゃ。こういう考え
方は、五十歳で初めて父親になった男にしかわからんじゃろう。五十歳で子をもうける
男は何人もおる。しかし、それは、上の子が一人前になり、次の子も学校を卒業し、ま
さかと思うちょった三人目ができてしもうたっちゅう場合がほとんどじゃ。あとにも先
にも、たったひとりの子が、五十になってできた人には、わしの気持がわかるはずじゃ 』
( 中 略 )
『 麻衣子の、生きる目的は何じゃ? 』
と熊吾は、麻衣子に手を引っ張られて夜道を歩きながら訊いた。
『 身寄りのない、寂しい人間に、安住の家を作ってあげること。そのために、お金
を貯(た)めるねん 』
『 お金を貯めて、どうするんじゃ 』
『 そんな人たちばっかりが働ける場所を作るねん 』
『 たとえば? 』
『 旅館でもええし、水産加工の工場でもええねん。みんなが仲良う働けて、いろん
な悩みを相談しおうたり、はげましあったりできて、お互いが干渉せんと暮らせる
場所 』
人間は、育ち方も、性格も、体力も、それぞれ異なっているのだから、考え方や
意見が違うのは当然だ。
けれども、どうして人間は、自分とは異なるやり方や考え方を排除しようとする
のだろう。それは、優しさが欠落しているからだ。
根本的なところで優しければ、異質なものは異質として、包み込んであげること
ができるはずだ。
麻衣子は、そんな意味のことを話してから、
『 ヨネさんは、仕事から帰ったら、お酒を飲むのが楽しみで、話し相手がないとき
は、ラジオを聴きながら、ひとりごとを言うてる。おばあちゃんは、黒砂糖入りの
あめ玉をしゃぶるのが楽しみで、一日に一個のあめ玉を、口から出したり入れたり
してる。いっぺんにしゃぶってしまうのが勿体(もったい)ないから、口から出した
あめ玉を皿に載せて、大事に取っといて、またしゃぶるねん。それが、おばあちゃ
んのあめ玉の楽しみ方やねん。私が、そのあめ玉を二十個買うてきて、そんな口か
ら出したり入れたりなんて汚いことせんと、好きなだけ食べたらええて言うても、
おばあちゃんは、相変わらず、一日に一個のあめ玉を楽しんでる 』
熊吾は、麻衣子が何を言いたいのか、わかるような気がした。
おそらく、ヨネも、喜代の祖母も、不平や怒りや愚痴や嫉妬(しっと)などの感
情を、自分のなかで処理する方法を身につけているのか、もしくは、そのような
感情を抱きにくい性質を有しているのかのどちらかで、そんな穏やかさが、麻衣
子に感応したのであろう。
熊吾はそう思った。
ひょっとしたら、麻衣子の内部にも、元来、柔和で鷹揚(おうよう)で包容力に
富んだものがひそんでいて、それが、ヨネや、喜代の祖母との触れ合いによって
顕在化したのかもしれなかった。」
( 宮本 輝著 「血脈の火 ‐ 流転の海 第三部 ‐ 」新潮文庫 所収 )