Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

変化のない舞台

2008-07-29 12:52:57 | ひとから学ぶ
 かつてはこれほど鬱蒼としていなかった。飯島町豊岡へ上る段丘崖の道は、本郷から飯島のマチへ向かう道である。下平釣竿工場や飯島木材の赤い屋根を背に、与田切川のつり橋を渡り、段丘崖の下までたどり着くと、そこからは急な道を登る。確かに周辺に木々はあったが、今ほど暗がりができる鬱蒼としたものではなかった。そういえば、かつてのこうした段丘崖の山は、遠くが透き通って見えたものだ。ところが今やまったく隔離された世界となる。防犯上思わしくないと言われれば確かにそうなのだが、それら山の木々は大きくなるばかりで、どうにも手のつかない状態となる。根元からばっさり伐ってしまわないかぎり、明かりは閉ざされたままだ。わたしの通学する道ではなかったが、この飯島への段丘崖を上る前に、伊那本郷駅から下平釣竿工場まで下る段丘崖の道を通う同級生もいた。この道は日陰道であるが、ここもまたかつては今ほど閉ざされた環境の道ではなかった。今ではその道を通う子どもも見なければ人影も見ない。

 そんな段丘崖の飯島への道を登っていたものの、いつのころか吊り橋が流され、橋が復旧するまでは上流500メートルほどの国道の橋を渡ったものだ。簡単には復旧しないから、最低1年ほどは遠回りをしていたのだろうがその期間の記憶は定かではない。豊岡の町営住宅から法面工事がされた脇の急な道があって、そんな道を降りて家へ向かったこともある。「あと少しです。もうひとがんばりです」と拡声器から流れてきた言葉を今も思い出す。ちょうど衆議院選挙のころで社会党の原茂の選挙カーだった。あのころのこの地域の選挙区は、落ちたり当選したりを繰り返す人が多かった。そんな拡声器の「あと少しです」という言葉を一緒に聞いた友人は、すでにこの世にはいない。かつてを懐かしむようでは、もうどこかその先に道が見えてきたようにも感じたりする。

 それほど昔と変わっていないと思うことがたくさんあるいっぽうで、本気で昔を思い起こすと、変化したものがたくさん目に映る。きっとこの地を拠点にして暮らしてきたからその変化にあまり気がつかないのだろうが、よそで暮らして戻ってきたりする里帰りの人たちは、きっとその変化を体感しているのかもしれない。昔は昔、今は今、それは事実なのだが、果たして懐かしむだけで生きてゆけるものでもない。下平釣竿工場も赤い屋根の飯島木材も今はすっかり姿が消え、かつての工場地帯であったその一帯は荒れた風景を見せている。確かにそれらが消えたのはずいぶん以前のことではあるが、わたしの記憶の中では、少しずつではあるがその変化していく過程が記憶にある。だからだろうか、「全く変化してしまった」と感ずる以上に、わたしの記憶の中では変わりつつある物語がつながっている。突然あの工場の姿が消えていれば、確かに大きな変化なのだが、日々どこかに意識しながら変化に接していると、気がつかないものなのだ。

 子どもの成長と言うのもまさにその通りといえる。ところが、思春期に至ると突然と変化を見せたりする。「何でこんなになってしまったんだろう」と思うほどの変化が、常々そこで見ている者にとっては大きな衝撃になるわけだ。そんな場合は、むしろ突然再会した方が衝撃は少なかったりする。日常では見えていても見えないもの、そして時おりでは見えないもの、そんな意識や感情が人と人との中にはおりまざって、それぞれの意見を見せる。奥は深いのである。
コメント


**************************** お読みいただきありがとうございました。 *****