Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

高校野球にみる地域性

2008-07-15 12:26:30 | ひとから学ぶ
 伊那谷南部の下伊那郡の大きさ(1929km2)が、香川県(1877km2)と同じくらいの大きさがあるという例えは、下伊那地域では対比としてよく使われる。もちろん面積的なものであって、人口比ではない(人口比17千人対100万人)。人々の住めるエリアだけを拾い出せば、面積もけして同等とはいえないほど下伊那地域は山の中かもしれない。「伊那谷の南と北」で触れてきた南北の壁であるが、実は伊那谷というところは同じ地域内の壁以上に他地域との壁があるとわたしは認識してきた。かなりそういう印象は払拭されてきてはいるが、まだまだわたしが子どものころに感じていたイメージは消えていない。

 夏の甲子園に向けて高校野球が盛んに行われている。「出ると負け」と言われる長野県の高校野球であるが、平均的なレベルがそう急に変わるものではない。近ごろ盛んに北海道へ渡った優勝旗であるが、だからといって北海道のレベルが高くなったということは言われない。また、香川県の最近5年間をみてどれほど「最近は出ると負け」と言われたとしても、四国はレベルが高いという一般論は変わらない。それにしてもかつて松商学園が6年連続出場して一度も勝てず、加えて得点さえままならなかった時代に比較すれば、少しは期待を持たせてくれるようにはなっている。わたしの記憶では、同じ出身地域から高校野球で名をはせた人名は記憶にない。それどころか甲子園に出場すらない。記憶の中で、伊那谷の高校が甲子園に出場したことはただの一度もない。ようは昭和40年以降の記録を見れば、その記憶が正しいことに気がつく。どれほど伊那谷の人々にとって甲子園が遠いかは、口には出さないがもしかしたらもうこの先「ないのかもしれない」などと思ってしまうほど、その世界は身近ではない。今年もベスト16に伊那谷の高校は一つも残らなかった。よく東西南北信別に何校などという言い方がされるが、南信で残るのは、常に諏訪地域の高校ばかり。稀に伊那谷の高校の名前があっても、決勝まで残るなんていうのは20年に一度のレベルだ。そんなことを思うと、かつて赤穂高校や伊那北高校が夏の甲子園に行った時代があったなんていうと、このごろの人はびっくりするだろう。赤穂高校は、甲子園であの王貞治の早稲田実業と対戦している。そして、春選抜で飯田長姫高校が優勝したなんていうのも、かなり大昔のことになってしまった。

 いずれにしてもわたしの記憶よりも以前には、伊那谷の高校にとってはけして甲子園が遠いものではなかったが、わたしの記憶がある時代からは、まったく縁の無いものとなった。そしてわたしの地域から高校へ進学して、野球部に入る生徒そのものもけして多くはなかった。かつて地域ごとに行われた陸上大会で、出身校の生徒が上位に入ることなどほとんどなかった。いたとしても稀なことであって、簡単に言えば井の中の蛙のようなものなのだが、市部の生徒たちに紛れると臆してしまうという傾向が強かったと思う。もちろん人口比でいってもそれは仕方のないことなのだろうが、人口比に照らしても、きっと傾向としては目だなかったに違いない。新聞の高校野球特集などに、それぞれの高校のベンチ入り生徒の出身中学が掲載される。そうした中学を見ても、毎年出身中学が少ないという印象を持っていた。

 印象だけではいけないと思って、今年のメンバーを出身校別に累計してみた。意外にもわたしの印象とは少し違っていた。現在の高校生が中学時代に同窓生が何人いたかまではつかめなかったため、現在の中学の生徒数でその比率を出してみた。すると上伊那南部の中では比率が高い方であった。また上伊那郡内における比率を箕輪より北の北部地域、伊那市周辺の地域(南箕輪村を含む)、宮田より南の南部地域の3地域で比較してみても、わざわざ紹介するほどの数字の違いはなかった。ようはメンバーにはいても、それほど目立たないから印象が薄いということにもなるのだろう。そして前述してきたように、だからといって長野県内でも甲子園の遠い地域であることに違いはない。伊那谷らしさについて先ごろ書いたが、ようは人間的に「おとなしい」ということは間違いない。
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