Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

見えない土地

2008-07-25 12:30:38 | ひとから学ぶ
 少し前の噂の東京マガジンで太陽光発電に対する問題を取り上げていた。太陽光発電の制度で補助金をもらって設置したのに、隣にその施設を遮るような建物が建つというが、これではせっかく高額な施設を設置して、エコへの宣伝にしようとしていたのに話が違うじゃないかというものだ。役所としては、隣接地に建物を建てるのが違法ではない以上、それを制限することはできないといい、隣接地へ建物を建てる人も、違法ではないから異議には応じない。金銭で解決できるものならまだよいが、そもそも太陽光発電を推進している行政側の対応がお粗末だというのも解る。金銭で解決するような問題ではなく、そうした問題もクリアーできる対応策があっての補助制度ではないだろうか。ただただ、クリーンエネルギーを促進するたの数字合わせと言われてもいたしかたないわけだ。

 この話は東京都区内での話であったが、東京では太陽光発電システムを個人の家に設置するという例は少ないようだ。そこへいくと地方の方が太陽光発電のパネルを載せた家をよくみる。住宅地が密接していない、そして空間が広いから高層のビルが建つ可能性も低く、こうした問題は起き難い。そんな問題が聞こえなかったのも、都市部での設置が少なかったせいだろう。

 都市部に限らず隣接するもの同士の問題はよく聞く話だ。違法ではなくとも、それぞれの思惑があるからいさかいが起きても仕方がない。昔なら後から住み着くものが、それなりの低姿勢で調整したものだが、今や後先はあまり重要ではなくなりつつある。声の大きな者は声を張り上げ、小さな者は身を小さくしている。そんななかで人との関係もしっくりこなくなるのだが、境界での問題はとくに後々までも影響する。隣に家がなくとも、そこに家が建てば境ぎりぎりに何をしても違法ではない。たとえばいきなり5メートルくらいの擁壁が立てられ、そこにお城のような建物ができようが、人の土地のこととなる。建築基準法の制約はあっても、地方にいけばそうした制約も緩やかになる。先住民のことなどお構いなしでも、文句は言えないということになる。先ごろある伊那市内の山間地にある大きなお屋敷の周辺を歩いた。山の中から流れ出てきたそれほど大きくない水路は、塀で囲われたそのお屋敷に入っていき、大きな空間を経た水はお屋敷からまた出て流れてゆく。数年前の大雨の際に、少し水路が荒れて、お屋敷の中に大水が押し寄せたという。だいぶ荒れたという話だが、地域ともほとんど関わりのない住人だから、そんな噂話程度だったという。流れ出てきた水路は、下流へいき、農業用水として利用される。この大きなお屋敷の空間を通過しているから、その間で水を吸い上げてしまってもわからないし、何かを混入されてもわからない。

 ちまたでは農業の規制緩和が唱えられる。しかし、大きな空間を所有されると、その空間の中が見えないことになる。果たして地域と関わらない農業が発生したとして、それもあちこちにそんな空間ができてしまって、農と地域は共存できるというのだろうか。農村ではなくとも、大規模所有していた企業の土地から、有毒物が検出されるなどということは珍しいことではない。〝人の土地〟という意識が高まった農村地帯にあって、隣は何をする人ぞ、ぐらいなら良いが、空間を汚すような事件が起きないことを望むばかりだ。
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