Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

「民」と「人」

2008-07-06 14:35:54 | ひとから学ぶ
 先ごろの「長野県政タイムス」の連載もののコラム欄に〝「長野県・民と「信州・人」との間〟という記事をみた。書いておられる扇田孝之さんは、県外の出身で大町市に住んでいる。大町に住んですでに30年がたつというのに、長野県民ではあるものの、信州人だとは思ったことは一度もないという。「周辺の信州人も「特に信州人らしくなった」とは評しても、「信州人」とは認めてくれないだろう」という。そして「信州人と長野県民との間には越すに越されぬ「深くて暗い川」が横たわっているようだ」という。おそらく、住み始めた当初に思った「深くて暗い川」というイメージが、彼のこころの中でいつまでも消えないということなのだろう。その原点には、同じ県内でありながら地域ごとに育んできた対抗意識というものがあるという結論を持っているようだ。

 原点がそこにあるならば、いざとなると競争力に弱いこの県民は何なのだろう、などと思う。もともと長野県民は勤勉であるというイメージがある。そして理屈っぽいというのはかつてのイメージだった。きっと理屈を言う根源には、こうした地域アイデンティティがあるとも言えるが、それは長野県に限ったことではないだろう。扇田さんは東京の育ちというから、そうした空間を知らなかったということではないだろうか。だからもしこの考え方が正しいとすれば、これはほかの地方の人たちにも同じような図式ができ上がっているはずだ。そう考えていくと、わたしでも同じことを考える。沖縄に移り住んだとしても沖縄県民にはなれるが沖縄県人にはなれない。「民」と「人」との垣根はもともとあるはずだ。民は万民、人は歴史とでも言おうか。そう考えれば、扇田さんが人になれないのは、育ちの中でこの長野県という地域と接しなかったことにあるだろう。たまたま「信州人」というキーワードを使っているが、「長野県人」も同様である。そうして置き換えてみれば、わたしが「東京人」になれないだろうと思うのと同様だ。おそらく東京というところは、地方から集った人たちが多いから、そういう人の中には「東京人」と言える人がいるかもしれない。それはそれを否定することのない多国籍人種がいるアメリカのそれと同じようなものだろう。わたしたちはどんな肌の色であろうと、アメリカ人と呼ぶだろう。ところが日本人にはたとえ日本国籍をとったとしても、「日本人」と簡単に呼べない、あるいは呼ばない国民性のようなものがある。これは冒頭の「県人」と「県民」との関係に等しいだろう。

 あえて「長野県民」と「信州人」の問題を話題にするのが適正だとわたしは思わない。それほどこの県にはよそから移り住んでいる人たちが多くなった。扇田さんがそうした古いしきたりに苛まれているのかどうかはしらないが、今やそうした関係で地域が生きていけないことを知っている。だからこそ現在の地域において、その地域性に苛まれているわたしのような人間こそ、こうした問題(今までにも述べてきた『伊那谷の南と北』という事例)を口にすることが許されると思っている。
コメント


**************************** お読みいただきありがとうございました。 *****